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GRICI 江沢民は習近平の最大の恩人(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「江沢民は習近平の最大の恩人(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆習近平はなぜ、江沢民が中央委員会委員を辞退したことを礼賛したのか?習近平は弔辞の中で、江沢民が第16回党大会(2002年)の準備作業段階で、(中共)中央委員会委員を辞任すると表明したことを大きく扱い、礼賛した。日本の一部の中国研究者は、「自分が三期目まで続投して辞任しなかったのに、なぜ江沢民が自ら辞任したことを礼賛したのか、不思議でならない」という趣旨のことを書いているが、読みが浅い。習近平が礼賛したのは江沢民が政権を去るに当たって「中央委員会委員」を辞任したことを指しているのだ。つまり、第20回党大会に焼き直せば、李克強が「中央委員会委員」に残らなかったのが如何に正当であるかを言いたいのである。中央委員会というのは比較的年齢層の若い者が次の段階である「政治局委員」や「政治局常務委員」を目指して頑張る組織なので、そこに李克強が戻るのはあり得ないことだと言いたいわけである。その証拠に、習近平は「江沢民が中央委員会委員を辞退した」と言った後に、「新老の交替を促すのに利した」と付け加えている。事実、第20回党大会において、これまでの習近平政権のチャイナ・セブンの中で中央委員に残らなかった人には栗戦書や韓正など、非共青団系列もいて、政治局委員となると、第20回党大会で中央委員にならなかった人物は大勢おり、共青団系列でない名前を何人か挙げれば「劉鶴、許其亮、孫春蘭、楊潔チ、陳全国、郭声コン……」などがいる。習近平が言いたいのは、海外メディアからの「共青団のみを排除した」という批判に対する回答であった。◆習近平はなぜ弔辞で天安門事件に触れたのか?習近平はこのたびの弔辞で、敢えて天安門事件に触れている。もちろん事件の名称に関しては言わず、中国政府側で定着している呼称である「風波」という表現しか使ってないが、50分間の弔辞の間に、2回も言及している。1回目と2回目の発言内容を以下に略記する。1回目:1989年の春から夏にかけてわが国は深刻な政治的「風波」が発生したが、江沢民同志は社会主義国家権力を擁護し、明確な立場で混乱に反対するという党中央の正しい決定を断固として支持し、実行し、人民の根本的利益を守り、上海の安定を維持した。2回目:20世紀80年代後半から90年代初頭にかけて、深刻な政治的「風波」が国際(社会)と国内で発生し、世界の社会主義は深刻な紆余曲折を経験した。一部の西側諸国は、いわゆる「制裁」を中国に課したが、私の国の社会主義事業の発展は、前例のない困難とプレッシャーに直面した。 党と国家の未来と運命を決定するこの重要な歴史的節目に、江沢民同志は党の中央指導集団を率いて、全党、全軍、全国各民族の人民と密接に寄り添い、如何なる揺るぎもなく、経済建設を(中略)堅固に守った。この「風波」に関して発したシグナルは読み解きやすい。これは、11月下旬に起きたゼロコロナに対する「白紙運動」と通称される抗議活動に対する牽制(けんせい)で、「断固鎮圧する」という意思表示と、中国は経済建設を重んじていくのだというシグナルである。「国内外」と言わずに「国際と国内」という中国語を用いたのも、「敵対勢力が操作している」ことを示唆している。西側諸国が行った「制裁」にめげず「経済建設」を守れたのは、日本が制裁を解除したからだ。それを思うと、何とも苦々しい気持ちになる。◆死してなお、江沢民は習近平の「大恩人」!「白紙運動」が台湾の民進党が敗北した11月26日から起こり、それを抑えるかのように30日に江沢民が逝去した。中華人民共和国建国以来の弔意表明の規模の大きさは、江沢民が死してなお、習近平を救ったことを表している。習近平の弔辞演説は、「荘厳」と言っていいほどの「悲痛さ」と「誠意」を湛(たた)えており、習近平は二度にわたって江沢民に救われたことを感謝しているにちがいない。ここまで荘厳に執り行えば、人民は誰一人、「江沢民の死をきっかけに全国的な抗議運動を展開する」という方向には動けない。それを計算し尽くしての「荘厳」さではあっただろうが、その計算を差し引いてもなお、習近平の三期目は、ほぼ運命的であったのかとさえ勘違いしてしまうほどの出来事であった。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/ <FA> 2022/12/12 10:34 GRICI 江沢民は習近平の最大の恩人(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってお届けする。江沢民元国家主席の追悼大会は、かつてない壮大な規模で行われた。習近平が2012年に総書記に、翌年国家主席になれたのは江沢民のお陰だが、それにしても弔辞での江沢民への礼賛の仕方が尋常ではない。なぜか?◆習近平の江沢民への弔辞における礼賛が尋常ではない11月30日、江沢民元国家主席(96歳)の訃報が伝えられると、半旗が掲げられ、中国のネットは一斉にモノクロになった。追悼大会は12月6日午前10時に人民大会堂で行われ(※2)、習近平国家主席が弔辞を読み上げたが、追悼大会に合わせ中国全土のありとあらゆる地点で全国民に3分間の黙祷を指示し、その間、車も船も警笛を鳴らし、中国全土にサイレンが鳴り響いた。6日、すべてのテレビ・ラジオの娯楽番組だけでなく、スマホでのゲームまでも中止された。大会には5000人が出席し、ラジオ・テレビやニュースサイトで中継された。午前10時から始まった習近平の江沢民への弔辞は、50分を超えたのだが、江沢民に対する礼賛の仕方が尋常ではない。「江沢民同志は全党・全軍・全国各民族が認める崇高なる威信を持った卓越した指導者で、偉大なるマルクス主義者、偉大なる無産階級革命家、政治家、軍事家、外交家、長い間の試練に耐えてきた共産主義戦士であり・・・」から始まり、「えっ?」と驚くような賛辞が、哀悼に満ち満ちた荘厳な雰囲気の中で、50分間にわたり響き渡った。違うだろうと思った個所などをいくつか列挙すると、以下のようなものがある。●習近平:江沢民は青少年のころから革命に身を投じてきた。いやいや、そんなことはない。日本が敗戦するまで、江沢民の父親は「大日本帝国」の傀儡政権・汪兆銘政府の官吏だったため、江沢民は日本軍が管轄する南京中央大学に学んでおり、ダンスやピアノなどに明け暮れていた。日本語も少し話せる。酒が入ると「月がぁ出た出たぁ—、月がぁ出たぁ—」と歌い始めたことで有名だ。●習近平:江沢民は1946年4月に中国共産党に入党した。そう、その通り。日本軍が敗戦したのは1945年8月15日。その翌年になって、ようやく、「これではヤバイ」ということから中国共産党に入党し、大富豪の長男であったにもかかわらず、父の弟の極貧の革命分子が死亡しているのを口実に、その家の養子になるという設定で、「革命分子の子供」という演出をしてきたのである。このようなことは誰でもが知っている事実だ。そうでなかったら、日本敗戦後に初めて共産党に入党したことの整合性がない。●習近平:江沢民は反腐敗運動と闘った偉大なる指導者。これ以上に嘘八百な賛辞はない。中国共産党の腐敗が底なしの極限にまで達したからこそ、習近平は反腐敗運動に着手したはずだ。腐敗の巨大なネットワークを創り出したのは江沢民ではないか。胡錦涛元国家主席がどんなに反腐敗を叫ぼうと、それが実現できないように、江沢民は胡錦涛政権の政治局常務委員に刺客を送って阻止した。刺客の人数分だけ常務委員が2人多くなって9人になったので、筆者は「チャイナ・ナイン」と名付けた。そこまでしてでも腐敗を深めたために、胡錦涛は習近平政権に反腐敗運動を託したのではなかったのか。だからこそ、習近平は政権発足と同時に反腐敗運動を大々的にやらざるを得ないところに追い込まれたではないか。だというのに、「江沢民同志は反腐敗運動と闘った偉大なる指導者」と言ったのを聞いた時には、ああ、これはもう、何を聞いても「虚言」であり、中国共産党独特の「事実の歪曲による党の礼賛」でしかないので、ほどほどに聞こうと思った。と同時に、故人に対して批判を書くのも好ましくないので、江沢民逝去に関しては、しばらく書くのを控えていたという事情もある。◆習近平を出世させたのは江沢民拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(※3)第一章の新チャイナ・セブン「男たちの履歴書」で書いたように、習近平が現在の「習近平」になり得たのは、ひとえに江沢民のお陰である。胡錦涛政権中(2003年~2013年)、何とか胡錦涛を打倒してやろうと策略を練っていた江沢民は、上海市の書記・陳良宇を使ってクーデターを起こす計画を実行しようとしていた。2007年10月の第17回党大会までに胡錦涛政権を転覆させることを試みていたのである。ところが全国に張り巡らせているスパイ網が、クーデターを事前にキャッチし、2006年9月、胡錦涛は陳良宇を大規模汚職事件で逮捕したのだ。胡錦涛最大の手柄はこの逮捕劇だったと位置付けていい。手駒を失い途方に暮れていた江沢民に「習近平はいかがですか?」とささやいたのは、江沢民の大番頭・曽慶紅だ。曽慶紅は、1979年に習近平が当時の副総理および中央軍事委員会常務委員の耿ヒョウ(こうひょう)の秘書を国務院弁公庁および中央軍事委員会弁公庁で務めていたときに、習近平と親しくなった。習近平は曽慶紅のことを「慶紅兄さん」と呼んで慕っていた。その曽慶紅は、このたびの第20回党大会ではひな壇で元気な姿を見せていた。習近平をこの世界に送り出してあげたのは「この俺だ!」と言わんばかりの、微動だにせぬ自信をのぞかせていた(『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(※4)のp.51に写真掲載)。そこで習近平は江沢民に呼ばれて上海へ行き陳良宇に代わって2007年3月に上海市書記に就任するのである。こうして2007年10月の第17回党大会閉幕後の一中全会で、習近平は一気にチャイナ・ナインへと躍り出る。このとき胡錦涛は李克強を推薦し、江沢民は習近平を推薦していたのだが、チャイナ・ナインの中に送り込んだ江沢民の刺客の方が多かったので、「習近平が党内序列6位で、李克強は党内序列7位」となり、この「1位の差」がその後の中国の運命を決定づけた。2008年3月の全人代で、「習近平は国家副主席、李克強は国務院副総理」となり、2012年第18回党大会では習近平が中共中央総書記に、翌年3月の全人代で国家主席に就任することが決まる布石を打った瞬間でもあった。2007年の第17回党大会一中全会における党内序列の「6位と7位」という「1」ランクの違いがなかったら、こんにちの「習近平」はいない。それくらい、江沢民は習近平にとっては大恩人なのである。その江沢民と習近平が権力闘争で憎み合っていたというような分析がいかに間違っているかが、このことからもお分かりいただけるだろう。習近平が反腐敗運動を徹底したのは、主として軍部に巣くっている腐敗の巣窟を撤去して中国軍のハイテク化と強化を狙うためで、事実2015年の軍事大改革以来、中国軍は突然強大化し、今では日本だけでなくアメリカにも脅威を与える存在になっているではないか。権力闘争をしているのなら、ハイテク国家戦略「中国製造2025」も断行されることはなかっただろう。それを見誤るから、日本は中国に追い抜かれていくのである。「江沢民は習近平の最大の恩人(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)http://politics.people.com.cn/BIG5/n1/2022/1206/c1001-32581639.html(※3)https://www.amazon.co.jp/dp/4569853900/(※4)https://www.amazon.co.jp/dp/4569853900/ <FA> 2022/12/12 10:29 GRICI 中央のコロナ規制緩和を末端現場は責任回避して実行せず——原因は恐怖政治【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。11月11日、中国政府はコロナ制限緩和20ヵ条政策を出しているが、末端現場は万一の感染拡大に対する責任を取りたくないとして実行してこなかった。今般の抗議デモは実行を迫る結果を招き有意義だったと言える。◆コロナ規制緩和策は何度か出しているが、末端の現場が緩和させない中国のコロナ政策を決める最高決定機関は「国務院聯防聯控機構」で、これは国家衛生健康委員会を中心として全ての中央行政省庁を包含している。トップに立っているのはもちろん国務院総理・李克強だ。補佐するのは孫春蘭副総理である。国家衛生健康委員会にはその領域の(今回はウイルスや伝染病などの)専門家が入っていて、そこで協議された結果が通達として全国津々浦々に届けられる。武漢のコロナ発生以来、李克強と孫春蘭はこの「国務院聯防聯控機構」のために走り回ってきた。流行するウイルスや感染速度あるいは医療資源の情況などに合わせて、これまで何度も何度も会議を開いては微調整をしながら中国政府としての通達を出してきた。今年11月11日にも、≪新型肺炎の防疫措置の更なる最適化に関する通知≫(※2)(以下、「通知」)を発布し、党中央の指導の下、コロナ対策の最適化として、新しい状況に即した「20カ条の措置」を明確化している。ここで興味深いのは、「通知」の冒頭に【各地各部門は「不折不扣」(駆け引きなし、掛け値なし)で完全に通知の各項目を実施すること】と書いてあることだ。すなわち「いい加減に扱うなよ、恐れずにちゃんと実行しろよ」という意味だが、実際は末端の現場は「不折不扣」ではなく、失敗して感染が拡大した時の責任を取らせられるのを恐れて(「折扣」をして)「緩和指示」を実行してこなかった。このたび新たに「通知」が出された背景には、オミクロン株は伝染力が強い割に症状はあまり重くはならないこと、ワクチン・医療資源などの(いくらかの)改善が進んだこと、封鎖されることに対する国民の不満の強さあるいは経済活動に与えるマイナスの影響など、複雑に絡む現状がある。ゼロコロナ政策を解除したら「3ヵ月で160万人の死者を出す」というシミュレーションが医学界において出されているので(Nature論文)、そのことに警戒しなければならないが、しかしゼロコロナ政策を厳しく実施すれば中国経済自身も頓挫するので、そのバランスを取ることに中国政府としては厳しいジレンマに追い込まれている。最も困っているのは、どんなに「規制を緩和してもいい」と言っても、末端の現場は緩和しようとはしないということだ。「通知」の20カ条のうちの第16条には、【「層層加碼」の取り締まりを強化し、むやみに封鎖することを禁止する】という文言がある。この「層層加碼」の「加碼(ジャーマー)」とは「割り増しする」とか「上乗せする」という意味だが、「層層加碼」は「一層ずつ下のレベルに行くたびに割り増しして封鎖を厳しくする」ということを指している。たとえば中央が「A」という程度の(緩い)封鎖指示を出したとすると、そのすぐ下の行政レベルは「A+α」の厳しさで封鎖を要求し、さらにその下の行政レベルになると「A+α+α」というように、これが次々と上乗せされて「A+α+α+α+α+‥‥」という具合に、際限なく厳しくなっていくという現象を指している。これは昨日や今日現れた現象ではなく、武漢でのコロナ感染が始まった時点から現れている現象だ。この「層層加碼」を「禁止する」と言っても末端の現場は従わない。しかし、庶民が接触しているのは末端の現場だ。だから一般庶民は「もう、やめてくれー!」と悲鳴を上げているのである。◆20カ条の緩和策の内容「通知」全文はあまりに長いので、全てを書くのは憚れるが、一応略記すると以下のようになる。面倒だと思う方は読まずに飛ばしてくださっても大丈夫だ。1.濃厚接触者に対して、これまで行ってきた<「7日間の集中隔離」+「3日間の在宅隔離」>(=<7+3>)を、<5日間+3日間>(=<5+3>に調整する。2.濃厚接触者を適時正確に判定し、濃厚接触者との(二次的)接触者まで追跡しない。3.コロナ感染ハイリスク地域から外に出た人を「7日間、集中隔離」から「7日間、自宅隔離」へ。4.高リスク、中リスク、低リスク地域の三段階分類を高リスク、低リスク地域の二段階分類にする。5.高リスク職業の人員を7日隔離・自宅隔離から5日間自宅健康観察へ。6.PCR検査は正確に重点的に、範囲の拡大をしない。7.入国航空路線のサーキット・ブレーカー制度を取り消す。チェックイン48時間以内2回PCR検査を1回へ。8.入国する重要商務関係者、スポーツ関係者はバブル方式で。9.入国者のPCR検査Ct値基準、一度感染した人は自宅隔離期間3日内に2回PCR検査。10.入国者の隔離期間も<7+3>から<5+3>へ調整。11.医療資源建設を強化し、ベッド数や重症ベッドを用意し、治療資源を増やす。さらに各分類の治療方案、各種症状厳重度の感染者の入院基準、医療機構に感染が発生した時の方案を準備する。12.ワクチン接種を早める。特に高齢者のワクチン接種を推進する。13.コロナ関連薬品の備蓄を早める。14.老人、妊婦などを重点的に守る。15.検査、報告、調査などの処置を早める。16.「層層加碼」の取り締まりを強化し、むやみに封鎖することを禁止する。17.封鎖隔離されている人々の生活保障を強化する。18.学校の防疫措置を最適化する。19.企業と産業パークの防疫措置を改善する20.滞留人員(出張先などで突然封鎖を受け身動きできなくなっている人々など)を分類し、秩序をもって開放すること。◆中央の緩和策を末端にまで徹底させるために中央が再度発信11月29日には国務院聯防聯控機構は記者会見を開き(※3)、国家衛生健康委員会のスポークスマンが、コロナ防疫の実態を詳細に紹介した。そこでは概ね以下のようなことが述べられている。・コロナ封鎖に関しては、封鎖と解除を迅速に行い、大衆に不便を来たすようなことをしてはならない。・絶対に「層層加碼」をしないように徹底して取り締まり、民衆の訴えに迅速に対応して、速やかに問題を解決しなければならない。・「多くのネットユーザーが以前より封鎖される頻度が高まったという不満を訴えていますが、どうすればいいですか?」という会場からの質問に対して、国家衛生健康委員会は以下のように回答した。——まったくおっしゃる通りで、最近民衆から提起されている問題は、コロナ防疫自身に対するよりも、むしろ「層層加碼」 ばかりしていて、民衆の訴えに耳を貸さずに、役人側が保身のため、実情を無視して画一的に処理することにあります。ひどい場合には、勝手に封鎖地域を拡大させたり、ひとたび封鎖したら、解除していい条件に達しているのに、いつまでも解除しなかったり、管理者側の怠慢としか言いようがない。現在、こういった「層層加碼」を徹底して取り締まるための専門チームを現場に派遣する作業に入りましたので、ネットユーザーや地元の住民の要求を積極的に直接取り上げ、その問題解決に当たるべく全力を注いでいるところです。11月30日、孫春蘭副首相は(専門家を含む)国家衛生健康委員会会議を開き、中央政府が11月11日に発布した「通知」の事項を徹底するように呼び掛けている。一部のメディアでは、あたかも抗議デモを受けて、「中国政府が初めて態度を変えた」というニュアンスで報道しているが、そうではなく、あくまでも政府が決めたことを「層層加碼」せずに現場は忠実に実行してほしいと言っているだけだ。◆「層層加碼」——最大の原因は「恐怖政治」中国では「層層加碼」がキーワードになっているほど、現場は責任を取らせられることに戦々恐々としているが、それはコロナ感染が拡大したら厳しい罰則が待っているからだ。だとすれば、その根底に、上層部が自分の責任を回避するために現場の下層部管理職に責任を押し付けるという現象があるからではないのか?このように考えると、コロナ政策は、中国共産党体制内の上下関係の意思疎通と信頼関係形成の問題に帰結する側面を持っているようにも思われる。一般民衆は、そうでなくとも「言論弾圧」という息苦しさの中で生きている。それでも、せめて「政治を語らないから何でも自由」という状況があったからこそ我慢することができた。ここに政治以外でも行動の自由を奪われるとなると、日常生活の閉塞感が積もり積もって爆発寸前になるのも当然のことだろう。油はジワジワと深く染みわたり、着火すれば直ちに燃え上がる状態が形成されていた。そこに着火したのが11月30日のコラム<反ゼロコロナ「白紙運動」の背後にDAO司令塔>(※4)で書いた総司令部センターであろうが、何であろうが、あまり大きな問題ではない。着火したら燃え上がる受け皿があったということの方が重要だ。おまけに、それがさらけ出したのは「層層加碼」という、中国共産党指導体制の中の信頼関係の欠如だった。その欠如は、どこから来ているのか?それこそは「恐怖」以外の何ものでもない。一部分の若者は、アメリカに潰されまいとして闘っている中国共産党政権を愛しているだろう。「愛国心」は高まっている側面はある。しかし別の側面を見るならば、中国共産党の統治というのは、少なくとも筆者の80年間におよぶ経験から導き出せるのは、「恐怖」が中心になっているということだ。それは拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※5)に書いたように、7歳のときに餓死体の上で野宿させられた経験を持つ筆者の人生の全てを懸けた考察から来る結論である。中国政府はこのたびの抗議デモを「敵対勢力の陰謀だ」と非難しているが、もしそうであるなら、中国共産党はその「敵対勢力」に感謝すべきであるかもしれない。なぜなら「層層加碼」を生んだ恐怖政治を反省するチャンスをくれたのだから。反省しないのは分かっているが、その反省がなかったら、やがて「層層加碼」が中国共産党の一党支配体制を崩壊させていくことになるかもしれない。習近平に言いたい。「敵」は、共産党体制そのものの中にこそ潜んでいる。写真: 代表撮影/ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)http://www.gov.cn/xinwen/2022-11/11/content_5726144.htm(※3)http://www.nhc.gov.cn/xwzb/webcontroller.do?titleSeq=11490&gecstype=1(※4)https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20221130-00326323(※5)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/12/02 10:41 GRICI 台湾地方選で与党敗退 APECで習近平がTSMCに挨拶が影響か【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。台湾の統一地方選挙で与党・民進党が敗退した。地方選挙は総統選とは異なるものの、対中融和傾向は否定しがたい。APECにおいて習近平は台湾経済界を惹きつけようと自らTSMC創業者に挨拶に行ったことと無関係ではない。◆台湾統一地方選挙で対中融和派の国民党や民衆党などが圧勝11月26日、台湾で21の県や市の首長、地方議員などが改選の対象となる統一地方選挙が行われた(本来22の県や市の首長だったが、11月2日の嘉義市の候補者死亡を受け21となった。嘉義市の選挙は12月18日まで延期)。その結果、親中派の野党・国民党が躍進し、対中融和派の野党・台湾民衆党も大きな成果を収めた。対中強硬の与党・民進党の蔡英文総統は責任を取って民進党党首を辞任した。衝撃的な動きが台湾で展開している。もちろん、2024年に行われる総統選挙と統一地方選挙は性格を異にしており、総統選は「中華民国」として大陸(中華人民共和国)に対して如何なる立場を選ぶのかということに重きが置かれ、地方選は台湾国民自身の経済とかコロナ政策とか、内政問題に焦点が置かれるものの、首都・台北市やハイテクシティ・新竹市における民進党の大敗は決定的だ。今般、21の県や市の首長選挙のうち、与党・民進党の候補者が当選を決めたのは5議席だけで、大方の台湾メディアが報道する通り、「与党が大敗した」という感は否めない。野党・国民党が13議席、無所属・2議席、野党・台湾民衆党が1議席という結果になっている。首都・台北市で勝利したのは中華民国の初代総統・ショウ介石の曾孫(ひまご)と言われているショウ萬安だ。ショウ萬安は1978年12月26日生まれの43歳。なかなかの「イケメン」であるだけでなく、アメリカのペンシルバニア大学で法律博士を取得し、アメリカの弁護士資格も持っている。一国二制度には反対しているものの、親米であるとともに「親中」を否定していない。それはそうだろう。なんと言っても「親中」として知られる国民党の中央常務委員会委員や国民党のシンクタンク「国家政策研究基金会」董事などを歴任しているのだから。元総統の馬英九(国民党)にやや経歴が似ている。2024年1月の総統選で、ひょっとしたら総統に当選する可能性は小さくない。工業重鎮都市である桃園市や港運重要拠点である基隆市も野党・国民党が勝利した。もう一人注目したいのはハイテクシティ・新竹市の市長選だ。当選したのは、野党・台湾民衆党の高虹安(女性)で、1984年生まれの38歳。 台湾民衆党は、民進党と国民党の二大政党に代わる第三勢力となることを目指し、2019年に柯文哲・前台北市長が建党した政党だ。親中とは言わないが、決して民進党のような台湾独立を標榜し、対中強硬を主張しているわけではない。◆APECで習近平が唯一自ら挨拶に行ったTSMC創業者11月20日のコラム<すでに負けている:習近平を前に焦る岸田首相>(※2)で示したように、習近平は20カ国から成る国の首脳と会っており、すべて自分が宿泊しているホテルに呼びつけて対談している。「あなたが私に会いたいと言ったんでしょう?」という姿勢だった。ところが、APECにおける台湾代表に対してだけは違っていた。なんと、習近平自らがわざわざ休憩室に出向いて、ご挨拶に行ったのだ。挨拶した相手は世界最大手の半導体受託製造業(ファウンドリ)であるTSMC(台湾積体電路製造股フン有限公司)の創業者・張忠謀である。張忠謀は習近平の三期目を祝し、習近平は張忠謀の体をいたわって、「お元気そうで、何よりです」とお愛想まで言っている。新竹市は、まさにTSMC本社などを中心としたサイエンス・パークがあるハイテクシティで、習近平が世界で唯一、自ら頭を下げに行ったのがTSMC創業者であるという事実は、新竹市の選挙に大いなる影響を与えたものと判断される。高虹安氏は台湾大学で情報工学を学び、鴻海(ホンハイ)グループで副総裁などを務めた経験を持つ。2020年には立法委員(国会議員)に初当選している。このたびの新竹市における地方選挙では民進党も善戦しているものの、親中でもなく、かといって対中強硬派でもない、国民党と民進党の中間のような台湾民衆党の高虹安が当選したのは、「中国大陸と戦争はしたくない」という民意の表れと見ていいだろう。一般的には地方選挙と総統選挙は別物と位置付けられており、これが次期総統選に直結するわけではないが、影響がないと判断するわけにもいかない。◆台湾一般市民の声筆者は台湾で何度か若者の意識調査などをしたことがあるが、成人の意識に関しては、北部は国民党系列に、南部は民進党系列に傾いている傾向にある。香港における民主化運動と国安法制定以降は、政治に関しては突如反中派が多くなり、ビジネスに関してのみ親中派が残っているという傾向にあったが、ウクライナ戦争以降は複雑で微妙な心理変化が生じている。実際に台湾にいる大学教授や企業の幹部など、北部から南部にかけて散在している昔からの知人に取材したところ、概ね以下のような感想を漏らす者が多かった。・大陸は軍事演習ばかりして威嚇しているけど、実際に武力攻撃してくるとは思えない。武力攻撃をしたら、双方ともに犠牲が大きすぎる。・ウクライナ戦争を見ていると、あんなに多くの犠牲を払って自国を守るというのは耐えられない。大陸の言論弾圧は許せないが、かと言って、武力で台湾が大陸に抵抗するという事態は考えにくい。・アメリカは確かに台湾に武器を売ってはくれるだろうが、アメリカ軍が実際に戦ってくれるのか否かは保証の限りでなく、結局命を犠牲にするのは、ウクライナと同じく台湾人ではないのか。死ぬのはごめんだ。・それよりも、現状を維持したまま大陸とは経済交流を盛んにして、台湾人も豊かになり、平和に暮らした方がいい。国民党政権のときには、大陸は軍事演習を仕掛けてこなかった。独立を叫んだり、アメリカの国会議員が来たりすると軍事演習が激しくなるので、台湾は台湾で静かに現状維持がいい。そのうち大陸の共産党一党支配だって、どうなるかわからないし。長く現状維持をしたまま年月が過ぎていくのが一番平和でいい。・実際、APECで習近平はTSMC創業者の張忠謀氏に挨拶に行っている。これは経済交流を盛んにして平和的関係でありたいことの表れだと、少なからぬ台湾人は解釈している。TSMCがある新竹市が民進党ではなく民衆党の高虹安を選んだのは、その何よりの証拠だ。(取材はここまで。)◆中国大陸の姿勢一方、中国大陸にしてみれば、これまで何度も書いてきたように、台湾を武力攻撃などしたら、反中反共の台湾人が急増するので、統一後に中国共産党による一党支配体制を崩壊させる危険性が増す。