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世界で伸びる太陽光発電市場、日本の再エネ産業成長のためには「一度決めても変更する力」が必要だった…!(1)

配信日時:2022/01/20 10:38 配信元:FISCO
ゲスト

伊原智人(Green Earth Institute株式会社 代表取締役CEO)

1990年に通商産業省(現 経済産業省)に入省し、中小企業、マクロ経済、IT戦略、エネルギー政策等を担当。1996~1998年の米国留学中に知的財産権の重要性を認識し、2001~2003年に官民交流制度を使って、大学の技術を特許化し企業にライセンスをする、株式会社リクルート(以下、「リクルート」という。)のテクノロジーマネジメント開発室に出向。2003年に経済産業省に戻ったものの、リクルートでの仕事が刺激的であったことから、2005年にリクルートに転職。震災後の2011年7月、我が国のエネルギー政策を根本的に見直すという当時の政権の要請でリクルートを退職し、国家戦略室の企画調整官として着任し、原子力、グリーン産業等のエネルギー環境政策をまとめた「革新的エネルギー環境戦略」策定に従事。2012年12月の政権交代を機に内閣官房を辞して、新しいグリーン産業の成長を自ら実現したいと考え、Green Earth Institute株式会社に入社。2013年10月より代表取締役CEO。

聞き手

白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)


●今後の再エネの主役は「太陽光発電」に

白井:2021年11月13日、グラスゴー気候合意(協定)を採択してCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)が閉幕しました。

この合意では、2100年における世界の平均気温を、産業革命以前に比べて1.5度の上昇に抑える努力や、温暖化の最大の原因である石炭火力発電の「段階的な削減」が盛り込まれています。気温上昇に対する取り組みの具体案が不十分という声が聞かれる一方、石炭という特定のエネルギー源に言及して目標を設定することは異例のことであり、この点においては関係者からは高く評価されています。

日本政府は、2020年10月に2050年までのカーボンニュートラルを目指すことを宣言し、2021年4月には、2030年までに2013年比で温室効果ガス46%削減を表明しました。

2018年時点では化石燃料が総エネルギーに占める比率は約85%です。再生可能エネルギーやいわゆるクリーンエネルギーといった分野が、中長期的に大幅に拡大することが見込まれていますが、2018年比で温室効果ガス削減約40%、2050年までのカーボンニュートラルを目指すためには、再生エネルギーの中でも太陽光発電が主役となりそうです。

このような状況下、日本はどのような道を選んでいくべきかについて、かつて通産官僚として日本のエネルギー政策を描かれたGreen Earth Institute(グリーンアースインスティテュート)株式会社代表取締役CEOの伊原:智人様にお話をお伺いしたいと思います。

伊原:このような機会をいただきまして、ありがとうございます。行政の立場からエネルギー政策に関わったのは、資源エネルギー庁電力市場整備課で1年ちょっと、国家戦略室で1年半と、合計2年半ですが、深い密な時間を過ごすことができました。いろいろな方ともお会いできて、さまざまな知識も得ることができました。

まず、簡単に自己紹介をさせてください。通産省に入省したのは1990年で、中小企業政策、マクロ経済、IT政策などを担当しました。2年間米国に留学した際には、知的財産(Intellectual Property=IP)や無形資産というものに触れ、シアトルではマイクロソフトに訪問などしました。過去の日本では特許部というと経営からは遠い感じがしていましたが、米国でIPというと、専門の取締役がいて、戦略を立案するところという印象でした。帰国したら知的財産に関する仕事に携わりたいと思っていましたが、結局、大臣官房の行革担当として戻ることになりました。ちょうど通産省から経産省に変わる直前の2000年前後です。

行政改革とはいろいろな組織の権限を引き直すことで、各省と権限の争いのようなことをやらなければいけないのですが、もっと実業に近いところをやりたいと思い、官民交流制度の公募に手を挙げて、2001年からリクルートに行かせてもらいました。2年間にわたって、大学の技術を特許取得して企業にライセンスするという、リクルートの中でもちょっと変わった部署で業務に携わったのですが、そこでは知的財産をビジネスにする面白さ、醍醐味を経験しました。