したがって、できるだけ武力統一ではなく平和統一をしたいと思っている。事実、親中的な国民党の馬英九政権のときは台湾周辺での軍事演習などしたことはなく、むしろ習近平は2015年に当時の馬英九総統と約70年ぶりの国共両党首脳の対談を実現しているくらいだ。大陸の台湾武力攻撃を最も望んでいるのは実はアメリカで、「武力攻撃を許さない」として中国を非難できるように、中国が軍事演習を増やす原因を一生懸命作っていると言っても過言ではないだろう。台湾武力攻撃でもなければ、このまま行くと、中国経済がアメリカ経済を追い抜いてしまうという懸念がアメリカを支配しているからだ。アメリカは何としても、それだけは避けたい。中国が言うところの「平和統一」の「平和」という言葉に騙されてはならないが、この事実は直視した方がいい。中国共産党管轄の中央テレビ局CCTVは11月27日の国際ニュースで、台湾の選挙結果を大きくは扱わず、ニュースの最後の方でチラッと触れただけだった。台湾の選挙結果に触れた時間よりも、日本の岸田内閣の支持率が落ち、大臣の辞任ドミノが起きて、次は4人目の大臣が辞任するかもしれないというニュースの方に多くの時間を使っていたのは興味深い。なお、11月15日から19日にわたって開催されたG20 やAPEC会議における習近平の関連動向に関しては12月中旬に出版される『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(※3)の第七章で詳述した。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3775(※3)https://www.amazon.co.jp/dp/4569853900/ <FA> 2022/11/28 10:37 GRICI 欧州、習近平への朝貢外交が始まった【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。11月4日のドイツ・ショルツ首相の訪中を筆者は「欧州対中戦略の分岐点」と位置付けたが、事実、12月1日にはミシェルEU大統領が訪中し、年明けにはフランス・マクロン大統領の訪中も予定されている。◆ドイツのショルツ首相の訪中は欧州の分岐点11月4日、G20(11月15、16日。インドネシア・バリ島)を前にして、ドイツのショルツ首相はフォルクスワーゲン(VW)やシーメンスなど大企業12社のトップを率いて習近平に会いにいった。「欧州の分岐点」にも等しい大きな出来事だった。ショルツは人民大会堂で習近平や李克強とも会談し、「中独間のディカップリングをしないこと」や「ロシアの核兵器使用を認めないこと」などで合意している。メルケル政権時代からロシアとの経済連携を深め、ノルド・ストリーム2を通したロシアからの天然ガス輸入に国運を懸けてきたドイツは、アメリカに急かされて強行せざるを得なかった対露経済制裁に悲鳴を上げている。ドイツ国内には訪中反対派もいたが、それでももう中国に頼らざるを得ないほどドイツ経済は衰退へと向かっている。喜んだのは習近平だ。中国航空機材集団公司とエアバスが、「132機のA320シリーズ機、8機のA350型機を含む140機のエアバス航空機の一括調達契約を北京で締結し、総額約170億ドル相当の航空機を発注した」とい大判振る舞いをしただけでなく、ドイツ企業代表団はショルツ帰国後も中国に残って大型の商談をつぎつぎと進めた。ショルツにすれば「やれやれ、これでようやくドイツ経済も息を吹き返せそうだ」といったところだろうか。習近平はショルツとの会談で、何度も「中欧関係」の重要性を解き、ドイツを介して念願の「中欧投資協定」を締結しようと、まだ諦めていない。浙江省義烏市を出発点としてドイツのデュースブルクを終点とする経済貿易のための中欧列車「義新欧」(「新」は新疆ウイグル自治区の「新」)の貿易額は年平均64.7%増の勢いで成長し続けていことも、中独貿易を象徴するものとして高く評価されている。欧州、ひいては世界の動向にとって分岐点となるのは、ショルツ訪中の陰にノルド・ストリーム2の海底爆発がちらついていることだ。バイデンは欧州諸国にロシアの天然ガスではなくアメリカの天然ガスを購入させるためにウクライナ戦争を煽ったという目的があった。だから、ノルド・ストリームを諦めきれないドイツには業を煮やしていた。そこで海底のパイプラインを爆破したのだろうか。爆破した犯人に関しては「アメリカだ」という見方が世界的に多いが、一部には「イギリス」という指摘もあり、イギリスに大きなメリットがあるとは思えないので、やはり「アメリカだろう」という指摘が大勢を占めている(現在調査中)。いずれにせよ、ノルド・ストリーム2のパイプライン爆破が、ドイツを中国に近づけることに作用したとなれば、結局のところ、やはり「ウクライナ戦争によって笑うのは習近平」になってしまう。というのも、ドイツが中国に舵を切ったということは、習近平念願の「中欧投資協定」が復活するかもしれない可能性を高めるからだ。周辺事情は12月中旬に出版する『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(※2)に書いたが、ショルツ首相は11月14日にシンガポールを公式訪問し、リ・シェンロン首相と会談したあとの共同記者会見で「中国とのディカップリングはやめるべきだ」という趣旨のことを述べている。案の定、欧州の習近平に対する朝貢外交が始まった。◆12月1日にはEUのミシェル大統領が訪中11月24日のフィナンシャル・タイムズ(※3)は、12月1日にEUのミシェル大統領が訪中し、習近平と対談すると報道している。EU大統領が中国で習近平と会ったのは2018年以来のことだ。EUも同様のことを発表しているので(※4)ミシェルの訪中は確実なことなんだろうと思われる。一方、11月25日付のVOAの報道(※5)によると、どうやらミシェルは何か月も前から習近平との会談を求めており、11月15、16日のバリ島におけるG20開催中に中国政府側と交渉して日程を決めたとのこと。会う目的の一つは、ウクライナ戦争を終わらせるに当たって習近平の助けが必要であることと、欧州と中国の貿易を再調整しないと欧州経済が非常に厳しいところに追いやられているといった裏事情があると、関係者は語っているようだ。ロシアへの制裁は、結局のところ欧州経済への圧迫につながっており、どの国も本音としては悲鳴を上げている状況を反映しているのではないだろうか。◆フランスのマクロン大統領も訪中11月17日付のSouth China Morning Postは、<フランス大統領はウクライナに対するロシアの戦争を仲介するよう中国の助けを求めるために北京訪問を計画している>(※6)というタイトルでマクロン大統領の訪中を伝えている。訪問は2023年の早い時期に行われるようで、ウクライナ戦争において、来年2月初旬からロシアによる激しい攻撃が再開されるだろうことを避けるためだと説明している。そもそもマクロンは、インドネシアのバリ島で習近平に会ったあとの記者会見で、「中国が今後数ヵ月で私たちを協力して、より重要な調停の役割を果たすことができると確信している」と述べている。バリ島での中仏首脳会談において、すでに習近平との間で訪中の調整をしている。ちなみにイタリアのメローニ首相も、それに続いて訪中を予定しているようだ。こうして、ショルツの訪中が切っ掛けとなって、欧州の「北京詣で」が始まり、「あの国が行くならわが国も」というドミノ現象となって「朝貢外交」へとつながっているのである。習近平を取り巻く国際情勢は『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』https://www.amazon.co.jp/dp/4569853900/の第七章で詳述したが、習近平三期目政権誕生に伴う、世界の動向に注目したい。写真: 代表撮影/ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.amazon.co.jp/dp/4569853900/(※3)https://www.ft.com/content/ec6c4fc7-5fe8-4ec1-8a6c-b923c432c2ae(※4)https://www.consilium.europa.eu/de/press/press-releases/2022/11/24/european-council-president-charles-michel-travels-to-china/(※5)https://www.voachinese.com/a/eu-chief-michel-to-head-to-china-for-xi-meeting-20221124/6849606.html(※6)https://www.scmp.com/news/china/diplomacy/article/3199886/french-president-plans-beijing-trip-seek-chinas-help-mediate-russias-war-ukraine(※7)https://www.amazon.co.jp/dp/4569853900/ <FA> 2022/11/28 10:19 GRICI 決戦場は宇宙に移った 中国宇宙ステーション正式稼働【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。本日、中国独自の宇宙ステーションが正式稼働し始めた。アメリカ主導の国際宇宙ステーションはロシアなしでは有人飛行が困難だが、そのロシアは脱退して中国に協力する予定だ。中国の宇宙制覇がいよいよ始まった。◆中国宇宙ステーション正式稼働10月31日午後15時37分、中国が独自に建設してきた「中国宇宙ステーション』の最後の実験モジュール「夢天」が海南省にある文昌発射場から「長征5号B」大型ロケットを用いて打ち上げられた。打ち上げは成功し、12時間50分後の11月1日4時27分にコアモジュールへのドッキングが成功した。この瞬間、習近平の国家戦略「宇宙大国」の夢が実現したことになる。中国の中央テレビ局CCTVはライブで打ち上げプロセスを長時間にわたって報道し続け、中国は「中国宇宙ステーション、遂に完成」の知らせに沸いた。中国宇宙ステーションは「天和」コアモジュール、「問天」実験モジュール、「夢天」実験モジュールの三つのモジュールによって構成される。これ以外にも無人補給船天舟シリーズと有人宇宙船神舟シリーズがある。「天和」コアモジュールは2021年4月29日に、「問天」実験モジュールは2022年7月24日に打ち上げられ、最後の「夢天」実験モジュールが2022年10月31日に打ち上げられ、これをもって中国宇宙ステーションのT字型構造が完成したことになる。これ以外にも無人補給船「天舟」シリーズと有人宇宙船「神舟」シリーズがあり、年内にさらに3人の宇宙飛行士を送り込んで、当面は合計6人の中国人宇宙飛行士体制で運営されることになる。◆中国はなぜ独自の宇宙ステーションを建設する必要があったのか?拙著『「中国製造2025」の衝撃』でも書いたように、中国はアメリカ主導の国際宇宙ステーションから排除されていたからだ。アメリカにはウルフ修正条項というのがあって、NASAと中国の協力を禁止している。1999年5月に「中国に対するアメリカの国家安全保障および軍事商業上の懸念に関する特別委員会の報告書」が公表され、アメリカの商業衛星メーカーが衛星打ち上げに関連して中国に提供した技術情報は、中国の大陸間弾道ミサイル技術の向上に利用された可能性があると主張した。これが法制化されたのは2011年4月だったが、筆者が筑波大学物理工学系の教授として、筑波研究学園都市にある「宇宙開発事業団」のアドバイザーを務め始めた2000年の時点において、すでに「国際宇宙ステーションから中国を排除する」というのは絶対的な大前提だったので、1999年に報告書が出された時点から、「中国排除」は既定路線だったと言えよう。2007年に中国は最終的に念を押すようにアメリカに対して国際宇宙ステーションへの参加を申請しているが、完全に拒否された。中国の宇宙ステーション開発への決意は、このアメリカの度重なる拒否によって強固になっていったという経緯がある。それをハイテク国家戦略「中国製造2025」の中で「2022年以内に中国独自の有人宇宙ステーションを稼働させる」と具体化したのは習近平だ。ハイテク国家戦略を断行するには、何よりも軍に巣食う腐敗の巣窟を徹底して除去する必要があった。筆者は、そのことに着目せよと言い続けたが、NHKが、筆者の造語である「チャイナ・セブン」という言葉だけは使いながら、「権力基盤がない習近平が政敵を倒すために反腐敗運動を通した権力闘争を行っている」と言い続けるものだから、日本全体が「NHKが言っているのなら怖くない」とばかりに「権力闘争」の大合唱をし続けたので、今となっては、日本にはもう挽回(ばんかい)の余地がない。◆軍と直結しながら動いている中国の宇宙開発中国の宇宙開発事業は、チャイナ・セブン管轄のもと、以下のような巨大な国家組織の中で動いている。1.中央軍事員会中央軍事委員会の「装備発展部」と「戦略支援部隊」の指令の下、航天(宇宙)系統部などがあり、その下に多くの衛星発射センターと宇宙偵察局(実際上、サイバー・スパイ行動)などがある。2.軍民融合発展委員会中共中央政治局管轄下に「軍民融合発展委員会」があり、そこには中共中央書記処が管轄する「中国科学技術協会」が主たる組織としてかかわっている。この「中国科学技術協会」は2020年10月9日のコラム<「日本学術会議と中国科学技術協会」協力の陰に中国ハイテク国家戦略「中国製造2025」>(※2)などに書いた日本学術会議が提携をしている中国側組織だ。軍民融合にはほかに国防科技工業局(国家航天局名義)などがあり、中央軍事委員会と直結しながら動いている。3.国務院管轄下の中央行政省庁やアカデミー科学技術部、中国科学院、工業情報化部など、数個以上の中央行政省庁やアカデミー(中国科学院など)がネットワークを作り、宇通開発に関する数多くのセンターを動かしている。この巨大な組織図に関しては、12月中旬にPHP新書から出版することになっている『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』で、本邦初公開をする予定だ。◆ロシアが国際宇宙ステーションから抜けて中国と協力米ソ冷戦時代、実は(旧)ソ連の方が宇宙開発においては強かった。下手すれば軍事力全般においてもソ連がアメリカの上を行きそうになっていたので、アメリカはリベラル的思考の強いゴルバチョフを利用して巧みに「ソ連崩壊」を実現させた。こうして誕生したロシアを、アメリカは国際宇宙ステーションの参加国として認め、有人衛星として1998年から稼働させたのである。実は有人飛行に関してロシアは強い。そこでスペースシャトルが事故により2011年に引退したあとは、ロシアのソユーズ宇宙船がないと成立しないという事情もあった。アメリカは2020年まで宇宙飛行士を宇宙ステーションに送るための役割をロシアのソユーズに頼っていたが、2020年にはスペースXのカプセル型宇宙船クルードラゴンがNASAの有人宇宙飛行能力を復活させ、フロリダから定期的な飛行を開始してはいる。したがって大きな変化はないと思っていたところ、ウクライナ戦争により事態は一般した。今年7月26日、ロシアは「国際宇宙ステーションの運営が終了する2024年までに、国際宇宙ステーションから撤退する」と宣言したのだ。撤退したあとに行きつく先は中国宇宙ステーションに決まっているだろう。事実、中国宇宙ステーションには「ロシア、インド、ドイツ、ポーランド、ベルギー、イタリア、フランス、オランダ・・・」など数多くの国がすでに国際協力プロジェクトを立ち上げている。また今年5月26日にはブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカなど新興5ヵ国を中心としたBRICS諸国が「BRICS宇宙協力連合委員会」(※3)を発足させた。実は中国国家航天局は2015年に、BRICSリモートセンシング衛星ネットワークの協力を提案し、5ヶ国の宇宙機関は2021年8月に「BRICSリモートセンシング衛星ネットワーク協力に関する協定」にも署名していた。6月26日のコラム<習近平が発したシグナル「BRICS陣営かG7陣営か」>(※4)に書いたように、G7陣営を除いた、人類の85%を含めた「発展途上国と新興国」を中心とした「BRICS陣営」諸国が、宇宙で中国を中心に活躍する時代に入ったということだ。日本が習近平に関して権力闘争だと大合唱し、しかもこのたびの胡錦涛事件(参照:10月30日のコラム<胡錦涛中途退席の真相:胡錦涛は主席団代表なので全て事前に知っていた>)(※5)などに妄想を逞しくして「楽しんでいる」間に、中国は軍事大国になり宇宙大国になってしまったのだ。これを警戒したからこそ、習近平の反腐敗運動は権力闘争ではないと主張してきたが、それを信じる日本人は少なかった。権力闘争と言っている方が「楽しい」のだろう。こうして「日本人のための、日本人だけの中国論」が日本を敗北と衰退に導いていく。今般の習近平三期目も拙著『習近平 父を破滅させてトウ小平への復讐』(※6)を理解しない限り、中国の真相と習近平の狙いは絶対に正しく解釈することはできないと確信する。米中覇権の決戦場は宇宙に移った。中国が勝者となるフェイズに入ってしまったのだ。そして、はっきり言おう。日本には、すでに挽回の余地はない!習近平の反腐敗運動を「権力闘争」としてはしゃいだ、NHKを始めとした日本メディアと「中国研究者」あるいは「中国問題評論家」と称する人たちが招いた結果である。因果応報だ。10月29日のコラム<新チャイナ・セブンが習仲勲の創った「革命の聖地」延安へ>(※7)の後半に書いたように、NHKが今もなお「権力闘争」の視点から抜け出ることができないでいることは、筆者を絶望的な気持ちへと追いやる。このままでは日本に望みはないと憂う。筆者に残された時間は、そう長くはない。日本人に伝えるべきことを、日本国民の利益のために、忌憚なく言うこととした。一部の心ある方々に期待したい。写真: 新華社/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/1673(※3)https://spc.jst.go.jp/news/220504/topic_4_04.html(※4)https://grici.or.jp/3280(※5)https://grici.or.jp/3738(※6)https://www.amazon.co.jp/dp/4828422641/(※7)https://grici.or.jp/3733 <FA> 2022/11/02 10:23 GRICI 胡錦涛中途退席の真相:胡錦涛は主席団代表なので全て事前に知っていた【中国問題グローバル研究所】 第20回党大会最終日に胡錦涛が中途退席したことに関して様々噂が飛んでいるので北京の関係筋に確認した。胡錦涛は党大会を管理監督する主席団代表なので、党大会における討議内容に関しては全て事前に知っていたとのことだ。では何が起きたのか?◆胡錦涛事件に対するさまざまな憶測10月22日、第20回党大会最終日の休憩時間に、胡錦涛前国家主席が中途退場するという事件が起きた。何と言っても全世界のカメラの前で起きた不可解な行動だけに、奇々怪々な解釈を含めたさまざまな憶測を呼んだ。最も多かったのは「胡錦涛が習近平の進める人事に不満だったので、あえて全世界のカメラがある場面で、抗議の意思を、ああいう形で表明したのだ」というものだ。その憶測には、胡錦涛が見ようとしたのは人事に関するリストで、党幹部の人事案が胡錦涛には知らされていなかったので、それを見ようとしたが拒否され、習近平に追い出されるようにして退場していったという解説がついている。中には中南海における「権力闘争の正体を見た」とか、「胡錦涛には人事リストが渡されてなかった」あるいは極端な場合には「胡錦涛にだけ偽のリストが渡されていた」という邪推も現れる始末。なかなか止みそうにないし、筆者自身も少なからぬメディアからの取材を受けたので、北京の関係筋に電話して真相を突き止める努力をした。◆胡錦涛はすべての資料を知っている「党大会の主席団代表」の一人もう高齢になる党の元老幹部に電話して、「あのう・・・、実は胡錦涛に関して・・・」と言っただけで、彼は全ての情況を掌握し、筆者が何を聞きたいかも分かっていた。中国では胡錦涛に関する情報が遮断されていると言われているが、そんなことはない。アメリカだろうが、日本だろうが、どのような邪推をしているかもよく知っていて、「なんで中国の事となると、こんなにまで詮索して、奇想天外な憶測を恥ずかしげもなく発表するんだろう。もう、そのことを、こちらが逆に聞きたいよ」とぼやいた。何一つ説明する必要はなかった。そして、やや怒りに満ちた声で、彼は話し始めた。以下、Q&Aの形で問答を記す。Qはもちろん筆者で、Aは北京の元老幹部である。A:そもそもですね、胡錦涛は党大会の主席団代表の一人なんですよ。だから何度も予備会議に参加して人事の内容も選挙の手順も熟知していて、「人事案を知らされてなかったから、そのリストを見ようとした」って、なんですか、あれは!Q:たしかに、胡錦涛は今回の党大会の主席団代表の一人ですね。だから予め人事案も選挙方法も知ってるわけですよね?A:知ってるどころか、主席団代表は党大会の運営を管理監督する側だから、「熟知」しているわけですよ。Q:もちろん、中央委員会委員とかの投票も許されているんでしょ?A:当り前じゃないですか!主席団代表は何回も予備会議を開催し、胡錦涛は資料の内容も熟知しているだけでなく、誰に投票するかも、全く彼の自由意思で選んでいいわけだし、実際に中共中央委員の投票を胡錦涛はすでに実行して終わっていた。Q:投票結果に関して、党大会で習近平が「これでいいですね?ほかにご意見はありませんね?」と聞いたのが11時9分少し前で、異議を唱える人がいなかったので、「それではご異議がないものと認めて、第20回党大会の中央委員会委員および規律検査委員会委員の投票結果は以上といたします」と宣言したのが、11時9分だと、中国政府のウェブサイトにありますね。A:その通りです。非常にスムーズに投票が終わった。胡錦涛も順調に投票行動を終えました。Q:だというのに、なんでまた・・・?ウォールストリート・ジャーナルには、カメラが入って胡錦涛の行動をキャッチしたのが11時19分だという情報がありましたね。A:ええ、私もそれは見てます。Q:その間に何が起きたのでしょう?A:あのですね・・・。人は歳をとれば誰でも多少はボケていきますよね・・・。あなただって私だって、いつそうなるかは分からない。Q:ええ、私も長年にわたって母の認知症の介護をしていましたから、胡錦涛の表情を見ただけで、あ、認知症が進んでいるなと直感しました。A:そうなんです。お気の毒なことだと思いますが、彼は認知症だけでなく、かなり前からパーキンソン病になっていて・・・。Q:やっぱり、そうなんですね・・・。以前から歩行の仕方がおぼつかなかったですし、手先が震えていましたね。A:その通りです、指先が震えて、たとえば紙一枚を指で挟むという動作ができないんです。だから、栗戦書がファイルを胡錦涛のボディガードに渡そうとしたのですが、それが海外メディアには「ファイルを取り上げた」と映ったのでしょう。哀しいことです。Q:たしかに胡錦涛は、国家主席をやめてから、表立った場所に出る時に、ボディガードが付いてるし、手に何も持ちませんね。A:ええ、指で持ったら落とすんです。指先が震えていて、紙が薄ければ薄いほど指で挟んで持つ動作ができません。だから落とすといけないから栗戦書がボディガードに渡そうとした。Q:その前には、何が起きていたんでしょうか。A:まあ、そこははっきりしませんが、少なくとも私の昔の部下の中に胡錦涛の秘書たちとか親族と付き合いのある人もいて、今回、胡錦涛には党大会に出席しないように親族の人が必死で頼んだのですが、胡錦涛が聞かなかったようです。で、彼の意思を尊重しないといけないと思って出席を許したのですが、胡錦涛のボディガードが、何かが起きるといけないので、ひな壇の裾の方でスタンバイしていたようですね。何と言っても世界中のカメラが向いている場面で、元国家主席ともあろう人が、失態を演じるわけにはいかない。そんなことがあったら胡錦涛も死ぬに死にきれないほどの恥をかきますし、家族も社会で生きにくくなりますね。だからそんなことが起きないように、出席を止めたけど、聞かなかった。そのため万一に備えて近くにいて、どうも危ない行動をしそうになったので、家族とボディガードが連絡し合って咄嗟に動いたようですね。Q:そうでしたか。介護をしていると分かりますが、何もない時と、いきなり症状が悪くなる時と、たしかにありますよね。悪くなり始めると、どんどんその方向に傾いて行ったり・・・。A:そいういうことはみんな知ってるし、胡錦涛の様子が正常ではないのは、誰でも一目見れば分かることで、ただ、何と言っても神聖な党大会ですから、習近平としても一糸乱れず進行させたかったわけで、できるだけ党大会としての威厳を保っていたかったので、周りはできるだけ取り乱さないように苦労したようです。胡錦涛の体調は、誰も皆わかってたので、会場がざわつかないように、気が付かないふりをしたり、いろいろな気遣いが飛び交ったわけですよ。Q:たしかに、一糸乱れぬ行動を取るために、主席団がいて、予備会議を何度も開いているのに、一般の党員代表ではなく、主席団の代表が乱れると、党の沽券に関わるということにもなるでしょうね。A:そうですよ。だから栗戦書(りつ・せんしょ)が立ち上がろうとしたのを、王滬寧(おう・こねい)がとめましたでしょ?あれは誰かが立つと「乱れた」という風に目立つので、みんな、できるだけ「何もなかった」という振りをしなければならなかったわけですよ。Q:なるほど。その雰囲気が出ていましたね。◆李克強国務院総理の任期は憲法で決められているQ:海外メディアの中には、胡錦涛が、李克強が国務院総理から降ろされることに不満を抱いたため、あのような状況が起きたという人もいますが・・・A:ああ、知ってます。それ、日本メディアです。中国の政治のイロハを知らないのでしょう。中華人民共和国憲法第八十七条には、「国務院総理や国務院副総理の任期は一期5年、最大二期までで、二期以上は許されない」と明記してあります。それを知らないのでしょう。もし胡錦涛がそのことに不満を抱いたというのなら、胡錦涛は憲法を知らないことになりますので、それは胡錦涛を侮辱した邪推に相当します。どうせ真実はわからないので、妄想を発揮して、何でも言っていいと思っているでしょうが、やがて社会が「事実」をもって、その人たちを裁くことになるでしょう。Q:私はメディアから取材を受けて知ったのですが、胡錦涛の資料だけ、別に印刷して違う資料を渡していたと主張する人がいるようです。A:ああ、それも日本メディアです。もしそんなことをしたら、それって犯罪行為ですから、すぐに発見されますね。それに胡錦涛は主席団代表で、何度も予備会議を開いて、資料に間違いがないことや、この内容で党大会を開いていいか否かなど、多岐にわたった議論に参加してきたのに、その予備会議でも、胡錦涛だけが分からなかったとすれば、それは胡錦涛の認知能力を、あまりにバカにした憶測になりませんか?胡錦涛は家族の者が「出席してくれるな」と、何度も頼んでも、頑固に「出席するんだ」と言い張って、言うことを聞かなかった。会場から出たくなかったのは確かでしょう。「俺は大丈夫だ」と言い張ったのですから。それに、もし李克強の事を気にかけて不満だとして行動したのなら、なぜ李克強は、あんなそっけない態度をとっていたのか、説明がつきませんね。ともかく、胡錦涛は党大会が順調に進むように管理監督する主席団の代表であったことを忘れないでください。だから、どんなことでも、予め知っていた。その事さえ分かれば、誰が好き勝手な妄想を働かせて、「どうせ分からない」と思って虚言をまき散らしているかが分かるでしょう。主席団の代表であったことを、その人たちに知らせてください。そうすれば、もう、どんなデタラメも言えなくなるはずです。以上が長い取材の結末である。ご参考になれば幸いだ。「(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/ <FA> 2022/10/31 10:21 GRICI 国葬に参加した中国代表・万鋼氏は「非共産党員」! 中国の芸当【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。中国は安倍元総理国葬に非共産党員の万鋼氏を代表に選ぶことによって日本との微妙な距離感を演じた。一方、国葬でなければ日本国民の反対者も出てこなかったはずで、菅元総理の胸を打つ弔辞があれば、何も要らない。◆非共産党員を派遣するという中国の芸当日本人の多くは気が付いていないと思うが、安倍元総理の国葬に参加した中国の代表・万鋼氏(全国政治協商会議副主席)は、中国共産党員ではない。中国には長いこと(中国共産党の指導の下における)八大民主党派があるが、その民主党派の中の一つである「致公党」の党員(党主席)だ。かつて『チャイナ・ナイン 中国の動かす9人の男たち』でも詳述したが、中国で「両会」と呼ばれるものの内の立法権を持っている「全人代(全国人民代表大会)の方は中国共産党員が多い」ものの、その諮問機関のような存在である「全国政治協商会議(政協)の方は非共産党員の方が多い」。パーセンテージはときどきの情況によって多少変動するが、2021年における中国共産党中央委員会の規定では、政協委員における「非中国共産党員の占める割合は60%」となっており、政協の常務委員会における「非中国共産党員の占める割合は65%」となっている。たとえば、2018年1月のデータで見るならば(※2)、その年の3月に開催される政協代表2158人の割合は、中国共産党の代表: 859人、39.8%非中国共産党の代表:1299名、60.2%となっている。非中国共産党員の中の八大民主党派の人数は中国国民党革命委員会 65人中国民主同盟 65人中国民主建国会 65人中国民主促進会 45人中国農工民主党 45人中国致公党 30人九三学社 45人台湾民主自治同盟 20人で、その他無党派代表が65人となっている。それ以外にもさまざまな領域からの代表がおり、各少数民族の代表も非常に多い。要は、中国共産党員は少数派だということだ。万鋼氏はドイツのクラウスタール工科大学に留学していた工学博士で、致公党と九三学社は科学技術に強い特徴を持っている。そのような人物を安倍元総理の国葬に「中国代表」として参加させたのは、中国共産党の指導の下にある人物ではあっても、決して中国共産党そのものが安倍元総理の逝去を悼む形で意思表示したのではないという、「中国共産党の権威」を保つ意味で、非常に微妙な人選を行っていたということに、日本人は気が付かなければならない。本来ならば、中国包囲網であるインド太平洋構想を始めた安倍元総理国葬に参加したくはないが、何と言っても「台湾」が早々に参加の意思を表明していたので、「中国大陸」が代表を送らないわけにはいかなという苦肉の策でもあったということになる。日中国交正常化50周年記念に一応重きを置いたという見方はできなくはないが、台湾が代表を送って国葬に参加することに対抗したという側面の方が大きいだろう。その証拠に中国外交部は、国葬に参列した「台湾」の代表を「中国台北」と言わずに「台湾」と言ったことに抗議している。◆中国における安倍元総理国葬に関する報道したがって中国の安倍元総理国葬に関する報道は、当然のことながら辛口のものとなる。しかし、中国自身がどう思うかということには触れず、もっぱら他国がどう思っているかという紹介が主たる分析として報道されている。それも、中国共産党系のメディアである「環球時報」だけでも10本近くの報道をしているくらい多く、その一つ一つにリンク先を張って分析するのは、あまりに膨大な文字数を要するので、リンク先を張るのは避ける。総体的に見るならば、要するに「国論を二分した」という情報が多く、「国葬開催中にも国葬反対者が抗議デモを行っている」という報道が目立つ。世界の主要国は、どの国も「日本は国論が二分しており、しかも国葬反対者の方が多い中で国葬を実施するというのは、民主主義国家の在り方として正しいのか」という批判が目立っている。その中の気になったものだけでも、いくつか列挙してみよう。・岸田首相は自分の支持率を引き上げたいために国葬を決断したのだろうが、決定の手法が民主国家のルールに相応しくなかったために、かえって支持率を落とした。・決められない首相と批判された岸田氏が、唯一自らの意思で決定したのが国葬で、そのために支持率を落としたのだから、岸田の決断は適切ではないことが証明された。・安倍氏の総理大臣期間が長かったことを国葬開催の理由にしているが、何度も当選できた背景には旧統一教会の支援があったからではないのか。その癒着により狙撃されたのに、安倍氏の統一教会との癒着には目をつぶるということが許されるのが、「日本的民主主義」だ。「儀礼」の衣を着て、「モラル」と「正義」の基準は、トップダウンで決められ、民意を反映させない仕組みになっている。・旧統一教会の反社会性は、国葬により正当化され、偽善的民主主義が残る。・・・さまざまあるが、それを列挙すると、不愉快になってくる側面も持っているので、この辺にしていこう。◆菅元総理の胸を打つ弔辞があれば、何も要らない以下は筆者自身の感想だが、菅元総理の弔辞が、あまりに見事で、心がこもっており、死者を悼む苦しみと誠意が滲み出ていたので、「欲しかったのは、これだけだ」という思いを強くした。これさえあれば、何も要らない。聞いていて、思わずこちらも熱く込み上げてくるものがあり、菅元総理に初めて深い尊敬の念を抱いた。特に、安倍元総理がいつも周りに「笑顔」を絶やさなかったというのは、筆者自身も経験しており、何度か個人的にお会いしたことがあるが、そのときの「こんなに優しい顔ができるのか」と思われるほどの「あの笑顔」には深い感動を覚えたことがある。故中曽根元総理のときのように、内閣・自民党合同葬にしていれば、葬儀に対する抗議運動をする人は出てこなかったはずで、そうすれば国葬が行われているそばで「国葬反対」という激しいデモが展開されることもなく、各自が静かに故人を素直な気持ちで見送ることができただろう。海外の信用を失うこともなかったと残念に思う。欲をかいた岸田首相の思い付きは、そのようなことしかできない人の弔辞だけあって、まるで国会答弁を聞いているようで、ただの一言も心に響かなかった。その意味でも、菅元総理の弔辞ほど心打つものはなく、ほかには何も要らないという思いを強くした。写真: 代表撮影/ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)http://cpc.people.com.cn/n1/2018/0125/c64387-29785852.html <FA> 2022/09/28 15:58 GRICI 自民党親中議員が集う日中友好シンポ 台湾との断交反省はゼロ【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。日中国交正常化は「中華民国」台湾との断交を交換条件として締結された。だからいま台湾問題が起きている。歴史と台湾問題を中国に突きつけられながら自民党親中議員は50周年記念シンポジウムに友好的に参加した。◆歴史問題と台湾問題を日本に突きつける中国側9月12日、日中国交正常化50周年を記念するシンポジウムが東京の経団連会館と北京をオンラインで結び開催された。駐日中国大使館と日本の経団連による共催で、中国社会科学院と日中友好七団体が協賛している。冒頭、中国の王毅外相と日本の林外相のビデオメッセージがあり、自民党の福田康夫元首相が基調講演を行って、河野洋平元衆院議長、二階俊博元幹事長ら、「自民党親中議員」の象徴が顔を揃えた。王毅外相は、中国外交部のウェブサイト(※2)によれば、以下のように日本に対して警鐘を鳴らしている。——両国間の関係を安定的かつ長期的に確保するには、必ず中日が達成した四つの政治文書と今日までに交わされた「承諾」を遵守しなければならない。歴史や台湾問題など中日関係の根本に関わる重大にして原則的な問題に関しては、ほんのわずかでも曖昧にしてはならないし、後退するなどはもってのほかだ。(一部引用ここまで)中国側が何かにつけて出してくる「四つの政治文書」とは、1.1972年の日中共同声明2.1978年の日中平和友好条約3.1998年の日中共同宣言4.2008年の「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明で、中国は常に日本に対して「遵守せよ」という上から目線の形で言うことが多い。今般も「こんにちまでに交わされた約束」という言葉ではなく、「承諾」という二文字を当ててきたことは注目に値する。互いが平等な立場に立った「約束」なら「諾言」という中国語を使っていいはずだが、使わない。「承諾」なのだ。つまり、「日本よ、お前は承諾したではないか」という「批難」目線と「だから遵守せよ」という「上から目線」がまとわりついている。王毅外相はさらに日中の経済関係に関して、「デカップリングやサプライチェーンを断つような誤ったやり方を共に防がなければならない」とも述べている。日本の多くのメディア報道によれば、同じく9月12日のシンポジウムで、中国の孔鉉佑(こう・げんゆう)駐日大使は「日本側には中日関係にこれ以上のダメージを与えないよう、台湾問題では慎重な言動を取り、台湾を利用して中国を牽制するいかなる挑発的行為に参加しないことを希望する」と、やはり「上から目線」で「一つの中国」を主張しているのだ。◆唯々諾々(いいだくだく)とひれ伏す日本側こういった中国側の姿勢に対して、非常に対照的なのが日本側の姿勢だ。日本の外務省のウェブサイトには林外相の発言内容などに関する報道がないので、以下は時事通信社の<歴史・台湾「あいまいにせず」 中国外相、日本にくぎ>(※3)をはじめとして、産経新聞の<福田康夫氏「対話と交流の強化を」都内で日中正常化50年シンポ>(※4)、毎日新聞の<日中外相 国交正常化50周年シンポにビデオメッセージ>(※5)、読売新聞の<日中関係「ウィンウィンを」とメッセージ寄せた王毅外相、歴史認識や台湾問題では釘を刺す>(※6)あるいはNHKの<日中国交正常化50年シンポ 林外相「安定的な関係構築は使命」>(※7)など、数多くの日本メディアの報道を通して知り得た内容から日本側の発言内容を適宜ピックアップする。・林外相:「50年間で日中関係は大きな進歩を遂げた。両国間の貿易総額は当時から約120倍に増加し、人的往来にいたっては新型コロナの感染拡大前には1200万人を超えた」、「日中関係の進歩は両国国民のたゆまぬ努力がもたらしたものだ。建設的かつ安定的な日中関係を構築していくことは先人たちから受け継いだ使命であり、子孫に対する責務だ」。・福田元首相(基調講演):「信頼関係が揺らぎ、不信の溝はむしろ昨今深まっているようにも見受けられる。こういう時こそ対話による意思疎通を深めることが極めて重要だ」、「対話と交流の強化を通じ、相手が何をしようとしているかということについて理解を深め、協力のために必要な信頼の基礎を築くべきだ」。・河野元衆議院議長:「長い間、侵略し、支配し、ご迷惑をかけてきた中国の方々と日本が国交を正常化することは大変難しいことだった」、「小異を残して大同についたという大先輩の方々の気持ちを決して忘れることなく、両国関係をもっともっと前進をさせるために、さらなる努力をしていただきたい」。(以上概要)バイデン大統領と進めている「対中包囲網」など、どこへ行ってしまったのか、ひたすら「日中友好」を讃え、推進しているではないか。尖閣諸島への中国船の侵犯や、台湾を包囲する形での軍事演習の際に日本のEEZ内に中国軍のミサイルが落下したことも忘れてしまっているかのようだ。河野氏に至っては今もなお「長い間、侵略し、支配し、ご迷惑をかけてきた中国の方々と」などと謝罪外交の姿勢を崩していないのには、目を見張るばかりだ。拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に書いたように、毛沢東は中国が言うところの「南京大虐殺」さえ認めず、中国が抗日戦争勝利記念日を全国的に祝賀し始めたのは1995年からで、これは江沢民の父親が日中戦争時代、日本の傀儡政権であった汪兆銘政権の官吏だった過去を払拭するために、必死で反日を唱え始めたからだ。それまで毛沢東は「抗日戦争勝利」を祝うのは、政敵・蒋介石に「おめでとう!」と言うに等しいので、記念日として祝賀することはなかった。毛沢東がどれほど日本軍の中国侵攻をありがたがったか、河野氏は知らないのだろうか。「侵攻」を「進攻」という言葉でしか表現しないほど、政敵である国民党の蒋介石をやっつけようとしていた日本軍に、毛沢東は感謝していた。もちろん「中国人民」全体に被害を与えたことは歴然たる事実だが、日本が日中戦争で戦った国は「中華民国」であり、国家として謝罪しなければならない相手は「中華民国」なのである。◆日中孤高正常化は「中華民国」台湾との国交断絶が条件だった日中国交正常化は、この中華民国との国交断絶との交換条件の下で行われた。蒋介石は日中戦争における勝利宣言の中で、在中の日本軍および日本人に対して「以徳報怨(怨みに報いるに徳を以てあたれ)」と指示し、日本人に対する一切の報復を禁じた。そのことに感動した日本軍のトップ(支那派遣軍総司令官)であった岡本寧次(大将)は、蒋介石に対する尊敬の念を抱いたため、蒋介石は岡本寧次の自尊心を傷つけてはならないとして、敗戦した日本兵を「捕虜」とさえ言わず、「徒手官兵(武装していない将兵)」と呼んだほどだ。こうして蒋介石は日本兵と日本人の日本遣送を優先した。拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※8)に書いたように、筆者の父は技術者であるがゆえに日本帰国を許されたなったため長春に取り残されて中国共産党軍(八路軍)の食糧封鎖に遭った。長春市内にいた国民党軍が良かったとは言わないが、「長春を死城たらしめよ」と命じた毛沢東の冷酷無比さは、史上たとえようがないほどだった。その壮絶さの一部は6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※9)に書いた通りだ。国共内戦に敗れた蒋介石は台湾に撤退して、辛うじて「中華民国」の形を維持してきた。しかし、1972年、アメリカのニクソン大統領が自分の大統領再選を狙うという個人的目的のために共産中国である中華人民共和国との国交正常化に踏み切り、共産中国の国連加盟を許してしまった。遅れてはならじと、アメリカの後を追ったのが日本だ。共産中国と国交を結びたいために、日本への友情が篤かった蒋介石の「中華民国」を切り捨て、国交断絶を断行した。それだけではない。1989年の天安門事件で民主を叫ぶ若者を武力で鎮圧した共産中国に対する制裁を、日本の自民党政権は解除させて、こんにちの中国の繁栄をもたらした。王毅外相は「歴史問題」と言うが、江沢民は1992年の天皇陛下訪中を要請するに当たり、「天皇陛下が訪中してくれれば、中国は二度と再び歴史問題を持ち出すことはない」と約束しながら、天皇陛下の訪中が終わった2年後の1994年に愛国主義教育を始め、1995年から「抗日戦争勝利祈念」を全国的に祝うようになった。こうして「反日教育」が始まったのだ。このような誤った選択を、日本は何度も重ねて、こんにちの「歴史問題」があり「台湾問題」がある。上掲の日本のどのメディアも、日中国交正常化50周年記念シンポジウム開催に当たり、中国側から台湾問題を突き付けられても、「日中国交正常化は、中華民国(台湾)との国交断絶という交換条件の下で行われた」ことに触れていない。しかし『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※10)を経験した者として、台湾との断交の下で日中国交正常化が成立したのだということを無視する日本の現状を、座視するわけにはいかないのである。写真: つのだよしお/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.fmprc.gov.cn/wjbzhd/202209/t20220912_10765250.shtml(※3)https://www.jiji.com/jc/article?k=2022091200780(※4)https://www.sankei.com/article/20220912-GXMMPLP5ZBPWZANJPS2BDKTDRE/(※5)https://mainichi.jp/articles/20220912/k00/00m/010/206000c(※6)https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220912-OYT1T50155/(※7)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220912/k10013814881000.html(※8)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/(※9)https://grici.or.jp/3285(※10)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/09/14 10:22 GRICI 第20回党大会 習近平はなぜ三期目を目指すのか(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「第20回党大会 習近平はなぜ三期目を目指すのか(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆アメリカに潰されるわけにはいかないという中国の危機感二つ目は習近平の内的要因ではなく、アメリカに潰されるわけにはいかないという危機感が習近平を三期目へと追いやっているという外的要因があるということだ。あと数年で中国経済がアメリカ経済を追い越そうとしている。そうはさせまいと、アメリカは半導体などを中心として中国への制裁を強化し、最近ではたとえば「半導体支援法」に関し、「資金を受けている企業は今後10年間、中国国内で先端工程施設を建設することはできない」という付帯条件を設けたり、またIPEF(インド太平洋経済枠組)により中国を排除しようと必死だ。一方、台湾が独立を宣言しない限り、中国は平和統一しか考えていない。武力統一などをしたら台湾に強烈な反中分子を生んでしまい、統一後、共産党による一党支配体制が危うくなるからだ。しかし平和統一だと中国経済は益々成長するので、アメリカはそれを潰すために何とか中国が台湾を武力攻撃してくれるように米政府高官を訪台させたりして中国と国際世論を煽っている。米中覇権競争の真っただ中にたまたま差し掛かってしまった中国のトップ・リーダーとして、習近平以上に「紅い革命のDNA」を引き継いだ強力なリーダーはいない。今そのリーダーを交代させるわけにはいかないという切羽詰まった事情が中国にはある。◆習近平以外ではダメなのか?他の人物ではアメリカに勝てないのかという見方もあるだろう。皆無ではないが、習近平ほどの「紅い革命のDNA」を直系で持っている人間はいない。習近平が中国共産党の「初心」と「延安」を強調するのは、父・習仲勲が延安を中心とする西北革命根拠地で1935年に毛沢東を助けたからだが、もう一つ、毛沢東思想にこだわるのは、どの指導者も「第二のゴルバチョフになってはならない」という思いがあるということを見逃してはならない(参照:9月5日のコラム<中国共産党「第二のゴルバチョフにだけはなるな!」>(※2))。アメリカの(甘い)話に乗っかれば、ソ連が崩壊したように、共産中国も崩壊する。崩壊させてなるものかと、習近平はつぎつぎと手を打っている。たとえば、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』(※3)の第二章の五(中国に対してSWIFT制裁はできない——なぜなら世界貿易を支配しているのは中国だから)に書いたように、世界190ヵ国のうち128ヵ国が中国を最大貿易国としている。その128ヵ国のうち90ヵ国がアメリカの2倍以上の貿易を中国と行っている。また9月1日のコラム<米中貿易データから見える「アメリカが常に戦争を仕掛けていないと困るわけ」>(※4)で書いたように、中国は製造業において圧倒的優位に立っており、また国際エネルギー機関(IEA)によると、中国は太陽光パネルのすべての主要製造段階で80%以上の市場シェアを占めているとのこと。加えて、今年9月7日に習近平は「全面深化改革委員会」第27回会議を開催して「核心的技術を向上させるべく新型挙国体制で取り組め」(※5)という指示を出し、「社会主義体制の特徴を発揮して力を集中させ、国家事業として科学技術のイノベーションを促進し科学技術のレベルアップを国家戦略の主戦場とせよ」と強調している。アメリカは中国政府が市場に介入してくることを自由競争への挑戦だとして非難してきたが、アメリカ自身が半導体分野などに国家が介入し、他国(中国など)への制裁も含めて国家事業として特定分野の産業への支援をしているので、「国策」として動いているのは米中どっちもどっちという感はぬぐえない。その際、自由な発想だけが産業競争力を高めるのかというと、必ずしもそうではない。ひところアメリカのシリコンバレーが栄えた時代とは異なり、現在は次の段階に入っていて、他国への制裁という排除理論で国際関係を築いているバイデン政権よりも、「人類運命共同体」を外交スローガンとする習近平政権の方が、より多くの発展途上国の賛同を得ている。たとえばアフリカ諸国はロシア制裁に加わっておらず、むしろ習近平政権と利害を一致させているし、アメリカの裏庭である中南米においても中国の存在感が増している(※6)。西側からは「強硬路線」と批判されても、こういった強烈なリーダーシップを発揮する人物が、いま中国にいないとアメリカに呑み込まれ、第二のゴルバチョフになり兼ねないのである。日本の中国研究者は権力闘争と言いたがるが、そんな視点を持っていたら、中国政治の現在と未来を見誤るだろう。なお、「チャイナ・ナイン」の時は江沢民が胡錦涛政権に刺客を送り込み、激しい権力闘争が行われていた。しかし「チャイナ・セブン」になった習近平体制では、権力闘争をする対等な相手はおらず、胡錦涛と習近平は腐敗撲滅運動に関して徹底して協力している(2012年の第18回党大会で、二人とも「腐敗を撲滅させなければ党が滅び国が亡ぶ」と誓い合っている)。腐敗を撲滅させる目的は、腐敗の巣窟と化した軍の腐敗体制に斬り込み、軍のハイテク化を図ることによって「強軍の夢」を実現させるためであり、「中国製造2025」というハイテク国家戦略を実行することによって、アメリカに勝つことが目的だ。それを見誤ると日本の国益を損ねる。注意を喚起したい。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3573(※3)https://www.amazon.co.jp/dp/4569852327/(※4)https://grici.or.jp/3556(※5)http://politics.people.com.cn/n1/2022/0907/c1024-32520882.html(※6)https://toyokeizai.net/articles/-/616226 <FA> 2022/09/13 10:26 GRICI 第20回党大会 習近平はなぜ三期目を目指すのか(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってお届けする。10月16日から第20回党大会が始まるが、習近平三期目は既定路線としても、習近平がなぜ三期目を目指すのかを正確に分析しないと中国政治の現在と未来を見誤ってしまう。それを避けるために考察を試みる。◆多数決議決のため政治局常務委員会委員数は「奇数」が原則中国共産党全国代表大会(党大会)は5年に一回開く決まりになっているが、今年10月16日から第20回党大会が北京で開催される。9千万人以上いる党員の間で選挙ばれた2千人強の党員代表によって構成され、その中から中国共産党中央委員会(中共中央)の委員約200人およびほぼ同数の候補委員を選出する。党大会閉幕後、第一回中央委員会全体会議(一中全会)を開催し、25名の中共中央政治局委員と「若干名」の政治局常務委員、および中共中央総書記(党のトップ)が選ばれる。胡錦涛時代(党:2002年~2012年、政府:2003年~2013年)、政治局常務委員は9人だったので、筆者は彼らを「チャイナ・ナイン」と命名して『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』という本を2012年3月に出版した。しかしその年の11月に第18回党大会が開催され、習近平が中共中央総書記に選ばれると、「9人」が「7人」となっていたので、今度はその7人を「チャイナ・セブン」と名付けた。「若干名」と書いたのは、このように、蓋を開けてみないと何名になるか分からないからである。いずれにしても常務委員会会議では多数決によって議事を進めていくので、「奇数」ということが基本になっている。もし偶数なら、賛否が半々に分かれたときに、総書記一人の意思で最終決定をすることになるので、独断の要素が入る。それくらい中共中央政治局常務委員会は多数決にこだわってきた。あの「独裁」と呼ばれた毛沢東でさえ、文化大革命前まではこの原則を守っていた。1958年に始めた大躍進が失敗した後、1959年に毛沢東は自ら「なんなら国家主席を降りてもいい」という類のことを周りに言うが、毛沢東としては「きっと周りが必死で引き留めるだろう」と期待していたところ、政治局常務委員会会議で多数決議決により「毛沢東の申し出」が認められてしまった。こうして劉少奇が国家主席に選ばれ、毛沢東は劉少奇を「国家主席の座から引きずり下ろすために」、1966年に文化大革命を起こしたほどだ。したがって第20回党大会においても、この「奇数であること」を変える可能性はあまり大きくはない。◆三期目を狙う習近平今年特に注目すべきは、習近平が三期目に入るだろうということだ。というのは、中共中央総書記および中共中央軍事委員会(中共中央委員会で選出)の主席に関しては任期制限が設けられていないが、「国家主席」に関しては憲法で「一期5年、最長二期10年」と決まっていた。江沢民政権から「中共中央総書記と中央軍事委員会主席と国家主席」は「同一人物が担う」ことになったので、「国家主席」の任期が最大二期10年であるなら、自ずと党大会で決まる中共中央総書記と中共中央軍事員会主席の任期も、二期10年になってしまう。ところが2017年の第19回党大会で党規約の中に「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」を書き入れ、その「新時代」の特徴の一つとして2018年3月における全人代(全国人民代表大会)で憲法を改正し、「国家主席の任期を撤廃」してしまった。結果、党大会で決める総書記も軍事委員会主席も、「二期10年」にする必要はなくなり、第20回党大会で、習近平は三期目の総書記および軍事委員会主席に選ばれてもいいことになったわけだ。すなわち、第三期目を迎えるということになる。もし一中全会で習近平が三期連続で選出されれば、来年2023年3月に開催されることになっている全人代でも「国家主席」に選出されて、習近平政権の三期目が始まる。三期目があるということは、四期目も排除しないということになろう。生きている限り、すなわち「終身」ということも考えられないわけではない。では、習近平はなぜそのようなことを目指すのか?◆三期目を狙う最大の理由は「父・習仲勲を破滅させたトウ小平のへの復讐」習近平が三期目を狙う最大の理由は、何と言っても拙著『習近平 父・習仲勲を破滅させたトウ小平への復讐』(※2)で書いたように、父の仇討ちである。習近平の父・習仲勲は、トウ小平の陰謀により1962年に国務院副総理兼国務院秘書長など全ての職を剥奪されて、その後16年間も監獄・軟禁・監視生活を送らされている。なぜそのようなことが起きたかというと、毛沢東が習仲勲を可愛がって、後継者の一人にしようとしていたからだ。というのも、1935年に毛沢東が蒋介石率いる国民党軍の攻撃を逃れて「長征」を続け北上した時、もう中国全土のどこにも共産党軍の革命根拠地がなくなっていた。唯一残っていたのは、習仲勲らが築き上げていた陝西省を中心にした西北革命根拠地だった。毛沢東が最終的に蒋介石に勝てたのは、ここに「延安」があり、延安を新たな「革命根拠地」として戦うことができたからだ。毛沢東は習仲勲に救われたようなもので、1949年10月1日に新中国(中華人民共和国)が誕生した後も、習仲勲ら西北革命根拠地を築いていた英雄たちを大切にした。野心の強かったトウ小平は、このままでは自分の将来がなくなることを恐れ、陰謀を図って習仲勲を失脚させたのである。それさえなければ父・習仲勲は毛沢東の後継者として輝かしく活躍していただろう。習近平の胸には、半世紀もため込んできたこの無念の思いが沸々と煮えたぎっていたはずだ。父の仇を討つためにも、人の何倍も中国という国家のトップに立っていようと思っているにちがいない。これが習近平の核心にあることこそが最も重要であって、実は誰が常務委員になるかとか、誰が国務院総理になるかなどは、その事実の前には霞んでしまい、ほぼ、どうでもいいくらいに小さい。これが見えないと、今の中国の政治を正しく分析することはできないと確信する。「第20回党大会 習近平はなぜ三期目を目指すのか(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.amazon.co.jp/dp/4828422641/ <FA> 2022/09/13 10:25 GRICI 習近平の遼寧省視察の目的は台湾問題 背後には遼瀋戦役と長春の惨劇「チャーズ」【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。北戴河会議後、習近平が遼寧省を視察したのは国共内戦の分岐点「遼瀋戦役」を強調するためで、その背後には台湾問題と国民党敗退のきっかけを作った長春の惨劇「チャーズ」がある。「台湾白書」も同時に発布された。◆習近平が遼寧省視察に行った目的8月22日のコラム<北戴河会議と習近平第三期>(※2)に書いたように、北戴河の会議が終わると、習近平国家主席は8月16日から17日にかけて中国東北の遼寧省を視察した(※3)。かつて重工業地として栄えた東北三省(黒竜江省、遼寧省、吉林省)は改革開放によってさびれ、2004年の胡錦涛政権時代に「東北振興戦略」が動き始め、何とか改革開放の遅れを埋め合わすべく努力した。今般の視察では「新時代の東北振興戦略」を表面上謳ってはいるが、実際は1948年の国共内戦における「遼瀋(りょうしん)戦役」に焦点を当てたものと解釈できる。