●核燃料サイクルに疑問を持ち始めた…

白井:20代から30代の前半にかけて、海外、そして民間企業でも経験を積まれたのですね。エネルギー政策と関わるようになるのはそのあとですか。

伊原:その後、経済産業省の資源エネルギー庁に戻りました。電力市場整備課という、電力会社と対峙する部署です。2003年から2004年にかけて、電力会社から、原子燃料の再処理費用や再処理施設の廃止に関わる費用を電気料金に上乗せして、利用者に負担させるようにして欲しいという要望を受けました。核燃料サイクルには将来大きな費用がかかるというのが理由でした。

ちょうどこの頃は、電力の自由化が始まる時期でした。これによって、電力会社がコストを全部料金に乗せられる総括原価という方法ができなくなるため、その将来かかる費用をいま、回収させてほしいということでした。それ自体は否定できるものではありませんが、核燃料サイクルを継続・維持するコストなどがはっきりせず、そもそも核燃料サイクルの必要性が疑問でした。

私が2003年に電力市場整備課に着任し、エネルギー政策の立案を行なった当初は、純粋に原子力発電は必要だと思っていました。原子力の核燃料サイクルは「使用済みの核燃料を再処理工場に持ち込んで再処理し、最終的には再び核燃料として利用する」という非常に夢のある話であり、これを進めることには何の疑いも持っていませんでした。

しかし、業界に関して勉強を進める中で徐々に実情がわかってきて、核燃料サイクル政策に対して疑問を覚えるようになりました。

日本が1950年代に核燃料サイクルに取り組み始めた頃は、エネルギー資源が少ない日本にとってのひとつの理想形だったのだと思います。しかしその後の1990年代には、核燃料サイクルには技術的な課題が多く、経済的に成り立たないことが明らかになってきたため、世界各国がやめていったのです。

日本では、再処理し終えた核燃料を使う高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が1994年からはほぼ稼働せず2016年に廃炉が決定しましたが、青森県六ヶ所村では使用済み核燃料の再処理工場の稼働に向けた取組みを続けてきました。

専門家や業界の方々の本音は、「本当は上手くいくはずがない、安くできることはない、とわかっているのにもかかわらず、やめることができない」とのことでした。慣性の法則といいますか、行政の無謬性(むびゅうせい)の呪縛にかかり、このまま進めてはいけないと理解しつつも、止めることがなかなかできないのです。一種のチキンレースであり、「この責任を政府が負うのか、電力会社が負うのか」という、責任の押しつけ合いになっていたのです。

暴走族のチキンレースであれば壁にぶつかるのは本人たちですが、この問題は、多大な債務と多大な放射能にまみれた工場が残ります。本来は、やめるという決断をすべきだったのです。

●リクルートを辞めて、国家戦略室へ

伊原:しかし、結果的には核燃料サイクル政策を止めることはできませんでした。そして、2005年に経産省をやめて、かつて官民交流で働いていたリクルートに転職しました。

そしてその6年半後、東日本大震災が起こったのです。ほどなくして、民主党から「エネルギー政策を一から見直すことになったから国家戦略室に来ないか」というお声がけをいただきました。その頃、菅直人総理はエネルギー政策を見直すと明言し、国家戦略担当大臣の玄葉光一郎さんにエネルギー政策の見直しを指示されていたのです。

日本のエネルギー政策、特に電力政策を変えることの大変さは、2003年から2004年にかけての資源エネルギー庁での経験で肌身に染みていました。だからこそ、こういう機会でもないと変えられないと思い、リクルートを辞めて、2011年7月から国家戦略室に行きました。原発問題を含めていろいろなエネルギー問題について勉強していく中で、船橋洋一さんにもお会いしました。

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