習近平は16日午後、遼寧省に着くとすぐに、まず錦州市にある「遼瀋戦役革命記念館」を視察している。日本敗戦後の国民党と共産党の間における「国共内戦」(=解放戦争=革命戦争)には「遼瀋戦役、淮海(わいかい)戦役、平津戦役」があるが、最初の「遼瀋戦役」は「遼寧省、黒竜江省、吉林省」を含む東北三省における戦いで、日本が元「満州国」として統治していた地域を指す。8月7日のコラム<「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言>(※4)に書いたように、蒋介石が「長春」にこだわったのは、そこが元「満州国」の国都「新京」(=長春)だったからだ。この「長春」を食糧封鎖し、1948年10月に陥落させた瞬間、国共内戦の趨勢は決まり、共産党軍は一気に南下して「淮海戦役」と「平津戦役」に勝利し、1年後の1949年10月に新中国=中華人民共和国を誕生させるに至った。それと同時に国民党軍を率いる蒋介石は台湾に撤退し、こんにちの「台湾問題」の根源を形成している。習近平は非常に長期的戦略に基づいて国家を運営しているので、ひょっとしたら、今年、第20回党大会が開催される前、北戴河会議が終わったころに「遼瀋戦役記念館」を視察することを政権トップに就いた時から考えていたのかもしれない。だから、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※5)に書いたように、その前に長春の惨劇「チャーズ」に関して官側の視点でまとめた本『困囲長春』(長春包囲)を出しておく必要があったのかもしれないとも思うのである。◆蒋介石が敗北した理由の一つに「民主を重んじた隙(すき)」台湾に撤退したあと、蒋介石は日本敗戦後の中国で、ようやく憲法に手を付けることができ民主選挙などを行ったことに関して後悔の念を抱いたようだ。スタンフォード大学にあるフーバー研究所に通い詰めて、蒋介石直筆の日記をむさぼり読んだが、そのような趣旨のことが書いてあった。実は長春包囲は実質上1947年晩秋(11月頃)から始まっているが、そのよう中で1947年12月25日に蒋介石は中華民国憲法を施行した(制定は1946年12月25日、公布は1947年1月1日)。新たな憲法では、それまで「国民政府主席」と位置付けられていた「中華民国のトップの指導者」を、「中華民国総統」と改称することになり、中国全土で選挙を行った。中国という土地の上で行われた史上唯一の民主的な手法による「普通選挙」で、長春の包囲網が徐々に縮められ食糧封鎖が本格的に厳しくなっていく1948年5月に、国会議員に相当する議員が選ばれて、蒋介石は正式に「中華民国総統」に就任した。勝つか負けるかの天下分け目の国共内戦が分岐点を迎えようとしていたその時期に、「民主的選挙」に全力を投じて「総統」に就任する必要があったのか?蒋介石の動機としては、1911年の辛亥革命によって清王朝を倒し、孫文を臨時大統領とする中華民国臨時政府が誕生したが、その後紆余曲折があり、中国全土に軍閥が割拠した。蒋介石はそれを退治して、1936年5月5日に国民政府として「中華民国憲法草案(五五憲草)」を公布したが、日中戦争が激化したため憲法制定に至らなかった事情がある。しかし日本に勝利したのだから、これでようやく「中華民国憲法」を制定でき、民主的な選挙によって国家運営をすることができるという期待と理念が勝っていたと日記にはある。しかし、抱き続けた夢と理想が、結局は仇(あだ)となってしまった。「民主」などを追いかけている間に、どこもかしこも中国共産党との密通者ばかりで、長春にいた国民党第六十軍は、共産党の甘い言葉に誘われて寝返り、新七軍の將・鄭洞国は「包囲網を突破せよ」という蒋介石の指令に従わず、武器を捨ててしまった(のちに毛沢東配下の国防方面の仕事などに従事している)。かくして長春は1948年10月19日に陥落して中国共産党軍の手に下ったのである。◆台湾で戒厳令を解かなかった蒋介石が独立派を生んだその1年後の1949年10月1日に毛沢東が率いる中国共産党が統治する中華人民共和国が誕生し、蒋介石は12月に台湾に撤退して、台湾で中華民国政府を再編成するが、大陸奪還の夢を捨てなかった。一方、1945年8月、ポツダム宣言を受諾して日本が降伏を宣言すると、台湾は中華民国の一つの「省」である「台湾省」に編入され、国民党軍の陳儀が蒋介石の代理で台湾へ行き、同年10月25日には日本の台湾総督から降伏を受けた。その日から、当時台湾に住んでいた住民は「中華民国の国籍を回復した」と位置付けられた。この人たちを本省人と定義するのだが、大陸における国共内戦で敗北して台湾に入った人たちを「台湾省以外の省から来た人たち」という意味で「外省人」と名付ける。外省人は人口構成から言って台湾の全人口の15%前後しか占めていなかった。しかし台湾を支配したのは蒋介石率いる国民党を中心とした外省人だった。まだ国共内戦の趨勢が明確でなかった1947年2月27日に「二・二八事件」という、陳儀が率いる台湾の国民党政府による、本省人に対する大虐殺事件が起きた。のちにその事を知った蒋介石は激怒するのだが、蒋介石が台湾に撤退した時には、すでに外省人である国民党に強い反感を持つ本省人に満ちていた。そうでなくとも長春における国民党軍の寝返りなどに業を煮やし、誰をも信用できなくなっていた蒋介石は、常に政権内にもスパイが潜り込んでいるのではないかという猜疑心を強くし、戒厳令を布き、台湾国民に相互監視と密告を強制し、反政府勢力のあぶり出しと弾圧を徹底的に行った。戒厳令が解除されたのは蒋介石没後12年も経った1987年のことである。しかし、38年間に及ぶ戒厳令は逆に、「民主を求め、台湾独立を求める本省人たちの力」を育み、李登輝総統以降の本省人による台湾統治をもたらすという皮肉な結果を招いたと言ってもいいだろう。◆台湾問題の根源は「長春陥落」から発している台湾問題の根源は、習近平にしてみれば、遼瀋戦役にあり、その勝利を導いたきっかけは「長春陥落」にあると言っても過言ではない。事実、8月10日には習近平の遼寧省視察に合わせたように<台湾問題と新時代の中国統一事業>白書(※6)(「台湾白書」)が発表されている。習近平の遼寧省視察の背後には、「台湾問題」があることは確かだ。ロシアがウクライナを侵略したことにより、台湾問題が大きくクローズアップするのは十分に予想されたし、となれば習近平は第20回党大会前に遼瀋戦役記念館を視察するのではないかという予感はしていた。ロシアのウクライナ侵略は、幼少期に経験したソ連軍の長春侵攻を想起させたが、一方では「遼瀋戦役と台湾問題」という絡みから、実はこのタイミングしかないと思って『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※7)の出版に踏み切ったという側面も否めない。それは1948年から填め続けてきたジグゾーパズルの「最後の一かけら」を填め込む作業でもあった。だから習近平が遼寧省視察に出かけたのを知った時には、「読めた!」という、ある種の胸の高鳴りを覚えたのである。8月10日に出された「台湾白書」は、習近平の台湾問題に対する戦略だけでなく、今後の日本の運命とも深く関わってくるので、改めて折を見て分析したい。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3521(※3)http://www.news.cn/politics/leaders/2022-08/18/c_1128925891.htm(※4)https://grici.or.jp/3469(※5)https://grici.or.jp/3285(※6)http://www.news.cn/politics/2022-08/10/c_1128903097.htm(※7)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/08/25 10:26 GRICI 蒋介石「カイロ密談」と日本終戦の形 その線上に長春の惨劇「チャーズ」【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。日本を敗戦に追いやるためルーズベルトは蒋介石に共に日本を爆撃すれば琉球群島を中国にあげると誘ったが、蒋介石は断った。承諾していれば戦後の日本は米中が統治する形になっただろう。チャーズもその線上にある。◆カイロ密談——蒋介石、琉球占領を何度も拒否1943年1月9日、当時のアメリカ大統領・ルーズベルトは「中華民国」国民政府の主席・蒋介石に電報を送った。11月22日にイギリスのチャーチル首相と3人で会談したいのでエジプトのカイロに来るようにとの依頼だった。こうして開かれたカイロ会談は有名だが、この時にルーズベルトと蒋介石の間に交わされた機密会談があったことは、あまり知られていなかった。なぜならルーズベルトが蒋介石に「一緒に日本をやっつけようではないか(=一緒に爆撃しようではないか)。そうすれば日本を敗戦に追いやった後、琉球群島をすべて中華民国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞いたのに、蒋介石はそれを断り、そのことをひどく後悔していたので、誰にも漏らすなと言っていたからだ。筆者はその実態を調べるべく、かつてカリフォルニアにあるスタンフォード大学のフーバー研究所に通いつめ、蒋介石直筆の筆書きによる日記を読み解き、アメリカ公文書館にも行き、また台湾の台北国家図書館にも行った。その総合的な結果として以下のようなことが言える。発見した資料の数百分の一にも満たないが、要点だけを略記する。***1943年11月23日夜、蒋介石は王寵恵(おう・ちょうけい)(国民政府外交部長や国防最高委員会秘書長など歴任)を伴ってルーズベルトと単独会談を行い、日本が収奪した中国の土地は中国に返還されるべきであるという4項目の要求を提出した。日本が太平洋で占拠した島嶼の剥奪に関して話が及んだ時に、ルーズベルトは蒋介石に「琉球群島は多くの島嶼によって出来上がっている弧形の群島である。日本はかつて不当な手段でこの群島を収奪した。したがって奪取すべきだ。私は、琉球は地理的に貴国に大変近いこと、歴史上貴国と緊密な関係があったことを考慮し、もし貴国が琉球を欲しいと思うなら、貴国にあげて管理を委ねようと思っている」と語った。蒋介石は「私はこの群島は米中両国で占領し、その後、国際社会が米中両国に管理を委託するというのがいいかと思います」と回答。ルーズベルトは「蒋介石は琉球群島を欲しくないと思っているのだ」と解釈し、そのあとは何も言わなかった。しかし、43年11月25日、蒋介石とルーズベルトが再び機密会談をした時に、またもや琉球群島のことに話が及んだ。ルーズベルトは言った。「何度も考えてみたのだが、琉球群島は台湾の東北側にあり、太平洋に面している。言うならばあなた方の東側の防壁に当たる。戦略的位置としては非常に重要だ。あなた方が台湾を得たとして、もし琉球を得ることができなかったとしたら、安全上好ましくない。もっと重要なのは、この島は侵略性が身についている日本に長期的に占領させておくわけにはいかない、ということだ。台湾や澎湖列島とともに、すべてあなたたちが管轄したらどうかね?」ルーズベルトが再びこの問題を提起したのを見て、蒋介石は「琉球は日本によってこんなに長きにわたって占領されているため、もともとカイロ宣言に出そうと決めてあった提案には、琉球問題を含んでいなかった」ので、何と答えていいか分からなかった。ルーズベルトは蒋介石が何も答えないのを見て、もしかしたら聞こえてないのかと思って、さらに一言付け足した。「貴国はいったい琉球を欲しいのかね、それとも欲しくないのかね。もし欲しいのなら、戦争が終わったら、琉球を貴国にあげようと思うのだがね」蒋介石は「琉球の問題は複雑です。私はやはり、あの考え、つまり米中が共同で管理するのがいいのではないかと.…….」とあいまいに答えた。最後にルーズベルトは「米中両国で共同出兵し、日本を占領してはどうか」と持ちかけたのだが、蒋介石はそれでもやんわりと断っている。これ以降、ルーズベルトおよびアメリカ側のその他の人は、蒋介石の前では二度と再び琉球のことを言わなくなった。その結果、8月7日のコラム<「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言>(※2)で書いたように、1943年12月1日に公開された「カイロ宣言」で日本は中国の領土を返還しなければならないと書いた時に、ただ単に「たとえば満州国とか台湾とか澎湖列島など、日本が窃取した中国の領土」としか書かないで、琉球群鳥をその例に挙げなかったのである。しかし日本に無条件降伏を受諾させた「ポツダム宣言」の第八項には「カイロ宣言は履行されるべく」とあるので、「ポツダム宣言」に受け継がれているという事実によって法的効果を持つ。***すなわち、もし蒋介石がルーズベルトとの機密会談において「琉球群島占領」を拒否していなかったら、「中華民国」はアメリカとともに日本を空爆し、戦後の日本をアメリカとともに統治していたことになる。◆蒋介石「戦後の日本で天皇制を維持すべし」と主張前述したように筆者はアメリカ国務省にある公文書館の奥深くに潜んでいたカイロ会談の議事録を発見することに成功した。カイロ密談に関してはアメリカ側に正式記録がないために1961年に中国語から英語に翻訳されたドキュメントだ。なぜ1961年になってカイロ密談議事録の中国語版(王寵恵記録)が英訳されたかというと、1962年3月に沖縄返還ロードマップに関する当時のケネディ大統領のコミュニケが出されたが、これは1960年に東京都が夏季オリンピック開催地に立候補したことと関連している。そのときに沖縄をどう位置づけるのか、沖縄にも日の丸を掲げるのか、聖火リレーはどうするのかなどが話題になったからだ。この公文書の「中国の概要記録の翻訳」の部分のp.323の(2)には、戦後の日本にとって決定的な体制となる「蒋介石の提案」が書いてある。以下にその内容を記す。(2)日本の天皇家の地位に関してルーズベルト大統領は、戦後は皇室を消滅させようと思うが、どうかと蒋介石総統に聞いた。蒋介石は「これは日本政府の形の問題なので、日本人自身に任せて終戦後、彼ら(日本人自身)に決めさせればいいのではないかと思う。国際関係における永続的な問題を惹起しないようにした方がいいのでは」と答えた。さすが日本に留学し、日本の陸軍士官学校で学んだだけのことはある。日本の根本的な思想と構造をよく理解している。蒋介石の「天皇制は維持すべきだ」という主張がなかったら、戦後日本から続く現在の形はないことになる。「中国の概要記録の翻訳」の(3)には、ゾッとするような会話が記録されている。(3)日本に対する軍事的な占領に関してルーズベルト大統領は「戦後の日本に対する軍事的占領に関しては、中国こそがリーダー的な役割を果たすべきだ」という考えを持っていた。しかしながら、蒋介石総統には、そのような重責をひとり中国が担うなどという心づもりはなかった。この業務はアメリカが遂行すべきで、中国は必要に応じてその支援に参加する程度の立ち位置であるべきだと、蒋介石は考えていた。蒋介石はまた、事態の進展に応じて最終的な決定をすればいいと考えていた。(引用ここまで)これは何を意味しているかというと、蒋介石にとって重要なのは他の国をどのように制覇するかではなく、自国、中国の覇者として自分が残りたいという強烈な思いしかなかったと解釈すべきだろう。しかし毛沢東が中国共産党軍を率いて起こした革命戦争は蒋介石を台湾に追いやってしまったので、日本は危うく「中華民国」ではなく、現在の中国共産党による「中華人民共和国」に統治されるところだったということになる。◆長春の惨劇「チャーズ」はカイロ密談の線上にあるこのようは機密会談を経て公開された「カイロ宣言」には、繰り返しになるが、8月7日のコラム<「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言>(※3)に書いたように、「満州国」を「中華民国」に返還することが明記してある。だから蒋介石は「満州国」の国都「新京」(=長春)を死守した。ルーズベルトの、「もしアメリカと一緒に日本を爆撃するなら、日本を敗戦に追いやったあと、琉球(沖縄)を中華民国にプレゼントする」という誘いを断って、「満州国」の国都だった「長春」を死守し、「中華民国の主は誰か」を全世界に見せようとした。しかし、蒋介石のその思いは拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※4)に描いたように、苦しく潰(つい)え去った。こうして台湾に追いやられた蒋介石の「中華民国」と日本は断交したのだ。中国共産党が統治する「中華人民共和国」の魅力に惹かれて、「大日本帝国」と闘いながらも「日本国」を守ろうとした蒋介石の悲願である「中華民国」の存在を否定し、日本は「中華民国」と国交を断絶したのだ。蒋介石がどれほど悔しい思いを抱いたか、想像できるだろうか?中国(中華人民共和国)と国交正常化できたことに狂喜しておきながら、今となって「中国の一方的な国際秩序への挑戦に断固反対する」などと、今度もまたアメリカの尻馬に乗って叫ぶ日本政府の節操のなさよ・・・。それならなぜ、50年前の1972年に日中国交正常化に狂奔したのか?歴史を俯瞰(ふかん)する視点を持つ力がない日本政府に問いたい。長春の惨劇「チャーズ」は決して日本と無関係ではない。日本を慮(おもんぱか)った蒋介石の悲願が招いた惨劇でもあったのだ。その意味でも、一人でも多くの日本人に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※5)にお目通しいただきたいと、唯一の生き証人として願うばかりだ。中国共産党体制によって改ざんされ抹殺されていった「チャーズ」の惨劇は、読者の心の中にしか墓標を建てることができない。明日8月15日は終戦記念日である。すべての犠牲者のご冥福を心から祈りたい。写真: 『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の表紙の一部(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3469(※3)https://grici.or.jp/3469(※4)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/(※5)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/08/15 10:20 GRICI 中国はなぜ台湾包囲実弾軍事演習を延長したのか?中国政府元高官を単独取材【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。本来8月3日から7日までとした台湾包囲実弾軍事演習を、中国軍は8月9日まで継続して行った。なぜ延長したのかを中国政府元高官に単独取材して、中国の本音を引き出した。◆8月10日に東部戦区連合軍事演習完了を宣言8月10日、中国人民解放軍東部戦区のスポークスマンである施毅陸軍上級大佐は<東部戦区が台湾島周辺海空域で組織した連合軍事行動は、成功裡に各任務を完了した>(※2)と宣言した。施毅は「最近、台湾島周辺海空域で行ったさまざまな種類の部隊が系列的に連合した軍事行動は、成功裡に各項目にわたる任務を完了し、部隊が一体化して連合同時作戦を断行する能力を、非常に効果的に検証することができた。今後、東部戦区部隊は、台湾海峡情勢の変化を常に緊張して注視し、引き続き軍事訓練と戦闘準備を展開し、台湾海峡の戦闘準備警巡(警戒パトロール)を常態化させ、国家の主権と領土保全を断固として守る」と語った。◆なぜ延長したか:中国政府元高官を単独取材10日に軍事行動完了の宣言をしたのだから、8日と9日の二日間、本来の実弾軍事演習の日程終了を延長して継続的に軍事演習を行なったことになる。実弾軍事演習を実行している限り、その海空域への立ち入りが禁止されるのだから、台湾だけでなく、台湾と交易を行う他の関係国への被害は甚大だ。特に今回の包囲網の一部は日本のEEZ(排他的経済水域)をも含んでいるので、日本の漁業関係者にとっては、とんでもない損害を与えられる結果を招いた。この2日間の延長に関して、中国政府は理由を公表していない。そこで中国政府元高官を単独取材して聞き出した。以下、Qは筆者、Aは中国政府元高官である。Q:なぜ、初期の予定を変更して延長したのですか?A:そりゃ、当然だ。中国が軍事演習を始めた3日の後になって、アメリカの国家安全保障会議の(戦略通信コーディネーターである)ジョン・カービーというヤツが4日、「ワシントンは今後数週間で台湾海峡を通過する標準的な空と海の横断作戦も実施する」と言っただろう?Q:そうですね。たしかにそう言っていました。彼は当時、国防長官のオースティンがレーガン号とその攻撃グループの軍艦に「状況を監視する」ために近くに留まるよう指示したと述べていますね。A:ほら、そうだろう?アメリカの国防総省は、8日、「米軍は今後数週間で台湾海峡を通過する」と主張しただけでなく、「同盟国とパートナーへの支援」を示すために他の地域でも「航行の自由作戦」を実施すると発表してるんだよ。アメリカは1972年の時点では、自国の都合から「一つの中国」を認めて、いわゆる「中華民国」と国交断絶をしながら、今になって中国がアメリカを超えるほど強くなるのを恐れて、中国に対して内政干渉をしてくる。Q:たしかに積極的に毛沢東の中国に接近してきたのはアメリカですから、あのときアメリカこそが自然な流れの国際秩序を乱したと私は思っています。A:おまけにだね、あの生意気なコリン・カール国防次官は8日、「アメリカ政府は中国が台湾を軍事的に占領する可能性に関する見通しを変えていない」と言いながら、「中国が向こう2年以内に台湾占領を試みることはない」という見解を示している。それでいながら「米軍が向こう数週間以内に台湾海峡通過を実施する」と言ってるだろ?それを阻止しないわけにはいかないのさ。Q:だから軍事演習を延長したのですか?A:そうだ。それが最も大きな原因だ。Q:では、アメリカの空母レーガン号が台湾海峡を通過することに対抗するためということになりますか?A:対抗ではない!阻止だ!アメリカの他国への内政干渉を阻止するためだ。そもそも台湾海峡の「中間線」など中国は認めていない。そんなものは存在しない。台湾は「一つの中国」の中の領土の一つで、アメリカは「中国を代表する国としては唯一、中華人民共和国しかない」と認めて「中華民国」と国交断絶しておきながら、中国の領土主権を脅かす行為など、絶対に中国人民は許さない!◆ペロシ訪台により中国人民の愛国心は一つになり、習近平の求心力は高まったQ:「14億の中国人民は許さない」という言葉は、習近平がバイデンとの電話会談の時にも使った言葉ですが、このたびのペロシ下院議長の訪台によって、中国人民は結束を強めたと思いますか?A:もちろんだ!国内における、どんなスローガンよりも中国人民の心を一つにさせて、熱く燃え上がらせた。台湾島における軍事演習の模様は、多くの中国人民の眼球を惹きつけ、仕事にならないほどレーガン号の航路を追い続けて、それは凄かった。誰もが自然に「中国軍、頑張れ!」という気持ちになる。Q:では、習近平の求心力は高まったということになりますか?A:もちろんだ!一気に高まった。習近平のもとで心を一つにしていないと中国はアメリカにやられるという気持ちが高まって、軍の最高指導者としての習近平への声援が高まるのは当然だろう。◆台湾国軍の反上陸射撃訓練と中国人民解放軍の上陸軍事演習Q:中国人民は台湾が嫌いですか?A:嫌いなわけがないだろう。台湾人は我が同胞だ。しかし蔡英文がいけない。彼女はアメリカに追随して、台湾人民の経済を圧迫するだけでなく、危険にさらしている。現に、台湾の国軍は9日から中国人民解放軍に対する「反上陸射撃訓練」を始めている。Q:だから山東省の連雲港や大連などで、浜辺に近いところで上陸実弾軍事演習をしたと考えていいですか?A:そう解釈しても構わない。Q:実は私は日本語のコラムで、あれは台湾包囲実弾軍事演習の「上陸部分」を補うための軍事演習だと書いたのですが、それで正しかったかしら?(参照:8月9日のコラム<中国軍は台湾包囲実弾軍事演習と同時に「上陸演習」も実施していた>(※3))A:ほう、それは珍しい。外国人で、それを読み解いている人はいないんじゃないかな?Q:まちがってはいなかったようで、安心しました。中国政府元高官との話は延々と続き、このあとは、台湾の半導体の問題とアメリカの半導体同盟形成や台湾政策など、種々のテーマに関して、中国側の考えを引き出した。それらに関しては、追って一つずつご紹介したいと思っている。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://passport.weibo.com/visitor/visitor?entry=miniblog&a=enter&url=https%3A%2F%2Fweibo.com%2F7483054836%2FM0oNLFfud&domain=.weibo.com&ua=php-sso_sdk_client-0.6.36&_rand=1660266621.6288(※3)https://grici.or.jp/3478 <FA> 2022/08/12 10:14 GRICI 「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。1947-48年に起きた惨劇「チャーズ」が長春で起きた背景にはカイロ宣言がある。宣言には「日本が中国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還する」とあり、その象徴が「満州国の新京(=長春)」だったからだ。蒋介石は「中華民国の領土主権は誰の手の中にあるか」を国際社会に示したかった。◆カイロ会談が行われた背景1943年11月22日、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相および「中華民国国民政府の蒋介石主席がエジプトのカイロに集まった。すでに趨勢が見えてきた第二次世界大戦(1939年~45年)の戦後処理を話し合うためである。その戦後処理は主として連合国側の対日基本方針に絞られていた。なぜか。それは当時の中国である「中華民国」の蒋介石が、日本(大日本帝国)と「中華民国の間で行われた日中戦争(1937年~45年)に抗して戦う「抗日戦争」を断念して、対日単独講和を結ぶ可能性があったからだ。今さら言うまでもないが、第二次世界大戦はアメリカ、イギリス、フランス、(旧)ソ連および「中華民国」等の「連合国側」と、ドイツ、日本、イタリアの三国連盟を中心とする「枢軸国側」に分かれて戦われた戦いである。しかし「中華民国」は「連合国側」としての恩恵に与ることができず、英米からの支援が少ないことに不満を持っていた。蒋介石夫人の宋美齢は国民党航空委員会秘書長として活躍し、1940年、その美貌も活かしてアメリカのフライイング・タイガーズ(Flying Tigers)(飛虎隊)の志願軍的協力を得ることに成功してはいた。しかしそれも、日本軍の空軍力に押されて1942年には解散している。蒋介石は劣勢に立たされていた。特に当時の国民政府は親日派の南京政府と親米英派の重慶政府(中央政府)に分かれており、南京政府には汪兆銘が、重慶政府には蒋介石が君臨していた。ただし南京政府は日本傀儡政権であり、そこに仕えていたのが江沢民の実父である。汪兆銘は日本と戦う気はない。実は米英寄りの蒋介石自身も、1910年に日本の振武学校を卒業したあと日本陸軍第十三師団第十九連隊に士官候補生として入隊した経験を持つ。本来が日本びいきだ。抗日戦争を継続すべきか停戦して講和条約を結ぶべきか、揺れ動いていたところがある。特に中国共産党軍を敗退に追いやって「中華民国」を堅持し、汪兆銘に勝つことの方を優先しているという噂が囁かれ、連合国側に伝わっていた。そこでアメリカのルーズベルト大統領はわざわざ蒋介石をカイロに呼んで、米英中三ヶ国「巨頭」として蒋介石を位置づけたのだ。共産党陣営のトップである旧ソ連のスターリンが日本敗戦後に共産圏に有利な陣営を布くことも警戒していただろう。ルーズベルトはチャーチルの反対を押し切って蒋介石を祭り上げ、対中支援をすることも約束。「だから日本が無条件降伏をするまで戦おう」と呼びかけ、蒋介石が日本との単独講和条約を結んで停戦してしまうことを禁じたのである。◆蒋介石に「長春」を選ばせたカイロ宣言の中の文言有頂天になったのは蒋介石。米英のほかにソ連やフランスといった大国がある中、「中華民国」を連合国側の「三大巨頭」として扱ってくれたのだ。しかも「中華民国」のトップリーダーとして、私、蒋介石を特別の名指しでアメリカ大統領が指名して連絡してくれた。筆者は蒋介石のそのときの心理を正確に読み解くために、蒋介石の手書きの日記が所蔵してあるアメリカのスタンフォード大学にあるフーバー研究所に通い詰めた。日記からは「どんなことでも約束しよう」という高揚感が伝わってくる。43年12月1日、「カイロ宣言」がメディア公開された。実は「カイロ宣言」には署名がなく、その有効性に対して、のちにチャーチルは否定しているが、しかし蒋介石にとっては、この上なく重要なものであった。蒋介石が執着したのは「カイロ宣言」の中にある次の文言である。***It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914. And that all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China.(三大)同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以降において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島を日本国から)剥奪すること、並びに満州、台湾および澎湖島の如き、日本が中国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある。***この文言のために、蒋介石は「中華民国の領土主権は誰の手の中にあるか」を国際社会に対して明示したいという強烈な欲求に駆られたのである。日本が中国「侵略」の拠点としていたのは「満州国」の国都として定めた「新京」。すなわち、長春だ。その「長春」に誰がいるか、その「長春」を誰が支配しているかは、「中華民国の領土主権は誰の手の中に戻されたか」を示す以外の何ものでもない。だから「長春」だけは手放してはならない。こうして「長春食糧封鎖」が存在したのであり、もし「満州国」の国都が「新京」でなかったのならば、「長春食糧封鎖」は存在しなかったと筆者は確信する(長春食糧封鎖に関しては、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※2)。もし「新京」が国都でなかったとすれば、蒋介石が早々に「長春」を手放して、戦争拠点としてはもっと有利な瀋陽を選んだだろうからだ。1945年9月18日、中国共産党は瀋陽に中共東北局を設立している。しかし1946年3月12日には国民党が瀋陽を占領した。ソ連軍が撤退すると、蒋介石は瀋陽に国民党の選りすぐりの精鋭部隊(第一軍、第六軍、第十三軍、第五十二軍、第七十一軍、第七十一軍など)を結集させて、東北一帯における最大規模の軍隊と武器で固めた。だから食糧封鎖されたあとの長春にいた国民党軍の食糧は、すべて瀋陽からの空輸に頼っていた。つまり食糧補給庫が瀋陽にあったのだから、瀋陽を拠点として戦った方がずっと有利だったはずだ。空路だけでなく、鉄道を使った陸路にしても葫蘆島を通した海路にしても、南京政府との交流がしやすい。特に瀋陽には故宮がある。瀋陽故宮は明王朝や清王朝時代からの皇宮や離宮があり、辛亥革命により清王朝を倒して誕生した「中華民国」という視点に立てば、瀋陽を拠点とすべきだっただろう。おまけに中国共産党軍が東北局を設立していた場所だ。それを占拠したという意味においても、「中華民族」同士の内戦なのだから、瀋陽を選ばない理由はなかったはずだ。にもかかわらず、守りには不利な「長春」を選んだ。このことから考えても、蒋介石がいかにカイロ宣言にこだわり、いかにそこにある「日本が中国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還する」という文言にこだわったかが、明らかになる。「満州国」がなかったら、そしてその国都が「新京(長春)」でなかったら、「長春食糧封鎖」はなかったと筆者は確信する。長春を死守しようとしたために瀋陽からの空輸を余儀なくされた。その空輪も困難となり、雲南から派兵された国民革命軍第六十軍は食糧配給において冷遇された。それが共産党軍(中国人民解放軍)への寝返りにつながり、国民党軍は敗退した。1948年10月17日のことだ。実際に長春が「解放」されたのは10月19日。筆者の一家が長春を脱出した1ヶ月あとのことである。「解放」とは「中国人民解放軍が国民党に勝利すること」を指し、「国民党の圧政から人民を解放した」という意味合いから中国共産党が使う言葉だ。長春陥落により、解放戦争は一気に共産党側に有利に進み、人民解放軍の南下に伴って中国全土がつぎつぎと「解放」され、1949年10月1日の中華人民共和国誕生につながっていくのである。筆者は、その要の拠点にいたことになる(長春食糧封鎖の詳細は拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※3))。◆台湾問題の深淵も「カイロ宣言」と関係 中華民国を国連脱退に追い込んだ日米の罪8月5日のコラム<「台湾海峡の平和及び安定の維持に関するG7外相声明」を斬る>(※4)に書いたように、現在の台湾問題を招いた直接の原因は、アメリカが中華人民共和国(現在の中国)を選んで、中華民国(台湾)を国連脱退に追い込んだことにある。しかし、もっと深い根源をたどっていくと、カイロ宣言の、本稿で引用した関連文言と密接に関連している。そこに「台湾、澎湖島」ともあるのを見逃さないようにして頂きたい。もっと正確に言うならば、ルーズベルトと蒋介石の間で交わされた「カイロ密談」に深く関係しているのである。長くなるので、これに関しては、また別途書くつもりでいる。日本の皇居や天皇制を守ろうとし、日本を敗戦に追いやるに当たり、日本を徹底して破壊しようとはしていなかった蒋介石の日本への敬意が切ない。だからこそ、なお一層、中国と国交正常化したいあまり、中国の要求に従って中華民国と断交し、中華民国を国連脱退へと追いやった日米の打算が許せないのである。写真: Shutterstock/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3285(※3))https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/(※4)https://grici.or.jp/3460 <FA> 2022/08/08 10:27 GRICI 中国から批判が集中した、長春の惨劇「チャーズ」に関するYahooのコラム【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。6月27日にコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>を書いたところ、中国の古い友人や知人から連絡が殺到し、注意喚起を受けた。中国のネットで遠藤批判が広がっているという。◆『もう一つのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』に関するコラム6月27日、コラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※2)を書いた。リンク先をご覧いただければお分かりになるとは思うが、アクセスなさらない方もおられるかもしれないので、繰り返しになるが、もう一度略記する。1946年夏、終戦後に中国に遺された日本人約百万人の日本帰国(百万人遣送)があったが、このとき中国吉林省長春市にいた私の一家は、父が技術者であったために帰国を許されなかった。1947年になると、国民党政府に最低限必要な日本人技術者を残して、他の日本人は強制的に日本に帰国させられた。最後の帰国日本人が長春からいなくなった1947年晩秋、長春の街から一斉に電気が消えガスが止まり、水道の水も出なくなった。共産党軍による食糧封鎖が始まったのだ。餓死者が出るのに時間はかからなかった。行き倒れの餓死者や父母を失って街路に這い出した幼児を犬が食べ、その犬を人間が殺して食べる。しまいには、中国人だけが住んでいた(満州国新京市時代に)「シナ街」と呼ばれていた区域では「人肉市場」が立ったという噂を耳にするようになった。私の家からも何人も餓死者が出て、このまま長春に残れば全員が餓死すると父は判断し、1948年9月20日、私たち一家は長春を脱出することになった。その前日、一番下の弟が餓死した。このとき長春は二重の鉄条網で囲まれ、その鉄条網の間の真空地帯を「チャーズ」と称した。国民党側のチャーズの門をくぐって国民党軍に指示され、しばらく歩くと、餓死体が地面に転がっていた。餓死体はお腹の部分だけが膨らんで緑色に腐乱し、中には腐乱した場所が割れて、中から腸が流れ出しているのもある。共産党軍側のチャーズの鉄条網の柵近くに辿り着いた時は、暗くなっていた。ここに座れと指図したのは、日本語ができる朝鮮人の共産党軍兵士だ。脱出の時に持って出たわずかな布団を敷いて地面で寝た。生まれて初めての野宿だった。翌朝目を覚まして驚いた。私たちは餓死体の上で野宿させられたのである。見れば解放区側(共産党軍側)にある鉄条網で囲まれた包囲網には大きな柵門があり、共産党軍の歩哨が立っているが、その門は閉ざされたままだ。一縷(いちる)の望みを抱いて国民党側の門をくぐった難民はみな、この中間地帯に閉じ込められてしまったのである。水は一つの井戸があるだけで、その井戸には難民が群がり、井戸の中には死体が浮かんでいる。死んだばかりの餓死体をズルズルと引き寄せて、中国人の難民が輪を作り、背中で中が見えないようにして、いくつもの煙が輪の中心から立ち昇った。用を足す場所もない。死体の少なそうな場所を見つけて用を足すと、小水で流された土の下から、餓死体の顔が浮かび上がった。見開いた目に土がぎっしり詰まっている。この罪悪感と衝撃から、私は正常な精神を失いかけていた。4日目の朝、私たちはようやくチャーズの門を出ることが許された。父が麻薬中毒患者を治療する薬を発明した特許証を持っていたからだ。解放区は技術者を必要としていた。このとき父には父の工場で働いていた人やその家族、あるいは終戦後父を頼りにして帰国せず、父が面倒を見ていてあげた家族も同行していたが、その中にご主人は餓死なさって、奥さんと子供だけが残っていた家族もいた。すると、いざ出門となった時に、共産党軍の歩哨の上司がやってきて、「遺族は技術者ではない!」として、この親子だけを切り離して出門を許可してくれなかったのだ。父は八路軍の前に土下座して、「この方たちは私の家族も同然です。どうか、一緒に出させてください・・・!」と懇願した。しかし共産党軍兵士は、土下座して地面につけている父の頭を蹴り上げ、「それなら、お前もチャーズに残れ!」と、あおむけに倒れた父を銃で小突いた。父は断腸の思いでチャーズをあとにする決意をした。父の無念の思いを、私は日本帰国後何十年かした日の父の臨終の言葉で知った。仇を討ってやる!その思いで書いたのが『チャーズ 出口なき大地』(1984年)だが、何度復刻版を出しても絶版になり、このたび『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※3)として復刊した。一方、2017年12月に中国共産党が管轄する中国人民出版社から『囲困長春』という本が出版されている。中国共産党の非人道的行為は完全に隠され、あくまでも「国民党政府が悪いので多くの餓死者を招いた」としか書いてない。おまけに共産党軍は「9月11日から、チャーズ内の全ての難民を解放区に自由に出られるようにした」と書いてある。嘘だ!生き証人を騙すことはできない。習近平政権になってから、歴史を改ざんし中国共産党を美化した長春包囲作戦が新たに出版されたということは、習近平政権が歴史を改ざんしたということになる。この類の本は最終的には中央政府の「国家新聞出版広播電影電視総局」(2013年までの新聞出版総署)が許認可権を持っているからだ。だからこそ<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※4)というタイトルでコラムを書いた。◆中国から連絡が殺到!ところが、それからしばらくすると、いきなり中国各地というか、さまざまなレベルや種類の友人あるいは知人から連絡が殺到した。直接電話してきた人もいれば、スマホのメッセージに送ってくる人、あるいはパソコンにメールしてくる人など、一斉に動いたので、よほど何かあったのだろう。どうやら、上掲のコラムが中国語に訳されて中国のソーシャルメディアなどで流れたらしい。慌てたように忠告してきたその内容は、次の2点において共通していた。・チャーズに関して、習近平が歴史を改ざんしたと書いたのか?習近平が東北、長春の歴史など知ってるはずがないだろう?・友人だからこそ言うが、習近平を誹謗するようなことは書かない方がいい。身のためにならないので、やめた方がいい。そこで私は答えた:中国では中国共産党の歴史に関わるような本は、すべて新聞出版総署で出版の可否を審査する。私のチャーズの本の中国語版出版に関しては、1980年代半ばから約30年間にわたり中国の数知れぬほど多くの出版社に当たってきた。特に東北地域の出版社の社長は「実に素晴らしい!真実が書いてある。今なら何とかなるかもしれない」と言ってくれたが、結局は新聞総署まで行って不許可になった。新聞出版総署は習近平政権になってから国家新聞出版広播電影電視総局に改称したが、これは言論に関する全てを、より広範囲にわたって監視監督をするようになったということを意味する。天安門(六四)事件だって、習近平は認めてないではないか。中国共産党に不利な史実は全て改ざんし、それを指摘したものは逮捕されるのが中国だ。だからこそ私は言論の自由がない中国に見切りをつけたのだ。私はもう二度と中国に行かないから逮捕されることはない。心配には及ばない。◆中国の思想統一の深さと恐ろしさ連絡してきたのは友人知人たちなのだから、もちろん悪意はない。むしろ本気で私の身の安全を思ってくれたからこそ、息せききったように「忠告」してきたのである。しかし、その真剣さは、あまりに絶望的な思いを私に抱かせた。思想統一というのは、ここまで根深く個々人の思考を支配してしまっているのか。偶然に中国のあちこちから一斉に連絡があったということは、ほぼ全ての庶民に中国共産党による思想統一が徹底して染みわたっていることを意味する。1950年代初め、私は中国を侵略した国家の人間の一人であるとして、天津の小学校で激しいいじめに遭い、自殺を試みたことがある。そのいきさつに関しては拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※5)の後半で詳述した。いたたまれない屈辱感の中で生きることを選ぶのは限界だった。この一斉連絡は、あの時の苦しさを思い起こさせ、ふと、理論物理の研究を手放し、80年代初期に中国人留学生を助けるための道を選んでしまった人生に、救われない悔恨を覚えた。もう中国分析はやめようか。中国と関わらないところで生きていく道を選んだ方がいいのだろうか。中国は変わらない。中国共産党一党支配の恐ろしさは限りなく深い。画像:筆者作成(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3285(※3)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/(※4)https://grici.or.jp/3285(※5)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/08/03 10:19 GRICI 習近平三期目を否定するための根拠のまちがい【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。習近平三期目を否定する根拠として頻出しているのが5月25日に李克強が主催した10万人参加の国務院オンライン会議で、これを反習近平会議とし、国防部長が参加したのは軍が習近平から離れているという論理だ。あまりに奇想天外で中国政治のイロハを知らな過ぎ、このような論理が流布するのは日本人のために適切ではないと思われるので、そのまちがいを指摘し、正確な情報を提供したい。◆5月25日の国務院会議における李克強・国務院総理の演説内容5月25日、新華社電は<李克強はオンライン会議で全国の経済安定化に関する重要な演説を行った>(※2)ことを伝えた。国務院が招集した会議なので、国務院総理の李克強が演説し、司会は国務院副総理である韓正が務めた。演説の主たる内容は以下のようなものである。1.今年は、習近平同志を核心とする党中央委員会の強いリーダーシップの下、党中央委員会と国務院の配備をあらゆる面で実施し、困難な課題、特に予想を上回る要因の影響に力強く対処し、多くの実りある仕事をしてきた。2.しかし、3月以降、特に4月以降、雇用、工業生産、電気貨物輸送などの指標は著しく低下しており、2020年のコロナ流行の時に受けた影響よりも、深刻な側面がある。コロナの大流行を予め防御コントロールするためには、財政的・物的保障が必要で、雇用・民生を保護しリスクを予防するためには、開発支援が必要だ。3.コロナ流行の徹底した予防管理と経済・社会開発を効率的に調整し、信頼を固め、困難に立ち向かい、安定的な成長を図らなければならない。4.国務院のすべての部門は、この安定的経済成長に対して責任があり、緊迫感を以て中央経済作業会議と政府活動報告で特定された政策措置を上半期までに基本的に完了させなければならない。5.中央と地方の2つの積極性を発揮しなければならない。困難な問題を継続的に解決することは、あらゆるレベルの政府の行政能力のテストを行っているに等しい。コロナ流行の予防と管理をうまく行いながら、経済・社会開発の任務を完成しなければならない。大規模な貧困への逆戻りが起きないように各レベルの政府は留意せよ。6.国務院は26日、12の省に監査チームを派遣し、政策の実施を貫徹しているか否かに関する特別監査を実施する。各地方各レベルの政府の 第2四半期における経済指標は、国家統計局が法律に基づいて真実の結果を公布し、国務院に報告すること。7.習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想を指導の軸として、党中央委員会と国務院の配備に従い、経済・社会の円滑かつ健全な発展を促進すること。(李克強の演説概要はここまで)◆この会議のどこに「反習近平色」があるのか?日本の少なからぬメディアでは、5月25日に李克強が主催した国務院会議は、習近平のゼロコロナ政策を否定したものであり、したがって「反習近平」の狼煙(のろし)をあげたようなものだという解説が散見される。そもそも、国務院総理が国務院会議を開く時には、その前に必ず中共中央政治局常務委員会(今はチャイナ・セブン)会議で協議し、そこで合意した上で、チャイナ・セブンの一人である国務院総理・李克強に「指示」を出す。すなわち国務院会議の方向性も内容も規模も、すべて予め習近平をトップとしたチャイナ・セブンで協議決定しているのである。その決定に従って国務院総理である李克強が開催するのである。こうして開催された国務院会議で李克強が行った演説の要旨を、見やすいように「1」~「7」に分けて略記したわけだが、このどの項目から「習近平のゼロコロナ政策を否定する」要素を見い出すことができるのか、読者も実際に考察してみていただきたい。明らかに上記の「2」と「3」と「5」に、「コロナ感染の予防と管理」を厳しく守りながら、「同時に経済発展できる道」を模索しようという努力目標を確認し合っている。「5」では習近平のスローガンの一つである「共同富裕」を守るべきだということまでが書いてある。また冒頭の「1」に「習近平同志を核心とする」という、極めつけの言葉があり、演説の最後も「7」にあるように「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想を指導の軸として」という言葉を盛り込んで締めくくっている。習近平礼賛で始まり、習近平礼賛で締めくくった演説で、「習近平のゼロコロナ政策を否定した反習近平集会」などという要素は微塵もない。そもそも武漢でコロナ患者が最初に発症した時、すぐさま武漢封鎖に踏み切らせたのは李克強だ。習近平がミャンマーに外遊しており、コロナが発生したという緊急連絡を李克強から受けても、なおのんびりと雲南で春節巡りをしていたことは執拗なほど追いかけてコラムを書いてきた(たとえば、2020年2月10日のコラム<新型肺炎以来、なぜ李克強が習近平より目立つのか?>(※3)などを参照)。このように、ゼロコロナ政策をスタートさせたのは李克強自身なのである。それを今になって、あたかも習近平が言い始めたゼロコロナ政策であるかのように勘違いしてしまっているとしたら、習近平の目論見(もくろみ)は大成功を収めているという皮肉な結果を招いていることになる。習近平の政策だという「勘違い」を生ませたのは、アメリカがコロナを制御できず、トランプ大統領が「チャイナ・ウィルス」と言い始めたため、その頃ほぼ完全にコロナから脱却していた中国に関して、習近平が「社会主義制度の優位性」を主張したことから始まっているだけだ。騙されてはいけない。◆出席した幹部:国防部長・魏鳳和は国務委員なので必ず出席5月25日に李克強が招集したのは「国務院会議」なので、当然のことながら「国務院副総理」や「国務委員」が出席していなければならない。さらに国務院管轄下の中国政府の中央行政省庁の長もまた、必ず出席を要求される。さて、国務院副総理には誰がいるだろうか。韓正、孫春蘭、故春華、劉鶴だ。この4人は全員出席していた。では国務委員には誰がいるのか。魏鳳和、王勇、肖捷、趙克志そして王毅だ。この日、王毅はソロモン諸島に出張していた(※4)ので、王毅だけは欠席しているが、その他の国務委員は全員出席している。その中に国防部長の魏鳳和がいた。国防部長は、外交部長や教育部長など、すべての中国人民政府の中央行政省庁の長(部長=大臣)なので、その意味でも必ず出席しなければならない。ところが、中国の政治構造のイロハを知らない一部の「中国研究者」は、なんと「経済に関係ない国防部長の魏鳳和が出席していたということは、軍までが反習近平に回った何よりの証拠だ」と結論付けている。だから、「習近平は軍を掌握していない」ので、「習近平の三期目続投はない」というのが、そういった「中国研究者」たちが導く結論だ。いやはや、これを見た時は、さすがに度肝を抜かれた。ここまで中国政治の基本を知らないで、習近平三期目の可能性を論議するのは、いくら何でも適切ではないだろう。日本の一般の読者の方々に間違った情報を叩き込み、まちがった憶測を呼ぶと、政治にも経済にも良い影響は与えない。三期目の可能性がどうなのかを論じるのは、もちろん大変結構なことだ。誰にでも、それを考察する権利はある。ただ、考察する際に、その根拠となる事実が間違っていたら、推論は成立しない。◆10万人規模の参加者など何十年も前からオンライン会議の参加者が10万人と大規模なので、これも反習近平派が習近平に圧力をかけるための李克強の計算だというようなことまでが、実(まこと)しやかに書かれているのを見ると、これも同様に「度肝を抜かれるほど」驚いてしまうのである。なぜなら、何十万人規模の会議というのは、中国建国以来続いているもので、昔はラジオ一台を壇上の机の上に乗せて、省・直轄市・自治区レベルから村レベルに至るまで、全関係者が講堂や大きな会議室にキチンと着席して聞いたものである。全中国人民に対して行う毛沢東のスピーチなどもあり、小学校の講堂に集められたり、街角に備えてある巨大なスピーカーから毛沢東の声が流れて、誰もが「ありがたく」、そして「尊崇の念」を以て聞いたものだ。中国共産党の思想統一のためのピラミッドは、尋常ではないことを知るべきだろう。今ではテレビもあればパソコンもあり、どんなことでもできる。しかし会議に参加して視聴していいのは限られている場合が多いから、やはり一ヵ所に集まって整列して視聴するのである。たとえば、このような県政府レベルの通達(※5)もあり、服装までが決められている。なぜならテレビが普及してからは、視聴している村レベルの委員たちの場面を撮影して全国放送する場合があり、また服装まで統一させれば紀律性と遠隔においても権威性を高める効果もあるからだ。習近平三期目がどうなるかは興味深いが、推測の基本となる情報は信頼性のあるものを根拠にしなければ意味がない。まちがった根拠の多くはアメリカに移り住んだ中国大陸の者が、アメリカで生きていく手段としてアクセス数を増やすため、「注目を浴びる」という目的だけで、ネットユーザーが喜びそうなデタラメな情報を流すことが原因であることが多い。日本の中国研究者は、そういった情報にすぐに飛びつく。その典型的な例に関しては、追ってまた、機会を見てご披露したい。写真: 代表撮影/ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)http://www.gov.cn/xinwen/2022-05/25/content_5692298.htm(※3)https://grici.or.jp/885(※4)https://www.fmprc.gov.cn/wjbzhd/202205/t20220526_10692929.shtml(※5)http://jxx.nc.gov.cn/jxxrmzf/dztzgg/202205/cac033a068a548e3b86dc00a36072ae0.shtml <FA> 2022/08/01 16:27 GRICI 米中首脳電話会談——勝敗は「ペロシ下院議長の訪台」次第(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆アメリカ側が発表した米中首脳電話会談の内容アメリカ時間7月28日、ホワイトハウスは米中首脳会談に関する内容を以下のように発表した(※2)。その概略を示す。・バイデン大統領は本日、中華人民共和国の習近平国家主席と会談した。この呼びかけは、米中間のコミュニケーションを維持し深め、責任を持って私たちの違いを管理し、私たちの利益が一致する点では協力するというバイデン政権の努力の一環である。・この呼びかけは、3月18日の2人の指導者の会談と、米中両国高官の間の一連の会話に続くものだ。両首脳は二国間関係やその他の地域的および世界的な問題にとって重要なさまざまな問題について話し合い、特に気候変動と健康の安全に取り組むために、今日の会話をフォローアップし続けるようチームに命じた。・台湾について、バイデン大統領は、「アメリカの政策は変更されておらず、アメリカは、現状を変更させる一方的な動きや、台湾海峡の平和と安定を損なうことに強く反対する」と強調した。◆ペロシの動きに関して7月29日に行われた中国外交部定例記者会見において、記者が「米中首脳会談中にペロシ下院議長訪台に関する話題は出ましたか?」と質問したのに対して、趙立堅報道官は「皆さんご存じのように、このたびの電話会談はペロシ下院議長が訪台を計画しているという背景の下で行われたのだ」と回答し、質問をはぐらかした。アメリカのペンシルバニア州にいる友人からメールが来て、ペロシはもう82を過ぎていて年齢的に次はないので、自分の後継者に関してバイデンに圧力をかけるため、嫌中行動を強行しようと、一種の交換条件を提示しているという要素があると知らせてきた。次期政権がバイデンになるとは限らないし、バイデンの支持率が低迷しているので民主党が勝つとは限らないのではないかと聞いたところ、「ペロシは自分の夫がNVidiaの株を購入することに関してインサイダー取引があったのではないかという批判を浴びている(すなわち、アメリカでのCHIPS法案が成立する直前に株を購入してぼろ儲けをしている(※3))ので、その批判をかわすためにバイデンや民主党に対して利益交換をしているとも言われている」と教えてくれた。加えて、ペロシが呼び掛けた訪台代表団に関しては、少なからぬ議員が「都合が悪いので」などと言い訳をして断っているという情報も飛び交っている。あるいは、バイデンとしては、習近平には「台湾独立を支持しない」と言いながら、ペロシ訪台に関しては下院議長としての意思決定なので、自分にはどうしようもないとして逃げる可能性もなくはない。そうは言っても現実問題として、ウクライナ戦争を仕掛けたバイデンとしては、ウクライナに何としても勝ってもらわないと困るが、アメリカのLNG(液化天然ガス)産業関係者と武器製造業者だけはぼろ儲けしていても、物価高騰などによりアメリカ経済は疲弊しているので、ここに台湾衝突が加われば対処しきれず、中間選挙も大統領選も失敗する可能性が高くなるので、ペロシの訪台はバイデン政権にメリットをもたらすとは思えないという側面は否めない。あと数日で趨勢は決まるだろう。この視点でゆくえを見守っていきたい。写真: 新華社/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/07/28/readout-of-president-bidens-call-with-president-xi-jinping-of-the-peoples-republic-of-china/(※3)https://www.reuters.com/markets/us/pelosis-husband-dumps-nvidia-stock-house-eyes-chip-bill-2022-07-27/ <FA> 2022/08/01 10:36 GRICI 米中首脳電話会談——勝敗は「ペロシ下院議長の訪台」次第(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってお届けする。7月28日夜、習近平・バイデンの電話会談があったが、米中の勝敗と今後の世界のゆくえはペロシ下院議長が訪台するか否かで決まる。中国があれだけ抗議した中で行われたからだ。◆ペロシ下院議長の訪台に対する中国側の尋常ではない抗議ペロシ米下院議長が台湾を訪問する予定があると最初に報じたのはイギリスのフィナンシャル・タイムズで、7月18日のことだった。すると翌19日の定例記者会見で中国外交部の趙立堅報道官は直ちに反応し、「断固として反対する」と激しい顔で叫んだだけでなく、その後も複数回にわたって抗議を表明し、しまいには「可能な限りの無慈悲な懲罰を与えると思え」という趣旨の言葉を使うようになり、抗議表明がエスカレートしていった。抗議をしたのは外交部だけではない。中国国防部の報道官までが<もしペロシが訪台すれば、中国の軍隊は絶対に座視しないと思え>(※2)と宣告し、「レッドラインを超えるな」という勢いだった。国防部までが抗議表明したのは、相当に危険領域に入っているという事態を表している。一方、7月20日、バイデン大統領は記者会見でペロシの訪台に関して聞かれ、「軍(国防総省)があまり賛成していない」(※3)という趣旨のことをムニャムニャと言葉を濁しながら言っている。電話会談が始まる前の7月27日のBloomberg(※4)は、ペロシのアジア訪問には、日本、インドネシア、シンガポールへの訪問が含まれる予定だが、台湾訪問の可能性は、公式の旅程から外れたままであると関係筋が述べていると書いている。ペロシ自身は「安全上の懸念を理由に」旅行スケジュールについて公表することを避けているという。多くのメディアは、ペロシが訪台すると、これは1997年に共和党のギングリッチ下院議長が訪台して以来のこことなると報道しているが、中国の元政府高官を取材したところ、ギングリッチの場合は、きちんと北京を訪問して、「挨拶」をした上で台湾を訪問しているので、「こんなことは初めてだ!1997年の情況とはわけが違う!」と立腹している。調べてみると、たしかにギングリッチの場合は1997年3月29日に江沢民国家主席に会い(※5)、同じ日に李鵬首相にも会っていて(※6)、その上で3月30日に東京に向かい(※7)、その後、4月2日に台北に行って李登輝総統に会っている(※8)。したがって、中国政府の元高官が言う通り「わけが違う」のかもしれない。今般は、このような中で行われた米中首脳電話会談なので、一つの可能性として考えられるのは、水面下で「ペロシ訪台をやめた」とアメリカ側が譲歩したからこそ習近平はバイデンと電話会談することを承諾したのかもしれないことが考えられる。しかし、もうひとつには、ペロシは下院議長としてバイデンの指令下にはない独自の決定権を持っているので、あるいは29日にワシントンを出発したと言われているペロシのアジア歴訪は、「台湾」を含んでいる可能性も、完全には否定できない。となると、米中首脳電話会談の勝敗は、「ペロシ下院議長の訪台」如何(いかん)にかかっているということになる。つまり、会談前に「ペロシの訪台を取り下げなければバイデンとは会談しない」と習近平が突っぱねたのであれば、この時点で条件闘争において習近平の勝ちだし、ここまで抗議したにも拘(かか)わらず、結局ペロシが訪台するとすれば、習近平のメンツは丸つぶれになるということだ。◆中国側が発表した米中首脳電話会談の内容7月29日の00:05に中国外交部が発表した電話会談の内容(※9)によれば、米中首脳は双方の懸念事項について率直なコミュニケーションと交流を行ったとのこと。習近平は、「世界の混乱に直面して、国際社会と国民は、中国とアメリカが世界の平和と安全を維持し、世界の発展と繁栄を促進する上で主導的な役割を果たすことを期待している」と述べた上で、以下のようなことを言っていると報道している。・戦略的競争という視点から米中関係を定義し、中国を最大のライバルとみなすことは誤算を生み、中国の発展を誤読することにつながる。双方は、あらゆるレベルのコミュニケーションを維持し、既存のコミュニケーションチャネルをうまく利用して、協力をこそ促進するべきである。・現在の世界経済情勢は困難を極めており、米中はグローバル産業のサプライチェーンの安定性を維持させ、世界のエネルギーと食糧安全保障の確保など、主要な問題についてコミュニケーションを維持すべきだ。ルールに反して意図的に連鎖を断ち切れば、アメリカ経済にも災いをもたらし、世界経済をより脆弱にさせるだろう。・特定の地域の熱くなった問題点を煽るのではなく、その温度を下げるために努力すべきで、コロナと経済衰退のリスクを下げるべく国連を中核とする国際システム及び国際法に基づく国際秩序を維持するよう支援すべきである。・台湾問題に関する中国の原則的立場を重視すべきだ。台湾海峡の両側が「一つの中国」に属するという事実と現状は明確であり、「一つの中国」原則は中米関係の政治的基盤だ。 我々は、「台湾独立」という分裂と、外部勢力の干渉に断固として反対し、いかなる形態の「台湾独立」勢力にもいかなる余地を与えない。台湾問題に関する中国政府と中国人民の立場は一貫しており、中国の主権と領土の一体性を断固として守ることは、14億人以上の中国人の確固たる意志である。もし中国の民意に逆らって火遊びをすれば、大やけどを負うことになるだろう。これに対してバイデンは、以下のように述べたという。・米中協力は、両国の国民だけでなく、すべての人々にも利益をもたらす。アメリカは中国との円滑な対話を維持し、相互理解を促進し、誤解を回避し、利益を共有する分野で協力し、相違を適切に管理したいと考えている。・私は、アメリカの「一つの中国」政策が変わっていないこと、また、アメリカが台湾の「独立」を支持していないことを改めて述べたいと思う。その上で両首脳はウクライナ危機などについても意見交換を行い、習近平は中国の原則的立場を改めて表明した。両首脳は、この電話は率直で深く、今後もコミュニケーションと協力を継続するために、連絡を取り合うことに同意したと、中国外交部は報道している。「米中首脳電話会談——勝敗は「ペロシ下院議長の訪台」(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: 新華社/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)http://world.people.com.cn/n1/2022/0727/c1002-32486844.html(※3)https://www.whitehouse.gov/briefing-room/speeches-remarks/2022/07/20/remarks-by-president-biden-after-air-force-one-arrival-5/(※4)https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-07-27/pelosi-taiwan-trip-in-limbo-as-officials-plan-east-asia-stops#xj4y7vzkg(※5)https://cn.govopendata.com/renminribao/1997/3/29/1/#1072956(※6)https://cn.govopendata.com/renminribao/1997/3/29/2/#1072963(※7)https://rmrb.online/read-htm-tid-1127378.html(※8)https://www.president.gov.tw/NEWS/3979(※9)https://www.fmprc.gov.cn/zyxw/202207/t20220729_10729582.shtml <FA> 2022/08/01 10:32 GRICI 政教一致を謳う統一教会は台湾で政党結成【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。統一教会は「政治と宗教は一つにならなければならない」と主張しているようだが、日本では自民党に食い込むことはあっても政党結成にまでは至っていない。しかし台湾では既に政党を結成。取材したところ、「日本には公明党があるではないか」と反論された。◆統一教会の台湾における布教活動香港メディアの一つである「超越新聞網」は7月13日、<安倍刺殺は、恐るべき韓国の邪教を表面化させた!>(※2)というタイトルで、日本だけでなく、韓国や台湾などにおける統一教会の布教活動に関して詳細に論じている。台湾における統一教会の布教に関しては、統一教会自身による報道があるが、ここでは「超越新聞網」の報道を参考にして紹介したい。その報道には、おおむね以下のように書いてある。——1967年、(アメリカの)CIA(中央情報局)の要請により、文鮮明は日本人女性の福田修子(韓国系の鄭仁淑)を台湾に派遣し、1971年に合法的な宗教団体として登録した。それを知った蒋介石は激怒して、すぐにそれを禁止した。蒋介石の厳しい弾圧の下、統一教会は地下活動を行い、李登輝政権が登場するまで、「家庭教会」の形で持ちこたえようとした。1993年に李登輝の招待により、文鮮明夫妻は台北を訪問して「立法院」でスピーチをしたため、(邪教の)信者は一気に5万人に膨れ上がった。2011年に「統一教台湾総会」に改名し、「純愛運動」とか「理想の家庭創建運動」など21の支部が台湾で組織された(引用ここまで)。引用文の中にある「CIA」との関係に関して、同じく「超越新聞網」は「文鮮明が1950年代初期に韓国で世界基督教統一神霊協会(略称:統一教)を設立して活動していた時期、CIAは文鮮明を情報提供者として扱い、文鮮明はCIAの保護下に置かれていた」と説明している。1955年7月13日にソウルの警察側が文鮮明を「集団姦淫罪」で逮捕したのだが、同年10月4日、CIAの干渉により文鮮明は無罪放免となったという。韓国はアメリカの準植民地であるため、CIAは統一教会を反共主義の最前線として位置づけ、1957年にも韓国当局が文鮮明の農村における布教を(淫乱な)邪教が農村の生産性に影響を与えるとして拘禁すると、再びCIAが干渉してきて釈放した。その恩義に報いるために、文鮮明は1958年に(アメリカのもう一つの準植民地である)日本を訪問させ、布教に努めさせたのだと「超越新聞網」は書いている。さらにアメリカが力を及ぼしている台湾にも統一教会を派遣させたのが、冒頭の引用文に書いた「1967年」のことだと、「超越新聞網」は位置付けている。◆統一教会自身による台湾における活動の紹介2011年9月14日、統一教会は、世界平和家庭連合のニュースとして<台湾の統一教会が優秀宗教団体特別賞を受賞>(※3)というタイトルで台湾での活動を報道している。それによれば、台湾には1万5000もの宗教団体があり、その中から毎年、台湾政府の内政部(総務省に相当)が「優秀宗教団体」を表彰しているが、中華民国の建国100周年記念行事として、過去に優秀宗教団体賞を受賞した261の団体の中から、過去15年間で12回以上、または10回連続で優秀賞を受賞した宗教団体4団体に特別賞が与えられたとのこと。台湾統一教会は2001年より10年連続で表彰された実績を認められ、その4団体の一つに選ばれ、特別賞を受賞したという。最近の活動は、統一教会自身が披露した動画(※4)などに、華々しく載っている。たとえば2020年8月10日には<父の日に模範的父親が表彰されただけでなく、結婚生活60年目の夫婦も結婚式の服装をして祝福された>(※5)という動画があり、「集団結婚」だけでなく、すでに結婚している老夫婦にも布教を浸透させているためか、やはり「結婚」を媒介として布教する様がうかがえる。◆台湾で結成された統一教会の政党「天宙和平統一家庭黨」このような社会環境の中、統一教会は2014年7月20日に、「天宙和平統一家庭党」なる政党を設立している。創黨(※6)理念には、「社会は宗教、政治、経済という3つの力で構成されている」とあり、「宗教と政治が調和」してこそ、国家は正しい統治ができという趣旨のことが書いてある。興味深いのは、「今日の政治は、政治的に支配権を得るために宗教家を利用する」が、宗教の神聖な意志を無視しているので、宗教家自身が政治に直接関わらなければならないという趣旨のことが書いてあることだ。つまり、日本の政権与党・自民党との関係を深めている背景には、やがて政権を取るというか、政治に入り込んでいこうとする意図が見て取れる。おまけに「天宙和平統一家庭黨」の「綱領」(※7)を見ると、以下のようなことが書いてある。・統一教会が世界を神に導かれた一つの国家(One Family under God)に持っていくこと。・まずは段階的に台湾を統一教会が創った天一国(天宇和平統一国)にする。・世界各国に天一国を建設し、アメリカが独立時に13州をまとめてアメリカ合衆国としたように、統一教会が指導する連邦国家を世界に創り上げること。(以上)日本は今、その過渡的段階として利用されているということだろうか。◆台湾の知人を取材:日本には創価学会があり公明党が政治参加しているではないか!宗教に強い関心を持っている台湾の友人に電話して取材した。「台湾には統一教会の政党があるようですね?」と軽く聞いたつもりだが、彼女は強い剣幕で反駁してきた。「そうですよ!日本にだって公明党があって、しかも政権与党にさえなってるじゃないですか?日本の憲法では政教分離の原則があっても創価学会が公明党を作ることを認め、おまけに政権与党の自民党と組んで連立与党を作ることさえ認めていますよね!その日本から、統一教会に関して何か言われる覚えはないわけですよ。統一教会はそのうち、世界中の国で政党を作って天一国により全人類を統治するつもりですから」と、まるで「そのつもりでいてください」と言わんばかりの、思いもかけない回答が戻ってきた。彼女は統一教会の信者だったのかもしれないので、あわててお礼を言って電話を切った。その後、台湾における創価学会がどうなっているのかを調べてみたところ、「台湾創価学会」(※8)というホームページがあり、基本紹介(※9)には、創価学会は1962年に台湾に上陸し、1990年に正式に宗教法人として台湾で認められたとある。そして、やはり統一教会同様、台湾の「行政院賞」や、22回連続で内政部が発布している「全國性社会団体公益貢献賞」など、数多くの賞を受賞していることが書いてある。2017年と2021年には「芸術教育貢献賞」を受賞し、台湾政府の文化部からは「文馨賞」も受賞しているようだ。ただ、創価学会は「親中」なので、台湾で政党を作るなら、国民党寄りになるのかもしれない。日本国憲法にある「政教分離の原則」に対する解釈を、改めて思い知らされた次第だ。写真: つのだよしお/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://beyondnews852.com/20220713/110451/(※3)https://www.ucjp.org/archives/9742(※4)https://ffwpu.org.tw/report-media(※5)https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Kyf2dKZnllI(※6)https://taiwanfamilyparty.wordpress.com/about/(※7)http://upufamilyparty.blogspot.com/(※8)https://www.twsgi.org.tw/(※9)https://www.twsgi.org.tw/intro.php?level1_id=2&level2_id=3 <FA> 2022/07/29 10:34 GRICI 中国大陸ミサイル砲撃想定避難訓練中の台湾は、国共内戦時の長春の惨劇「チャーズ」に屈折した思い【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。中国大陸ミサイル砲撃を想定した避難訓練をしている台湾の民進党政権下で、日本敗戦後の国共内戦で起きた長春の惨劇「チャーズ」を位置付けるのは難しい。正史を伝えられるのは日本だけかもしれない。◆中国軍の侵攻想定し、台湾で大規模軍事演習7月25日、台湾の中央通信社のウェブサイトの一つ「フォーカス台湾」は、<台湾、大規模実動演習始まる 中国軍の侵攻想定>(※2)というタイトルで台湾における軍事演習の模様を報道した。それによれば、中国軍の台湾侵攻を想定した定例演習「漢光38号」の実動演習が7月25日に始まったそうだ。漢光演習は(中華民国の)国軍が行う1年で最大規模の演習で、年々訓練の強度を高め、練度の向上を図っているとのこと。29日まで行われる。事実、24日にも中国の軍用機4機が台湾南西の防空識別圏に進入しており、また25日には中国軍の無人機が沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋に出た後、台湾方面へ飛び去ったと日本の防衛省が発表している。ただ領空侵犯はなく、無人機は哨戒機などを伴わず単独で飛行した。7月25日の報道<中国軍無人機、沖縄本島・宮古島間を通過 台湾方面へ>(※3)によれば、日本の航空自衛隊は25日午前から午後にかけて、中国製の偵察・攻撃型無人機「TB001」1機が東シナ海方面から飛来し、沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋に抜けたのを確認しているという。その後、無人機は太平洋上で旋回した後、台湾とフィリピンの間のバシー海峡方面へ飛行したとのことだ。◆中国大陸からのミサイル攻撃を想定し、台湾で避難訓練7月25日に台湾では中国大陸からのミサイル攻撃を想定した避難訓練を一般市民に行わせていると、台湾の国防関係研究所で研究に従事している筑波大学時代の教え子から連絡があった。4月20日のコラム<台湾の世論調査「アメリカは台湾を中国大陸の武力攻撃から守ってくれるか」——ウクライナ戦争による影響>(※4)で述べたように、台湾ではウクライナ戦争が始まって以来、台湾も中国大陸からいつなんどき急襲を受けるか分からないという不安が高まり、急襲された時にアメリカは助けてくれないだろうという絶望的な気持ちに陥っているという。ウクライナに対するのと同じように、武器だけ売りつけて軍隊は出さないという形を取るだろうから台湾人は自ら戦うしかないが、どんなに軍事訓練をしたところで、台湾の国軍だけで勝てるはずはないので、果たして民進党でいいのか否かという声も出てきているとのこと。民進党は独立傾向が強いので大陸から攻撃される可能性が高いが、国民党は親中なので、国民党が政権を取れば中国は台湾を攻撃することはないだろうという考え方が、少しずつ広がっているというのである。一般庶民は平和で豊かに暮らせる方がいいので、ウクライナを見ていると、バイデン大統領が副大統領だった時に、「NATOに対して中立」という立場を保ってきたウクライナのヤヌーコヴィチ政権を打倒するクーデターを起こさせて、バイデンの言う通りに動くポロシェンコ政権を誕生させたのと同じことを、台湾で扇動してほしくないというのを、台湾の知識人は学ぼうとし始めていると教え子は言った。そのために日本語が分かる彼は拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』を購入して読み、p.150からp.155にある年表を中国語訳して知人友人に配っているという。筆者の「チャーズ」体験を知っている教え子は、国共内戦における長春の惨劇に関しては、もっと複雑な思いが台湾にはあると教えてくれた。◆国共内戦における長春の惨劇「チャーズ」日本敗戦後の中国においては、「中華民国」の国民党軍と、「中華民国」を倒そうとする共産党軍が天下分け目の戦いである「国共内戦」を展開していた。筆者がいた中国吉林省長春市では1947年晩秋から1948年10月にかけて、共産党軍による食糧封鎖があり、数十万の一般市民が餓死している。このときにくり広げられた、文字にもしにくいほどの惨劇に関しては、拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※5)で詳述し、その概要は6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※6)でご紹介した。当時、長春市内にいたのは国民党軍で、長春市を丸ごと鉄条網で包囲して食糧封鎖をしたのは共産党軍だ。その国民党軍は国共内戦で敗退し、台湾に逃げたが、いまその台湾では、国民党は野党であって、政権を握っている与党ではない。政権与党は民進党だ。◆台湾の民進党から見ると国民党は「にっくき政敵」民進党から見ると、国民党は「政敵」なので、国民党が国共内戦に敗けたことも、長春の食糧封鎖で苦しんだことも、「政敵」を責める材料にはなっても、現在の中国共産党を批判する材料にはならない。かと言って国民党を批判すれば、共産党軍が正しかったことになり、それは先述のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>(※7)に書いた習近平政権の主張と同じになる。民進党は反中であり反共だ。「台湾独立」が党の信条である。ただ戦略上、いま独立を前面に出してはいないが、本当の敵は中国共産党だ。しかし台湾内での「政敵」は国民党なのだから、「国民党が正しくなかった」と、国民党を批判することには賛成なのである。◆現在は「親中」の国民党教え子は、5月12日のコラム<ウクライナの次に「餌食」になるのは台湾と日本か?—米政府HPから「台湾独立を支持しない」が消えた!>(※8)に書いた、台湾のネット番組【頭條開講】が報道した【台湾海峡は煉獄になったのか? ホワイトハウスはどうしても北京を怒らせたい(北京を怒らせるためには手段を択ばない)! 「台湾の独立を支持するか否か」がカードになってしまった! 】(※9)を見たという。その番組に出ていた元ニュージーランドの「中華民国」代表(大使級)の介文汲の「アメリカは中国大陸が台湾を攻撃するよう中国大陸を誘い込むためのシナリオを描いている」というコメントに賛成だとのこと。だから、「台湾人自身が自分たちの未来を決定する道を選ばなければならない」のだが、その結果選挙で国民党を選ぶのかと言えば、そこも微妙だと嘆く。中国共産党と戦った国民党が今は最も親中で、少なくとも「台湾独立」を唱えることはない。「一つの中国」を信条としていて、その「一つの中国」は「中華民国を頭に描いてもいい」という「九二コンセンサス」に賛同しているからだ。しかし「九二コンセンサス」は過渡的な妥協案で、いま習近平は台湾にも「一国二制度」を適用しようとしている。その標本となるはずだった香港統治が国安法で落ち着いたので、たしかに国民党政権になれば中国が台湾を武力攻撃することだけはしないが、二つ目の香港になるのは目に見えているので悩ましいと教え子は言う。◆長春の惨劇「チャーズ」を伝えていけるのは日本のみ教え子は筆者の本の愛読者の一人でもあるので、早速『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※10)を台湾からネットで購入して読んでくれたという。そして嘆いた。——残念ながら長春での餓死者に対して、国民党軍が長春市民を守るという正しいことをしたのかというと、そうではない。もちろん共産党軍が食糧封鎖をして一般市民を餓死させたのは確実ですが、国民党がそれに対して必死で戦ったかというと、そうではないので、国民党にとっても、あの「チャーズ」は名誉なことではないんです。特に蒋介石直系の新七軍が雲南から来た第六十軍を虐めるというような内部分裂をしていたので、六十軍が反旗を翻して共産党軍に寝返ってしまった。ですから、台湾では、民進党にとっても国民党にとっても「チャーズ」は避けたい話題になっています。それはある意味、習近平の思惑と一致している。まるで共謀しているようなものです。ですから、先生は唯一の生存者で一番信頼できる証言者なので、如何に凄惨なことが起きたかを人類に伝えていけるのは先生しかなく、むしろ日本しかないということになります。日本が、中国共産党が如何に非人道的なことをしたかを世界に知らしめていく唯一の国になるのかもしれません。日本の民主主義に感謝し、期待しています。中国大陸からのミサイル攻撃に対する避難訓練の話から、思いもかけない日本の役割に関する言葉をもらった。今年もまた「終戦の日」(日本敗戦の日)が、哀しくやってくる。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://news.yahoo.co.jp/articles/bc7648638e9d43c755f280a67ecb330ccaefffe4(※3)https://www.sankei.com/article/20220725-CQETQEYFZBPB7OZABZHT3ZQ26I/(※4)https://grici.or.jp/3063(※5)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/(※6)https://grici.or.jp/3285(※7)https://grici.or.jp/3285(※8)https://grici.or.jp/3125(※9)https://www.youtube.com/watch?v=aNLh1YNu0ko(※10)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/07/26 16:00 GRICI 安倍元首相銃撃事件、中国で「SPは何してるのか?」【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。安倍元首相が撃たれて亡くなられた。怒りが込み上げ、無念でならない。全世界が悲しんでいるが、中国のネットは特に「SPは何してるのか?」というコメントに満ち満ちている。平和ボケ日本が安倍氏の命を奪った。◆あってはならない蛮行あってはならない蛮行だ。全世界が悲しんでいる。ワシントンやニューヨークあるいはモスクワや北京にいる友人からも哀悼の意を表するメールが数多く来ている。あの中国の国営放送や外交部でさえ、安倍元首相は日中友好に貢献したと讃え、最初のころは「回復を祈る」と発信していたが、訃報に変わってからも、哀悼の意を表し、礼節を重んじている。中国のネットは安倍元首相が銃撃された瞬間から速報が飛び交い、安倍一色に満ちていた。特に「SPは何をしているのか」ということに話題が集中している。なぜなら中国では「保安」に関しては非常に厳しく、カメラは銃になり得るという観点も強いからだ。犯人がカメラに似ているような銃を持っており、それをSPが何もしないで放置するのは何ごとか。筆者自身もそう思っていたので、中国のネットに溢れるSPに対する膨大なコメントに注意が行った。◆中国のネットに溢れるSPへの怒り数秒に一つくらいの割合で溢れ出てくるので、それらのコメントを全てご紹介するのはもちろんできないが、まず、中国の若者たちが怒っている動画の一つ(※2)をご覧いただきたい。これが拡散してさまざまなURLに変換されているが、どうやら源の情報はこれらしい。実はこの動画は犯行後の写真だと、のちに分かったが、中国ではこの動画に基づいて多くのコメントが寄せられている。これは中国の事情なので、そのままご紹介する。ほんのいくつかしか列挙できないが、ご参考までにネット民たちの書き込みを列挙してみよう。なお、中国語では習近平にも敬称を付けずに呼び捨てなので、「安倍」と書いてあっても、軽蔑して書いているわけではない。・安倍のSPって、何やってんの?わざと手を抜いているんじゃないよね?・やっぱり、金の力がものを言うんじゃない?トランプが無事なのは、彼自身の金で雇ったSPだからだよ。金払いが良くないとね。・政治的な立場は別として、日本人のSPはクソみたい。一発目は致命傷にならず、実際に安倍に重傷を与えたのは二発目だよ!あり得る?今日の動画は世界中のSPにとって、いい勉強になるんじゃない?・今日、金曜日、安倍のSPはサボってるけど、みんなも週末だと思ってサボったりしてないよね?・検索してたら、安倍が暗殺された別角度の動画を見つけた。この「勇士」は、安倍に近づき過ぎてるんじゃない?5メートルほどの距離まで近づいてるじゃない?しかも堂々と銃を持ってるというのに、SPは何もしてない。一発目を発砲したあとだって、SPは何も反応してないよ。二発目が命中してから、SPはやっと反応した。・だからSPなんてあってもしょうがないでしょ?まったく役に立たないんだから。・よくわかんないんだけど、日本の保安って、どうなってるの?・そもそも銃など、持ってはいけないんじゃないの?緩い日本!ただし、実際に被弾した時の動画はこちら(※3)のようだ。それにしても、犯人が第一発目を発砲した後にSPは瞬発的には動かず、安倍元首相が被弾し倒れた後になって初めてSPが動いたことが、見て取れる。おまけに安倍元首相の背後は警備ゼロで、SPは本来なら要人の周り360度方向を守備していなければならないはず。SPの抜かりであることに変わりはない。その意味で、珍しく中国のネット民たちと意見が合う。中国共産党機関紙「人民日報」姉妹版の「環球時報」電子版も7月8日15:29の時点で、<(中国の)外交部は安倍が銃撃を受けたことにショックを受け、安倍元首相が少しでも早く危険から脱することを望んでいる>(※4)というタイトルの報道をしていた。◆平和ボケ日本が安倍元首相の命を奪った中国には激しい監視社会があり、目つきが何かおかしいというだけで、挙動不審として目を突けられ、街中に張り巡らされている監視カメラが注意信号を発する。アメリカは銃社会。ポケットからハンカチを取り出すだけで、銃を抜き取るのかと警戒し発砲することさえある。銃乱射事件は日常茶飯事化している。だからわずかな不審な動きに対して、間髪入れずに反応する。もし、これがアメリカなら、犯人が第一発目を発射した瞬間に、SPはパッと要人(このたびなら安倍元総理)を地面に倒して自分がその上を覆い、犯人から守るだろうし、一方では他のSPは犯人に飛び掛かって押さえつけ、その場で逮捕しているはずだ。だというのに、「犯人は背後から襲った」と報道しながら、安倍元総理の傷は「背中」にはなく、「首の喉元の方にしかない」と医者が何度も証言している。ということは、背後で第一発目が発砲された後、安倍元総理は振り返って、しばらくそのまま立っていたということになる。だからこそ、二発目が真正面の喉元にしか当たってないのだ。「背後」には一発も当たってない。そのことが、どれだけ「平和ボケ日本」を象徴しているか考えるべきだ。最初の発砲音があったというのに、SPは安倍元総理に突進して地面に伏せさせることもしていなければ、瞬発的に犯人に突進して犯人を押さえつけることもなかった。それは10分の1秒以下の勝負だったはずだ。警備の緩さが全体にある。安倍元総理の命を奪ったのは、この「平和ボケ日本」だ!安倍元総理は、そのことに警告を与え、憲法改正を訴え、防衛費の増額を主張してきた。その必要性を、自分の命を犠牲にして証明したのに等しい。◆心からご冥福を祈る誰もが銃撃を知ってからは、「どうか助かりますように!」と祈ったはずだ。筆者も必死でお祈りしていた。その分だけ、訃報に接したときには、受け止めきれないくらいの、言い知れぬ哀しみを覚えた。実は筆者は来月か、それ以降に月刊誌Hanadaで安倍元首相と対談することになっていた。今月は選挙があるので、来月以降で調整していたところだった。そのため7月6日のコラム<「サハリン2」、プーチン大統領令と習近平の狙い>(※5)の最後の部分でわざわざ安倍元首相のことに触れたのである。安倍元総理をモスクワに派遣してプーチン大統領を説得してもらうべきだと書いたのだ。こういったことを足場にして議論を展開しようと準備していた。事実、プーチンは安倍元総理の訃報を受け、<真の愛国者だった>(※6)と哀悼の意を表している。安倍元総理とプーチン大統領の仲の良さをプラスに持っていき、一刻も早い停戦を促すべきだという話を、月刊誌Hanadaで安倍元総理にしようと思っていた。だというのに、このようなことになり、いきなり梯子を外されてしまったほど、ショックを受けている。これまで外部に漏らしたことはないが、安倍元首相とは、個人的に何度かお会いしている。そういった場面における「安倍さん」の笑顔は、たとえようもないほど優しく温かかった。習近平の国賓招聘に関しては今でも意見を異にするが、しかし個人的にはこの上なく「安倍さん」を尊敬し、親しい気持ちを持っている。心からのご冥福を祈りたい。お詫び:最初にこのコラムを公開した時は、その時点における中国の情報に基づいて書いていたが、のちに日本の情報を精査することにより、中国で初期段階で拡散していた動画は犯行後のものであることがわかった。中国でも新しい情報に基づいて新たにコメントが出ているが、趣旨は同じなので、本コラムはそれに基づいて、リンク先の動画を新たに加えて修正した。そのことをお詫びしたい。写真: つのだよしお/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://twitter.com/yLwSWOYW7ajn3ci/status/1545312353369354240(※3)https://twitter.com/PxstnFZwKXSECDS/status/1545372333225177088(※4)https://world.huanqiu.com/article/48jzsLMv0Xi(※5)https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220706-00304360(※6)https://www.sankei.com/article/20220708-JHNPBENWQNIOXEJEWFDYBGMZ4I/ <FA> 2022/07/11 10:27 GRICI 許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している遠藤 誉所長の考察をお届けする。1947‐48年、長春市は中国共産党軍に食糧包囲され数十万の一般市民が餓死した。二重の包囲網「チャーズ」の柵門を開けなかったのは中共軍だ。それを国民党のせいにした本が中国で出版された。生き証人として許せない。◆食糧封鎖は2回目の日本人帰国直後から開始された1946夏、終戦後に中国に遺された日本人約百万人の日本帰国があった。これを「百万人遣送」と称する。このとき中国吉林省長春市にいた私の一家は、父が技術者であったために帰国を許されなかった。終戦後長春市はソ連軍の軍政下で現地即製の国民党軍が管轄していたが、1946年4月に共産党軍が攻撃してきて市街戦で共産党軍が勝ち、長春市は一時期共産党の施政下にあった。しかし毛沢東の命令により共産党軍が5月に北に消えると、入れ替わりに国民党の正規軍が入場してきて、第一回の日本人遣送が始まったわけだ。1947年になると、国民党政府に最低限必要な日本人技術者を残して、他の日本人は強制的に日本に帰国させられた。最後の帰国日本人が長春からいなくなった1947年晩秋、長春の街から一斉に電気が消えガスが止まり、水道の水も出なくなった。共産党軍による食糧封鎖が始まったのだ。長春は都会化された街なので畑がない。食糧はみな近郊から仕入れていた。餓死者が出るのに時間はかからなかった。早い冬が訪れると凍死する人も増えた。当時は零下36度まで下がる長春で、暖房なしで生きていくことは不可能だった。行き倒れの餓死者や父母を失って街路に這い出した幼児を犬が食べ、その犬を人間が殺して食べる。しまいには、中国人だけが住んでいた(満州国新京市時代に)「シナ街」と呼ばれていた区域では「人肉市場」が立ったという噂がされるようになった。◆餓死体が敷き詰められた「チャーズ」私の家からも何人も餓死者が出て、このまま長春に残れば全員が餓死すると判断された1948年9月20日、私たち一家は長春を脱出することになった。その前日、一番下の弟が餓死した。20日朝早く包囲網にある唯一の出口があるというチャーズに向かった。全員栄養失調で、皮膚が老人のように皺だらけになり、立ち上がるだけでも苦しかったが、夕方にはチャーズの門に着いた。この門をくぐれば、その外には解放区(中国人民解放軍が管轄している区域)があり、解放区には食糧があると思ったところ、包囲網は二重になっており、国民党軍が管轄する長春市を鉄条網で包囲しているだけでなく、その外側にも鉄条網があり、外側の鉄条網が解放区と接しているのだった。「チャーズ」はこの二重の鉄条網の間にある真空地帯だ。国民党側のチャーズの門をくぐって国民党軍に指示され、しばらく歩くと、餓死体が地面に転がっていた。餓死体はお腹の部分だけが膨らんで緑色に腐乱し、中には腐乱した場所が割れて、中から腸が流れ出しているのもある。銀バエが。辺りが見えないほどにたかり、私たち難民が通るとパーッと舞い上がった。共産党軍側のチャーズの鉄条網の柵近くに辿り着いた時は、暗くなっていた。ここに座れと指図したのは、日本語ができる朝鮮人の共産党軍兵士だ。私たちは一般に共産党軍を「八路(はちろ)軍」と呼んでいたので、その言い方をすれば「朝鮮人八路」だ。脱出の時に持って出たわずかな布団を敷いて地面で寝た。生まれて初めての野宿だった。◆共産党軍側の門は閉ざされたまま翌朝目を覚まして驚いた。私たちは餓死体の上で野宿させられたのである。見れば解放区側(共産党軍側)にある鉄条網で囲まれた包囲網には大きな柵門があり、八路軍の歩哨が立っているが、その門は閉ざされたままだ。一縷(いちる)の望みを抱いて国民党側の門をくぐった難民はみな、この中間地帯に閉じ込められたてしまったのである。ナチスのガス室送りと同じことだ。水は一つの井戸があるだけで、その井戸には難民が群がり、井戸の中には死体が浮かんでいる。食べる物などあろうはずもなく、新しい難民がチャーズの中に入ってくると、横になって体力の消耗を防いでいた難民が一斉に「ウオー!」っと唸り声を上げながら立ち上がり、新入りの難民めがけて襲い掛かる。このとき日本人はもうほとんど長春にはいなかったので、チャーズの中にいるのは中国人の一般庶民だ。死んだばかりの餓死体をズルズルと引き寄せて輪を作り、背中で中が見えないようにして、いくつもの煙が輪の中心から立ち昇った。私もいつかは食べられてしまう。その恐怖におののきながら、地面に溜まってる水をすくい上げ、父が持参していたマッチで火を起こして「水」を飲んだ。用を足す場所もない。死体の少なそうな場所を見つけて用を足すと、小水で流された土の下から、餓死体の顔が浮かび上がった。見開いた目に土がぎっしり詰まっている。この罪悪感と衝撃から、私は正常な精神を失いかけていた。崩れかけた低い石垣に手をかけ体を支えながら立ち上がると、その下では、鉄砲に撃たれて流れている母親の血を母乳と勘違いしてペロペロなめている乳児がいた。恐怖に引きつりながら父にしがみついて餓死体の上に敷かれた布団で眠りに入ろうとすると、地を這うような呻き声で目が覚めた。父が救われる御霊(みたま)の声だと言って立ち上がった時、父のもとを離れたら死ぬという思いから父のあとをついていった。すると、そこには死体の山があったのである。父がお祈りの言葉を捧げると、死んでいるはずの死体の手先が動いた。その瞬間、私をこの世につないでいた最後の糸が切れ、私は廃人のようになっていた。◆遺族は技術者ではないとして出門を許さなかった八路軍4日目の朝、私たちはようやくチャーズの門を出ることが許された。父が麻薬中毒患者を治療する薬を発明した特許証を持っていたからだ。解放区は技術者を必要としていた。このとき父は父の工場で働いていた人や家族、あるいは終戦後父を頼りにして帰国せず、父が面倒を見ていてあげた家族も同行していたが、その中にご主人は餓死なさって、奥さんと子供だけが残っていた家族もいた。すると、いざ出門となって時に、八路軍の歩哨の上司がやってきて、「遺族は技術者ではない!」として、この親子だけを切り離して出門を許可してくれたなかったのだ。父は八路軍の前に土下座して、「この方たちは私の家族も同然です。どうか、一緒に出させてください・・・!」と懇願した。すると八路は土下座して地面につけている父の頭を蹴り上げ、「それなら、お前もチャーズに残れ!」と、あおむけに倒れた父を銃で小突いた。骸骨のように痩せ衰えた父を母が支え、「お父さんはこの子たちの父親でもあるのですから・・・」と懇願した。私は1946年の市街戦で八路軍の流れ弾が腕に当たり、その痕に、家で面倒を見てあげていた開拓団のお姉さんの結核菌がうつって、全身結核性の骨髄炎に罹り、栄養失調が重なって死ぬ寸前の状態だった。すぐ下の弟は栄養失調で脳炎を起こし、母の背中で首を後ろにカクっと倒したまま意識を失っている。死ぬのにそう時間はかからないだろうという状況にあった。父は断腸の思いでチャーズをあとにする決意をした。父の無念の思いを、私は日本帰国後何十年かした日の父の臨終の言葉で知った。仇を討ってやる!その思いで書いたのが『チャーズ 出口なき大地』(1984年)だが、何度復刻版を出しても絶版になり、このたび『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※2)を復刊することになった。◆許せない習近平の歴史改ざん『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※3)の印刷が始まった後になって、私は偶然、2017年12月に中国共産党が管轄する中国人民出版社から『囲困長春』という本が出版されていたことを知った。急いで購入し読んでみたところ、「共産党軍がチャーズの門を閉ざして難民を出さなかったために、一般庶民が大量に餓死した」という事実は完全に隠され、あくまでも「国民党政府が悪いので多くの餓死者を招いた」としか書いてない。おまけに共産党軍は「9月11日から、チャーズ内の全ての難民を解放区に自由に出られるようにした」と書いてある。あれだけ閉め切って絶対に難民を出さなかった共産党軍側の門。父の一行の出門を許した後もなお、「遺族は技術者ではない」として、断腸の思いを父に迫った共産党軍。その共産党軍が、9月11日以降は自由に難民を放出したとは何ごとか!『囲困長春』には、9月11日前も解放軍は一般庶民に害を与えないよう最大の配慮をしたと書いてある。毛沢東があの時、「長春を死城たらしめよ」と言ったのを知らないのではあるまい。執筆者は、元長春市政府の官僚の一人だったので、当然、中国共産党に都合のいいことだけを書いただろう。餓死者は30万人から65万人とも言われているが、1990年代には中国政府側は12万と言っていたのを、今度は5万人と見積もっている。習近平は、この残虐な大量殺人を覆い隠すつもりか。これを「ジェノサイド」と言わずして、何と言おう。この史実を、ありのままに書いた私を中国は「犯罪者扱い」しただけでなく、別の物語を書くことによって、史実を塗り替えている。私はこの事実を残すために生きている。事実を書き残すことによって犠牲者の鎮魂をすることが、生き残った者の使命だと自分に言い聞かせて、80を過ぎてもなお、日夜全力を尽くしている。習近平よ、「事実求是」を守れ!事実を認めるのが、そんなに怖いのか?中国共産党は、そんなにもろいものなのか?事実を認めたら崩壊するような党ならば、崩壊すればいい。バイデン政権の戦争ビジネスは、戦争を経験してきた人間として許せないが、歴史を改ざんして犠牲者の魂まで侮辱する党は、なおさら許せない。数少ない生存者として、どこまでも追及する所存だ。写真: 1994年9月20日、筆者撮影。世界に一枚しかない、1948年の鉄条網の残骸。(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/(※3)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/06/28 15:53 GRICI 世界食糧危機の中、なぜ中国には潤沢な食糧があるのか?(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「世界食糧危機の中、なぜ中国には潤沢な食糧があるのか?(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆世界食糧危機に対応するには需要と供給の両方から瞬発力を6月21日の「農民日報」は<世界食糧危機に対応するには需要と供給の両方から瞬発力を発揮しなければならない>(※2)として、以下のように書いている。——総量で見ると、わが国の穀物生産は近年「18回連続の豊作」を達成し、年間の穀物生産量は7年連続で0.65兆キロに達し、中国の穀物の基礎を成している。一人当たりの所有量の観点から見ると、中国の一人当たりの食糧所有量は480キログラムに達し、国際的な食糧安全基準である一人当たり400キログラムをはるかに上回っている。在庫の観点から見ると、わが国の穀物在庫は約40%であり、これも世界平均の17%をはるかに上回っている。穀物という観点から見ると、三大穀物(米・麦・とうもろこし)の自給率は 90%以上に達しており、食糧安全に関しては「絶対的な安全性」を満たしていると言えよう。◆ロシアからの穀物輸入5月31日の環球時報(※3)は、ロシアからの穀物輸入は非常に少なく1%にも満たないので、大きな変化はないものの、ここ数年、年平均19.1%の貿易増があるので、今後はさらなる増加が期待できると書いている。少なくとも、今年2月4日に中国商務部とロシア経済発展部が農業領域の貿易に関して新たに署名している(※4)ので、農産品領域における貿易の伸びが期待できるだろうとのことだ。◆「中国は大量に食糧を買い占めている」と批判する傾向が西側諸国にアメリカの農務省には中国に関する統計もあり(※5)、今年6月10日に公開されたデータでは、世界の在庫量に占める中国の割合は、トウモロコシ65.78%、米59.42%、小麦53.03%となっている。中国政府の主張がまんざら嘘ではないことが分かる凄まじい通知だ。これを西側諸国は「中国が買い占めたからだ」と非難する傾向にある。たとえば2021年12月19日の日経新聞<世界の穀物、中国が買いだめ 過半の在庫手中に>(※6)は、その代表のようなものと言っていいだろう。買い占めているか否かは別として、中国共産党が統治する国家「中国」は、どんなことがあっても、まず食糧問題を最優先事項に置く国であることを筆者は実体験を以て知っている。◆毛沢東「誰が食べさせるかを人民に知らしめよ!」7月3日に出版予定の『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※7)に書いたように、1947年晩秋から、私が生まれ育った長春(中国吉林省長春市。元「満州国」の「新京」)は中国共産党軍によって食糧封鎖された。1948年9月20日、餓死から逃れるために長春を脱出した私たちを待ち受けていたのは「チャーズ(qiazi)」という、国民党軍と共産党軍の中間地帯(真空地帯)だった。共産党軍は長春市を鉄条網で都市ごと包囲したのだ。鉄条網は国民党軍側と共産党軍側の両方に設けられ二重になっていた。その二重になった包囲網である鉄条網の中には餓死体が敷き詰められており、私たち難民はその餓死体の上で野宿することを強いられた。このころ長春に残っていたのはほぼ中国人で、中国人の中には餓死体を食する人もおり、共産党軍はそれを鉄条網越しに直接見ながら、水の一滴も米の一粒も与えなかった。チャーズの外には共産党軍が占拠する「解放区」が広がる。4日目にようやくチャーズの門を出ることができたのだが、解放区側の土を踏んだ瞬間、お粥がふるまわれた。こんなことをするのなら、なぜチャーズの中で餓死していく人々を助けてくれなかったのか。あのとき毛沢東はチャーズを囲む共産党軍に「誰がご飯を食べさせてくれるかを思い知らせよ。人民はご飯を食べさせてくれる側に付く」と言っていたことを、何十年もあとになって知った。習近平も同じように考えているだろう。人民はご飯を食べさせてくれる側に付く。いま世界が食糧危機にある中、なぜ中国だけは潤沢な食糧を備蓄しているのか。それは一党支配体制を維持するためなのである。80年間の実体験を通して確信する。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://szb.farmer.com.cn/2022/20220621/20220621_002/20220621_002_4.htm(※3)https://world.huanqiu.com/article/48ErezBftfA(※4)https://www.fmprc.gov.cn/zyxw/202202/t20220204_10638957.shtml(※5)https://www.fas.usda.gov/data/grain-world-markets-and-trade(※6)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM13CUD0T11C21A2000000/?unlock=1(※7)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/06/23 16:00 GRICI 世界食糧危機の中、なぜ中国には潤沢な食糧があるのか?(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってお届けする。世界が食糧危機にさらされている中、中国は世界の穀物を買い占めているのではないかという批判がある。しかし中国政府はマクロ政策により世界最大の穀物生産国になったのだと主張する。中国が食糧問題を最重要視する理由には、中国共産党の根源的問題が潜んでいる。◆「中国の多すぎる食糧備蓄に対する西側からの批難」に関する中国の見解5月27日、中国外交部は定例記者会見で(※2)、記者から「最近、中国は国際市場からあまりに多くの食糧を買い占めているという批判が西側諸国から出ているが、中国はそれをどう思っているか?」という質問が出た。それに対して汪文斌報道官は以下のように答えた(番号を付けたのは筆者で、あまりに回答が長いので少しでも見やすくしようと区切りをつけた)。1.中国政府は常に食糧安全問題を非常に重要視してきた。「穀物の自給自足と絶対安全」というのが中国政府の基本だ。2021年までに、中国の穀物生産量は7年連続で0.65兆キログラム以上で、世界最大の穀物生産国であり、世界第3位の穀物輸出国となっている。中国は自給自足に関して自信があり、国際市場に入り込んで「食糧を買い占める」という必要はない。2.中国は世界の土地の9%未満を使用しているだけで、世界の食糧の約4分の1の生産量を実現し、世界人口の5分の1を養っている。この事実を見るだけでも、中国が世界の食糧安全に大きく貢献していることがわかる。同時に、中国は大国の視座に立ち、世界の食糧安全の確保に積極的に貢献してきた。3.中国が提案するグローバル発展イニシアチブは、食糧安全を「八大重点協力分野の一つ」と見なしており、世界中のすべての関係者に力を動員し、利点の補完性を促進し、以て、食糧安全を含むすべての持続可能な発展目標の実現に向けて最大限に力を合わせていくことを目標としている。中国は常に国連食糧農業機関(FAO)の南南協力にとって重要な戦略的パートナーだ。近年、中国はFAO南々協力(※3)基金に1億3000万米ドルを寄付し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、カリブ海、太平洋島嶼国に多数の専門家や技術者を派遣した。中国はFAOの中で、最も多くの専門家を派遣し、最も多くの資金援助をし、最も多くのプロジェクトを実行しいる。COVID-19の発生以来、中国はいくつかの国に緊急食糧援助を提供することにより、国連や他の国際機関のイニシアチブに積極的に対応してきた。世界の食糧生産と供給の安定化に対する中国の積極的な貢献は、国際社会から広く認められているところだ。4.中国は食品ロスと廃棄物削減を積極的に提唱している。世界の食糧の1%のロス削減は、2800万トンの損失の削減に相当し、7000万人以上の人々を養うことができる。習近平主席は、食品節約を強化する必要性をくり返し強調してきた。 2021年、中国は食品ロス削減に関する国際会議を主催し、G20のメンバーを含む国際社会から肯定的に受け止められた。多くの開発途上国が食糧不足に直面しており、一人分のご飯を二人で分け合う状況があることを残念に思う。先進国の一部では「物を粗末に扱う」ことに慣れてり、一人前のご飯を食べて一人前のご飯を捨てている」。先進国で毎年浪費される食品ロスの量は、サハラ以南のアフリカで生産されるすべての食品の総量に近い。アメリカ農務省のデータによると、アメリカの食品の30〜40%が毎年廃棄されており、2018年に廃棄された食品の総量は1億300万トンに達し、1,610億ドルに相当する。5.中国は、関係国に対し、不必要な食品廃棄物を出さないようにし、その正当な国際的義務を果たし、より多くの国際的責任を引き受けることを要請している。頭をひねって他の国(中国)に(お前の国は食糧備蓄が多すぎる)と騒ぎ立てるのではなく、自ら始めて、現実的な方法で食料を節約し、国際的な農業貿易の円滑な運営を維持し、発展途上国の食糧生産能力を向上させるのを助けるべきだ。こうしてこそ世界の食糧安全を効果的に維持できる。6.直面する困難が多ければ多いほど、われわれは互いに助け合うべきだ。国際的な食糧サプライチェーンが衝突している情勢下において、私たちはすべての国に共同責任を負うことを求めたい。食品ロスと廃棄物の観点から、食糧危機を補完し、食糧を節約するというプラスの方向で世界の食糧安全を効果的に維持しなければならない。◆「中国の食糧価格が安定している理由」に関する中国政府の説明6月20日、中国の経済を協議する国家発展改革委員会は<我が国の食糧価格はなぜ安定しているのか?>(※4)に関する説明を行った。主たる回答内容を以下に示す。・中国の穀物価格が全体的に安定している理由は、最終的には、我が国が強力な穀物供給と価格の安定を確保するための強力なメカニズムと政策措置を確立したからである。穀物の総在庫は十分であり、小麦と米の在庫は1年以上の消費需要を満たすことができる。・2021年の時点で、中国の穀物の播種面積は8年連続で17.4億ムーを超えており、穀物を植える農民の意欲は安定している。2022年に春に植えられる穀物の面積は約9億4000万ムで、昨年の同時期に比べてわずかに増加し、引き続き穀物価格の安定に寄与するだろうと予測される。・●生産コストが穀物価格を決定し、穀物の安定供給にも影響を与える。農民の意欲を十分に発揮させるために、わが国は米と小麦の最低購入価格を実施し、穀物生産補助金政策を継続的に改善し、三大主要穀物(米・麦・トウモロコシ)の「完全コスト保険」や「所得保険」を推進し、「農業社会サービスシステム」を発展させて、穀物農家の収入の安定化を図った。(筆者注:「完全コスト保険」とは「農作物が自然災害などに遭遇した時に被る損害を含めた、生産コスト全てに対する保険」のことで、「収入保険」とは「農作物の販売価格や生産量の変動に対する保険。生産量が増え過ぎたことによって販売価格が下がる時でも、一定の収入を保障できる保険」のことで、「農業社会サービスシステム」とは「供給、販売、加工および情報サービス」など、農産物を購入者の末端にまで提供するさまざまなサービスのことである。)農産物価格の高騰に対応して、化学肥料の供給を確保し、価格を安定させるために、たとえば仮肥料の備蓄を確保するなどの作業メカニズムの確立が価格安定に寄与している。◆『中国農業産業発展報告2022』は今年の食糧総生産量は去年を越えると予測6月21日、『中国農業産業発展報告2022』が発表された(※5)が、報告書は、「中国の農業生産は今年も改善を続け、総穀物生産量は昨年を上回り、0.69兆キログラムに達すると予想され、綿、油、砂糖、果物、野菜の生産は安定して好転しており、畜産物や水産物の供給も安定している」と指摘している。「世界食糧危機の中、なぜ中国には潤沢な食糧があるのか?(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.fmprc.gov.cn/fyrbt_673021/jzhsl_673025/202205/t20220527_10693630.shtml(※3)https://www.fao.org/japan/portal-sites/spfs/south-south-cooperation-and-japan/jp/(※4)http://news.cnr.cn/dj/20220620/t20220620_525874537.shtml(※5)https://szb.farmer.com.cn/2022/20220621/20220621_002/20220621_002_3.htm <FA> 2022/06/23 15:56 GRICI 池上彰さん、間違えていませんか? 中国共産党「党主席」制度に関して(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「池上彰さん、間違えていませんか? 中国共産党「党主席」制度に関して(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆「間違い」その2_「主席になると圧倒的に強い立場になる」?最も大きな間違いは「主席になると圧倒的に強い立場になります」という言葉だ。池上氏にお聞きしたいのは、なぜ「主席になると圧倒的に強い立場になります」と判断なさったのかということである。これは、本気で知りたい。どうすれば、そういう考え方に至ることができるのか、その「論理」を知りたいと本気で思うのである。では、なぜ「主席になると圧倒的に強い立場にならないのか」に関してご説明したい。詳細な経緯は拙著『習近平 父を破滅させたトウ小平への復讐』(※2)に書いてあるが、史実を知らなくても、誰にでも分かる例で、まずご説明しよう。たとえば某大学にワンマンな(あるいは厄介な)「学長」がいたとする。その学長の力を削ぐには、「副学長」のポストを複数設けて、力を分散させるという方法がよく採用されている。表面上は「学長」の負担を減らすという理由を付けるのだが、実際は「学長一人の判断で大学運営が間違った方向に行かないようにする」というのが目的だ。企業における社長も副社長も類似の目的で存在するのもあるだろう。これと同じで、かつて「党主席」制度の時代には、毛沢東の独走を阻むため(あるいは他の野心に燃えた人の出世コースのため)に「副主席」というポストが設けられた。そうなると毛沢東主席の力はトップ一人ではなくなるので、「副主席」が多大なる力を持ったり、副主席同士で権力闘争をしたりする。党主席だけでなく、国家主席に関しても同じだ。国家副主席が複数いたし、今もいる。事実毛沢東は、トウ小平の策略により、劉少奇・党副主席を「国家主席」に持っていかれてしまい、結果、毛沢東は下野して、劉少奇を打倒するために文化大革命を起こしたほどだ。紆余曲折を経ながら最終的に1982年9月に「党主席制度」を撤廃したのは、毛沢東死後に「党主席と国家主席と国務院総理」すべての職を得ていた華国鋒を、トウ小平が打倒するために断行したためである。毛沢東が自ら後継者と定めた華国鋒をトウ小平は打倒し、子飼いの胡耀邦をトップに持っていくために「副主席」のポストがある「党主席制度」を撤廃して、「副」のポストがない「一人だけの総書記制度」に持っていったのである。なぜならトウ小平は華国鋒を下野させるために非常に狡賢く動いたが、華国鋒が最後に「党副主席」に残っていたので、「党主席制度」そのものを撤廃してしまわないと完全な華国鋒追い落としにつながらないので、トウ小平は最後の打撃を華国鋒に加えるために撤廃してしまったのである。決して毛沢東の個人崇拝がまずかったから「党主席制度」を撤廃したのではない。したがって「党主席制度」は「副主席がいるので力が弱く」、「中共中央総書記制度」は「副」がいないので、「一人」だけトップを占めることができるから、圧倒的に「総書記制度」の方が強く、権力が揺るがない。もう一度繰り返すが、池上氏の“それは彼を個人崇拝したのがまずかったのだという反省から、共産党の「党主席」というポストをなくし「総書記」としたのに”という言葉も間違っている。「華国鋒を倒し、子飼いの胡耀邦をトップにさせるために」、トウ小平が権力闘争として断行したのである。毛沢東の個人崇拝がまずかったので「党主席制度」を撤廃したのではない。華国鋒は、最後は「党副主席」の職位に落とされたが、華国鋒を完全に追い出すには「党主席制度そのものを撤廃する」しかなかったのである。したがって、真逆だ。◆なぜ「党副主席」というポストが生まれたのか?これに関しては話が長くなるが、習近平の三期目を考察するには前掲の『習近平 父を破滅させたトウ小平への復讐』(※3)を読んで頂くしかない。ひとことで言うなら、トウ小平が野心を持ち、毛沢東が後継者と決めていた高崗(ガオガーン、こうこう)を陰謀によって自殺に追い込み、陳雲と二人で権力の座を奪取しようと画策した結果が生んだものだ。このいきさつを書くと長くなって一冊の本になる。実際それを本にしたのが『習近平 父を破滅させてトウ小平への復讐』なので、真相を知りたい方は、そちらをお目通し頂きたい。1956年9月の第八回党大会の結果と推移が第二章に書いてある。このとき初めて「党副主席」というポストが新設され、トウ小平の陰謀を手助けして高崗を自殺に追いやった陳雲が党副主席(中国共産党中央委員会副主席)に就任し、トウ小平自身は、別途新設した中共中央書記処総書記の座を射止めた(『習近平 父を破滅させたトウ小平への復讐』第二章 p.119 図表2-2 参照)。その10年前の1946年4月、筆者がまだ5歳だったときに、長春市に攻め込んできた中国共産党軍の一人であった若い「趙兄さん」(のちに毛沢東の日本語通訳の一人となる趙安博という共産党員)と筆者は生活を共にし、父は当時の長春市の書記をしていた林楓(りんぷう)と信頼関係にあった。中国共産党軍は同年5月には長春から消えたが、1947年晩秋になると長春市は中国共産党軍によって食糧封鎖され、多くの餓死者を出していった。そういった原体験が「中国共産党とは何か」を追い詰めていく、筆者の原点になっている(詳細は『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』)(※4)。だから老体に鞭打ちながら「中国共産党の正体」を追い続けている。上述したのは、そういった原体験により積み重ねてきた知識だ。さて、冒頭に話を戻そうか。池上さん、教えてください。あなたはなぜ「主席になると圧倒的に強い立場になります」とお考えになったのですか?私に見えていない要素があるかもしれませんので、本気で知りたく思っております。その昔、名刺を交換したことはありましたが、良かったらhttps://grici.or.jp/contactまでお知らせください。お待ちしています。「池上彰さん、間違えていませんか? 中国共産党「党主席」制度に関して(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: 新華社/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.amazon.co.jp/dp/4828422641/(※3)https://www.amazon.co.jp/dp/4828422641/(※4)https://www.amazon.co.jp/dp/4408650242/ <FA> 2022/06/22 10:10 GRICI 池上彰さん、間違えていませんか? 中国共産党「党主席」制度に関して(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってお届けする。まるで日本の教科書のようになっている池上彰氏が習近平に関して「(党)主席になると圧倒的に強い立場になります」と書いているのを発見した。「えっ?違うでしょ?」と驚いたので、党主席制度に関して説明したい。◆池上彰氏の文章たまたまメールに<「終身皇帝」を狙う習近平が、中国で「芸能人のファンクラブ」を潰しているワケ>(※2)という記事が飛び込んできた。見れば、あの池上彰氏の文章ではないか。この手のタイトルの文章はデタラメが多いのでいつもはスルーするのだが、まるで日本の教科書のようにもてはやされ尊敬されている池上先生のお書きになったことなら、たまには読んでみても悪くないと思って目を通した。すると、そこには、信じがたいほどの「間違い」が書いてあるのを発見し、非常に驚いた。昔、NHKのラジオ放送だったかでご一緒になり、準備してこられた台本以外のことに話が行くと、相当に間違ったことを仰ったので、「いや、それは違うと思うのですが・・・」と言ってしまって、気まずい雰囲気になったことがある。スタジオの帰りに、ご一緒した他のゲストの先生が「よくぞ、あの池上先生に反論なんてできますねぇ。あの人に反論できるなんて、日本中で遠藤先生くらいしかおられないんじゃないんでしょうか・・・」と言われたのを覚えている。相手が誰かによって態度を変えるのは好きではない。誰であろうと、正しいことは正しく、間違っていることは間違っていると言えなくてはならない。それが世の中のためでもある。今般の「間違い」は複数個所に及ぶが、本稿では一個所だけ取り上げて、お話ししたい。池上先生と言えば、小学生までが信じてしまい、それが「日本人の基礎知識」のようになってしまうのだから、こんな間違いを放っておくのは「世のため」にならないと思われるのだ。さて、<「終身皇帝」を狙う習近平が、中国で「芸能人のファンクラブ」を潰しているワケ>(※3)の1頁目の最後から2頁目(※4)にかけて以下のような文章がある。——かつて建国の父・毛沢東が務めた「党主席」のポスト(1982年以降、廃止されていた)を復活させるとの見方もあります。党主席のポストは、毛沢東の死後、しばらくして廃止されました。毛沢東は文化大革命で多くの混乱を引き起こしました。それは彼を個人崇拝したのがまずかったのだという反省から、共産党の「党主席」というポストをなくし「総書記」としたのに、それをまた元に戻すかもしれません。総書記というのは、中国共産党中央政治局常務委員の7人のうちのひとりという位置づけですが、主席になると圧倒的に強い立場になります。(引用ここまで)この中で、『彼を個人崇拝したのがまずかったのだという反省から、共産党の「党主席」というポストをなくし「総書記」とした』、『総書記というのは、中国共産党中央政治局常務委員の7人のうちのひとりという位置づけですが、主席になると圧倒的に強い立場になります。』という部分が間違っている。最も間違っているのは「主席になると圧倒的に強い立場になります」という言葉だ。これは全く正反対なので、もしかしたら池上氏は中国共産党の基礎をご存じないし、また「総書記とは何か」そして「党主席(あるいは主席制度)とは何か」、その基本をご存じないので、このようなことをお書きになったのではないかと推測されるのである。◆「間違い」その1_「総書記」とは何か?まず、中国共産党のイロハの「イ」からお話ししよう。仮に筆者が中学生くらいの生徒に講義していたとする。筆者:みなさん、習近平は「総書記」という肩書を持っていますよね。この「総書記」のフルネームは何か分かりますか?生徒:え~~~ガヤガヤガヤ・・・筆者:「中共中央総書記」なんですよ。聞いたことがあるでしょ?生徒:あー、なんとなく聞いたことがある気がするけど、でも「中共中央」って・・・?筆者:良い質問ですね。「中共中央」というのは「中国共産党中央委員会」の略で、習近平は中国共産党の中の「中央委員会」の総書記なんですよ。だから「中共中央総書記」という肩書で呼ばれています。・・・・と概ね、こうなるだろう。これに関しては5月30日のコラム<「習近平失脚」というデマの正体と真相>(※5)に詳述した。結果的に中共中央総書記は、中央委員会政治局委員でなければならないし、中央委員会政治局常務委員会委員の一人でもなければならない。しかし、それはあくまでも結果であって、「総書記」とは「中共中央総書記」のことであり、決して「中共中央政治局常務委員会総書記」ではないのである。そのような肩書は中国共産党内に存在しない。したがって池上氏の「総書記というのは、中国共産党中央政治局常務委員の7人のうちのひとりという位置づけです」も微妙にまちがっている。一見正しそうに見えてしまうが微妙に事実と異なる表現をつなぎ合わせていくと、非常に違う概念を生んでいく危険性を孕んでいる。「池上彰さん、間違えていませんか? 中国共産党「党主席」制度に関して(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: 新華社/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96326?imp=0(※3)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96326?imp=0(※4)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96326?page=2(※5)https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220530-00298521 <FA> 2022/06/22 10:08 GRICI 台湾問題を生んだのは誰だ? 次に餌食になるのは日本(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「台湾問題を生んだのは誰だ? 次に餌食になるのは日本(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆経済では勝てないので、中国に軍事行動をさせて中国を潰すアメリカの長期戦略今般のウクライナ戦争でも、だんだんと世界の多くの人が「ウクライナ戦争を起こさせたのはアメリカだ」と認識するようになったが、その認識をしっかり持たないと、次にやられるのは日本であることに対して、正しい警戒心を持ち得ない。拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』でも書き、また5月31日のコラム<スイス平和エネルギー研究所が暴露した「ウクライナ戦争の裏側」の衝撃 世界は真実の半分しか見ていない>(※2)でも考察したように、ウクライナ戦争はバイデンが2009年から周到に練り上げてきた「利己的欲望」に基づいて起こしたもので、ウクライナをNATO加盟へと扇動した結果が招いたものである。この因果関係を見極めないと、次に餌食になるのが「日本国民」になる論理が見えてこない。中国は台湾の平和統一を狙っている。なぜなら中国は中国共産党による一党支配体制の維持を最優先課題としているので、もし武力攻撃によって台湾を統一したら、台湾国民は当然中国を忌み嫌い反中反共が激しくなっていく。そのような国民が中国の中に組み込まれたら、中国共産党の一党支配体制の維持は困難になり、崩壊する危険性が大きくなるからだ。台湾周辺での軍事演習による威嚇は、民進党になってから激しくなったもので、「独立を叫んだら、どういうことになるか分かってるな」という脅しである。アメリカ政府の高官が台湾を訪問した時なども、この威嚇演習が激しくなる。威嚇をしているだけで、中国は台湾商人を経済的にからめとって「平和統一」するのを最大の実現目標としている。しかし、平和統一されては困る国がある。それこそが、アメリカだ。なぜなら、平和統一などされてしまったら、中国は台湾の半導体産業TSMCをも自分のものとして、ますます経済発展を遂げて、軽くアメリカのGDPを抜いてしまうだろうからだ。ならば、中国経済の成長を阻害するにはどうすればいいのか?それは中国に台湾を武力攻撃させること以外にない。この「台湾武力攻撃」さえ中国がやってくれれば、アメリカは今ロシアを制裁しているのと同じように全世界に呼び掛けて中国を制裁し、中国を潰すことができると考えている。だから、何とか台湾に独立を叫ばせ、「中国を最も怒らせる方向」に「じわじわ」と動いている。◆戦争を仕掛けて自国を有利にするアメリカに意思表明できる勇気を!もっとも、中国を最大貿易国としている国の数は、世界190ヵ国中128ヵ国なので、経済制裁をすると、世界のほとんどの国の経済が成り立たなくなってしまうので、それは断行しにくい。その代わりに、ロシアのウクライナ侵略同様、NATOをはじめとした同盟国が軍事的に台湾に協力し、台湾に武器を提供したり軍事費の支援をしたりすることによって、中国を苦戦に追い込むという方法をとるだろう。そのためにバイデンは、日本にも韓国にもNATO加盟させる方向で動こうとしている。それでいて、米軍兵士自身は参戦しないという計算だ。ウクライナと同じように、相手が中国であるなら、攻撃してくる国が「核兵器」を持っているからという口実を設けることができる。実際に「人間の盾」となって戦うのは「台湾人」であり、尖閣問題をも抱えている「日本国民」だ。日本はアメリカに対して「戦争という手段によってアメリカに有利な状況へ持っていくようなことをするな」と堂々と言えなければならない。その勇気を持たなければならない。まさか日本の政治家が,それを見抜く力を持っていないとは思わない。分かっていても、アメリカに追随しているように振る舞う政治家が多いのかもしれない。その意味では実は「日本はアメリカに依存しない自立した軍事力を持つべきだ」という点で、筆者と安倍元首相との視点は、案外一致しているところがあるようにも思う(このことに関しては別途考察するつもりだ)。いずれにせよ、アメリカには「中華人民共和国を、中国を代表する唯一の国として国連に加盟させ、国連安保理常任理事国にした責任」を、戦争という手段ではなく、「外交的政治手段で果たせ」と、堂々と言える日本でなければならない。それがせめてもの、中国の経済繁栄に貢献した日本の罪を償う方法ではないだろうか。戦争以外の方法で解決させる責任が、日本にはある。筆者が「戦争を起こす者」に拘(こだわ)るのは、日中戦争と国共内戦と朝鮮戦争という3つの戦争を中国で体験したからだ。国共内戦では7歳の時に餓死体の上で野宿させられて恐怖のあまり記憶喪失になり、中国共産党軍の流れ弾を受けて身障者にもなった。中国では「侵略戦争を起こした日本人」としていじめ抜かれ、自殺を試みたこともある。だから戦争を憎む。ひたすら戦争の原因を追究しようと老体に鞭打っている。日中戦争が始まった時はまだ生まれてさえいなかったのだから何も出来なかったが、しかし「次の戦争が起きようとしている今」、私はまだ何とか生き残っている。生きているからには戦争を防ぐために微力でも警鐘を鳴らさなければならないと、自らに言い聞かせている。日本の一国民として日本を戦争から守りたいのだ。そのための考察であることを、どうかご理解いただきたい。なお、中国の長春で経験した国共内戦に関しては7月初旬に復刊される『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(※3)で詳述した。これまで出版してきた「チャーズ」関係の本が全て絶版になってしまったので、新たな視点で復刻版を出版する次第だ。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://grici.or.jp/3174(※3)https://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89-%E9%95%B7%E6%98%A5%E3%81%AE%E6%83%A8%E5%8A%87%E3%80%8C%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%80%8D-%E9%81%A0%E8%97%A4-%E8%AA%89/dp/4408650242/ref=sr_1_11?qid=1655194843&s=books&sr=1-11 <FA> 2022/06/15 16:30 GRICI 台湾問題を生んだのは誰だ? 次に餌食になるのは日本(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってお届けする。シンガポールで開催されたアジア安全保障会議では台湾問題が大きなテーマの一つだった。台湾問題を生んだのはアメリカで、中国経済を強大化させたのは日本だ。その責任は戦争以外の手段で取らなければならない。◆中国国防部長の台湾問題に関する強気な発言6月10日~12日、シンガポールのシャングリラホテルでアジア安全保障会議(シャングリラ対話)が開催された。12日には台湾問題に関して集中砲火を浴びた中国の魏鳳和国防部長が強気な発言をした。中国政府の発表によれば(※2)魏鳳和は概ね以下のように述べている。——台湾は中国の台湾であり、台湾問題は中国の内政問題で、祖国統一は絶対に達成されるべきだ。「台独(台湾独立)」を行なおうとする分裂主義には悲惨な末路が待っており、外部勢力による干渉は必ず失敗する。和平統一こそは中国人民が最も願っていることで、そのためなら、われわれは最大の努力を尽くす。しかし、もし台湾を分裂させようという魂胆を持つ者が現れたら、戦いを交えることも惜しまなければ、いかなる犠牲をも惜しまない。何人(なんぴと)たりとも、中国軍隊の決意と意志と強大な能力を見損なってはならない。(引用ここまで)つまり、「中国は平和統一を最大の願望としているが、他国が干渉してきて台独を煽るなら、その時には容赦はしない」ということだ。◆台湾は「中国の台湾」であり「内政問題だ」の正当性を与えたのはアメリカ台湾は「中国の台湾」であり、「中国の内政問題だ」というのは、中国政府の常套句だが、この言葉の「正当性」を与えたのはアメリカだ。1960年代末から70年代初期にかけて、当時のニクソン大統領が「大統領の再選」を狙って、1971年4月16日に「米中国交正常化長期目標」を発表して訪中意向を表明し、当時のキッシンジャー国務長官に「忍者外交」(1971年7月9日)をさせた。これは世界に衝撃を与え、その勢いで国連は1971年10月25日、「中華人民共和国」を「中国を代表する唯一の国家」と認めて、国連加盟させたのである。第二次世界大戦中からアメリカに協力し、ルーズベルト大統領とカイロ密談などを行なってきた蒋介石率いる「中華民国」は、かくして国連から脱退するところに追い込まれたのだ。米ソ対立で不利になり、かつ「トンキン湾事件」という口実を捏造して開戦し泥沼化したベトナム戦争からも抜け出したかったアメリカは、「中国共産党が支配する中華人民共和国に近づく」ことによって活路を見い出し、大統領再選を狙ったのである。1972年2月21日、ニクソン大統領が訪中して(キッシンジャー同伴)、「一つの中国」を受け入れ、「中華民国」と断交し、米中国交正常化の共同声明を発表した。日本をはじめ、世界の多くの国が競うようにしてアメリカに続き「中華民国」と断交してつぎつぎと「中華人民共和国」との国交を正常化させていった。こうして形成されたのが、こんにちの、いわゆる「国際秩序」だ。たかだか一国の大統領再選のために、「中華民国」(台湾)を見捨て、「中華人民共和国」を承認した。戦勝国「中華民国」をメンバー国の一つとして設立された国連から、その「中華民国」を打倒して誕生した「中華人民共和国」が「戦勝国」として国連の安保理常任理事国の席に座っている。こんなデタラメなことを実現させたのがアメリカなのである。日本人は、まず、このことから目をそむけてはならない。◆中国を強大化させたのは日本そのころの中国は極貧国の中の一つに過ぎないほど貧乏だった。それを今日のような経済大国に成長させたのは、わが国「日本」だ!1989年6月4日の天安門事件で、トウ小平は中国人民解放軍に命令して、民主を叫ぶ丸腰の若者に発砲し、武力で民主化運動を鎮圧した。その結果、西側諸国が中国を経済封鎖したにもかかわらず、「中国を孤立させてはならない」として封鎖解除に最初に踏み切ったのが、われらが「日本」なのである。ベルリンの壁が崩壊し、民主の嵐が世界中に吹き荒れていたとき、アメリカはソ連を無血崩壊させることには細心の注意を払いながら成功しているが、同じ共産党が支配する国家である中国を崩壊させないどころか、日本とともに「中国を豊かにさせていくこと」に貢献している。日本とは同罪で、共犯者と言ってもいいだろう。ソ連崩壊は「ソ連が経済的に貧困だったから」という要素があるが、中国もあの頃は同じように「貧困だった」ので、言論弾圧をする共産主義国家「中国」をも、同様に崩壊させることが可能だったはずだ。あのときこそが唯一のチャンスだった。そのチャンスを逃したのは、日本が「中国を孤立させてはならない」という感情論で、「トウ小平が偉い」という「トウ小平神話」を信じていたからである。その「トウ小平神話」こそが「最大の元凶」であることは、拙著『習近平 父を破滅させたトウ小平への復讐』で描き尽くした。日本人は今もまだ、この事実の重大性に気が付いていない。最も罪深いのは、「トウ小平神話の災禍」を全くわかってない政治家が、日本の政治を今も動かしていることだ。日本の対中政策は、まずここから考え直さなければならない。アメリカがなぜ「ソ連は危険」で「中国は危険でない」と区別して、ソ連は崩壊させ、中国を崩壊させようとは思わなかったのかは明らかで、その当時の「中国の軍事力は弱い」と判断したからである。ソ連を崩壊させたのは「ソ連の軍事力は強い」と警戒したからだ。中国共産党とは何かを全く理解していない無知蒙昧さが招いた結果だ。日本とアメリカ両国のこの決定的な判断ミスにより、中国経済は強大化し、その結果、「軍事力も強大化した」。だからこそ、いまアメリカは、何としても中国を潰さなければならないと、必死なのである。「台湾問題を生んだのは誰だ? 次に餌食になるのは日本(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。写真: ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)http://www.gov.cn/guowuyuan/2022-06/12/content_5695345.htm <FA> 2022/06/15 16:28 GRICI 北朝鮮ミサイル発射を中国はどう見ているのか?拉致問題を抱える日本はどうすべきなのか?(2)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「北朝鮮ミサイル発射を中国はどう見ているのか?拉致問題を抱える日本はどうすべきなのか?(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。◆中国の北朝鮮に対する国際的な姿勢実は中国へ滅多に北朝鮮に対する中国の姿勢を話すこともない。ところがたまたま、5月25日の国連安保理における北朝鮮の核問題に関する追加制裁決議案で、中国が拒否権を使ったために、張軍国連大使が、「なぜ拒否権を使ったか」に関する説明をするためのスピーチを行った(※2)。そのスピーチは、中国の北朝鮮に対する姿勢をよく表しているので、いくつかをピックアップしてご紹介したい。以下「半島」というのは「朝鮮半島」のことである。1.半島の隣国として、中国は半島情勢を非常に懸念し、常に半島の平和と安定を維持し、半島の非核化を主張し、対話と協議を通じて問題を解決することを主張している。2.半島の問題は、何十年にもわたって浮き沈みしているが、「対話と交渉が問題を解決する唯一の実行可能な方法である」ことを繰り返し証明している。3.2018年、北朝鮮は一連の非核化と緩和策を講じ、シンガポールで米朝首脳が会談し、新たな米朝関係の構築、朝鮮半島の平和メカニズムの構築、朝鮮半島の非核化プロセスの推進について重要な合意に達した。しかし残念ながら、アメリカは「行動対行動」の原則を無視して北朝鮮の積極的な行動に反応せず、米朝対話は行き詰まり、非核化プロセスは停滞し、半島情勢の緊張は高まり続けている。半島情勢が現在のこの段階にまで至ってしまったのは、主としてアメリカ自身が従来の政策の繰り返しに戻ってしまい、せっかく創り上げた対話の成果を壊してしまったからだ。(筆者注:2019年3月4日のコラム<米朝「物別れ」を中国はどう見ているか? ——カギは「ボルトン」と「コーエン」>(※3)に書いたように、2019年2月27日から28日にかけてハノイで華々しく行なわれるはずだった2回目の米朝首脳会談は、28日の昼、突然、決裂に終わった。トランプ大統領は戦後続いてきた北朝鮮問題を自分の手で解決してノーベル平和賞を狙っていたが、朝鮮半島から戦争が無くなると軍事産業が困るアメリカは、ボルトンを中心とした一派がトランプを強引に金正恩から引き離し、半島に「平和」が来るのを阻害した)。4.関係国は、追加制裁の実施に重点を置くだけでなく、政治的解決を促進し制裁を適宜緩和する努力をすべきだ。特に現在の北朝鮮におけるコロナの激しい流行がある中、追加制裁をすれば国民に命の危機に関わる非人道的な結果をもたらすだけで、核問題抑止には如何なる影響ももたらさない。追加制裁は北朝鮮に対する制裁の強化を推し進める一方で北朝鮮に人道的支援を提供する意思を主張しているが、これは明らかに矛盾しており整合性がない。制裁は解決につながらない。5.アメリカは北朝鮮問題にかこつけてインド太平洋戦略を推進し、排他的な小さなグループ(筆者注:日米豪印クワッドや米英豪オーカスなど)を形成しては地域の安定と平和的秩序を乱す危険な行動を行っている。アメリカは核拡散に深刻なリスクをもたらす「原子力潜水艦、超音速兵器などの攻撃兵器、核弾頭を搭載できる巡航ミサイル」などを他国に販売し、核不拡散体制に逆行した動きを見せ、地域の脅威を煽ることによって「核共有」を周辺国に主張させている。北朝鮮をカードにしてアメリカの軍事力を強化するため、世界を冷戦構造へと戻そうとしている。中国はそのことに強く抗議し、対話による問題解決を強く望む。以上が中国の北朝鮮問題に対する主たる主張だ。要するに制裁では北朝鮮の暴走や非核化を止めることはできず、ますます追い込むだけで、(トランプ元大統領のように)対話以外に道はないということを主張している。◆拉致問題を抱える日本はどうあるべきか?日本は北朝鮮に関しては特別の関係にあり、何と言っても拉致問題を抱えている。北朝鮮の暴走は絶対に許せない。あってはならないことだ。しかし、日本政府は「拉致問題こそは政府の最大の課題だ」と呪文のように言い続けるばかりで、いったい何十年が経っているのだろう。歴代総理大臣はそう言うだけで、一歩たりとも自ら動こうとはしていない。敢然たる「政治的決断」により動いたのは小泉純一郎元総理だけではないか。トランプが金正恩に会いたがったあのとき、最高のチャンスであったというのに、政府はやはり自ら積極的に動き拉致問題解決に向けて突撃しようとはしなかった。人は一分一秒、年齢を重ね、間違いなく「命の終わり」に近づいていく。40年も経過すれば拉致された側も取り残されたそのご家族の方々の寿命にも限界が出てくる。それでも岸田首相もまた「拉致問題こそは我が政府最大の課題だ」と呪文のように言うだけ言って、何もしない。するのはトランプ元大統領やバイデン大統領に拉致被害者家族と会ってもらって労(ねぎら)いの言葉を掛けてもらい、記念写真を撮るだけである。バイデンがひざまずいて拉致被害者家族に言葉を掛けたなどというのはパフォーマンスに過ぎず、これによって拉致問題は1ミリたりとも動かない。これまでは習近平にまで拉致問題の解決に関して協力してくれと頼んできたのだから笑止千万だ。そんなことを習近平が金正恩に言って「駆け引きの道具」に使うかと言ったら、「絶対に使わない」。ましてや「善意から日本のために動く」などということも「100%ない!」と断言できる。他国の首脳に頼んだりせず、一国の首相として自ら決断し動く以外に道はない。たしかに「ならず者」国家に道理は通らないだろうが、トランプ元大統領はやってのけたし、小泉元総理も断行したではないか。拉致は相手が「ならず者」国家だからこそ起きている。その国にわが国の国民が拉致されたままになっている。国家の尊厳を考えるなら、自国の民の命を救い出すことが先決だろう。何もかもアメリカに足並みを揃えることだけが国家の道ではない。アメリカにはアメリカの計算(=軍事ビジネスの維持と世界覇権)があって動いていることを見抜くくらいの力量が国家になくてどうするのか?そこを見抜いてこその国家の尊厳だと思うが、いかがだろうか?だからこそ、日本は自国の軍事力も強化しなければならない。そのことに関する筆者の主張に変わりはない。写真: KRT/ロイター/アフロ(※1)https://grici.or.jp/(※2)https://www.fmprc.gov.cn/zwbd_673032/wjzs/202205/t20220527_10693319.shtml(※3)https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20190304-00116834 <FA> 2022/06/07 16:25

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