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『日米中の軛』日米中の罠:日本が避けるべきもの(船橋洋一編集顧問との対談)(1)【実業之日本フォーラム】
配信日時:2021/09/17 10:30
配信元:FISCO
ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)
聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)
■日露戦争が変えたアメリカの対日観
白井:日米中は、世界第一位から三位までの経済大国であり、三か国の関係が世界政治に多大な影響を及ぼすといっても過言ではないでしょう。一方で、その関係はさまざまです。日本にとって、アメリカは同盟国であり、中国は最大の貿易相手国です。日本にとって、両国とも戦争の相手であり、侵略した相手でもあります。米中関係が複雑化する中で、日本はどういう立ち位置で、どういう考えをもって動くべきか。今まさに日本にとって外交、安全保障、経済の最も難しい局面が来ている気がしますが、日本の動き方を考えるためには、日本の対米観、対中観を、まず認識しておく必要があろうかと思います。先生のお考えはいかがでしょうか。
船橋:これも少し歴史的に振り返る必要があります。インド太平洋、少し前のアジア太平洋において、日本が地政学的に非常に難しい軛を感じたのは、日露戦争のあとでしょう。セオドア・ルーズベルトが仲裁役となり、1905年9月にポーツマス条約が成立し、曲がりなりにも日本は戦勝国となりました。しかしその瞬間から、アメリカの対日観は冷えていくわけです。中国への進出をはかろうとしていたアメリカは、ロシアがアジア太平洋の一強国家になっては困るという判断から、それまで日本を応援していました。しかし、日露戦争で日本が勝利すると、今度は日本が太平洋の一強になっては困ると考えるようになりました。日本は中国におけるアメリカの権益を脅かすから、むしろ中国をもり立てて日本に対抗させろというように変わってくるわけです。
日本は、1907年の帝国国防方針で、ロシアとアメリカを主要な仮想敵国としました。アメリカも、1906年に非公式調査に着手し、1908年にハワイに海軍基地を置くことを決めました。その後、1924年に正式採用された「オレンジ計画」で、日本を仮想敵国に措定しました。日露戦争後、期せずして日米が、それぞれを仮想敵国とみなし始めたわけです。その文脈で、日本を押さえ込むには中国と握っていこうというベクトルが、日露戦争後、生まれ始めたのですね。
白井:アメリカの日本に対する脅威認識は日露戦争直後からだったのですね。アメリカの中には、日米で一緒に満州の開発に取り組もうとするハリマン財閥のような動きもあったと思います。ロシアを抑え込み、中国でともに繁栄するパートナーとして位置づけることもできたと思うのですが、日本をより大きな脅威だと認識した理由は何でしょうか。
船橋:日本がシーパワーだったからです。アメリカは、1898年の米西戦争から、キューバ、グアム、フィリピンといったスペインの領地だったところをすべて獲得し、ハワイも併合し、西太平洋、南太平洋まで一気に版図を拡大しました。こうして太平洋を西に突き進むアメリカの前に、朝鮮半島から中国に権益を拡大しつつあった日本が立ちはだかってきたとアメリカは見たのです。1853年にペリー率いるアメリカ合衆国東インド艦隊が来航し、開国させた日本が、半世紀ほどの間に勢力を拡大し、西太平洋から南シナ海へと勢力圏を広げようとしている。ルーズベルト大統領は、フィリピンの領有は「米国のアキレス腱」だと感じ始めていました。フィリピンは、日本とは直線距離で3,000キロメートルほどしか離れていません。フィリピンが日本に併合される危険性が生じたことで、アメリカは日本に対する安全保障上の脅威を感じるようになりました。
1930年代に満州事変、そして日中戦争が起こると、日米の対立関係はさらに深まり、米国は日本と正面から衝突するようになります。これは1949年の中国革命まで続きます。日本敗戦の1945年までは、アメリカと中国は連合国として同盟国でした。ですから、米中は20年近い間、同盟あるいは準同盟という関係であったわけです。
■アメリカの地政学的DNA
白井:そういったことを鑑みると、一般に考えられている以上に、米中というのは非常に深い同盟関係を持っていたことになりますね。日本という敵国に対して一緒に戦った、そういう経験もあるということですね。これは、現在の日米中の関係を前提としたとき、日本にはなかなか見えにくいところではないでしょうか。
船橋:戦後の米中関係についても、米中のこのいわば “1930年代システム”の記憶と音律の伏流水のようなものを感じたことがあります。例えば、1972年のニクソンによる頭越し訪中ですね。その年2月にニクソンが、北京で毛沢東や周恩来と会談します。そのときに中国を説得するために使われたロジックが2つあるのですが、そのうち1つは、「日本は危ない国である」という論理です。
ニクソンは周恩来にこう言っています。
「日本は、国民として、膨張主義の衝動と歴史を持っています。もし彼らが経済的には巨人だが軍事的には小人のまま放り出されたら、軍国主義者の要求にやすやすと従うような結果になるのはさけられないと私は思います。他方で、アメリカにいる我々が彼らと密接な関係を保ち、彼らの防衛を引き受けてやっていたらーーかれらは核防衛ができませんからーー経済的膨張の次に軍事的膨張がくるという道を、日本にたどらせないことができるのではないでしょうか。しかし、それは彼らと密接な関係があってのことです。もし密接な関係がなくなれば、彼らは我々に関心をはらわなくなるでしょう」。
(毛利和子・毛利興三郎『ニクソン訪中機密会談録』、名古屋大学出版会、2001、p103)
要するに、「中国が誰よりも知っているように、日本は危ない国である。経済が回復して経済大国になったが、いずれ軍事大国になる。そうなると中国は困るのではないか。しかし、アメリカがしっかり日本に勝手な真似はさせないから安心してほしい。日米同盟はそのためのものでもあるのだから、念のため」ということを言おうとしているのですね。典型的な「瓶の蓋」論です。
ニクソンのもう1つのロジックは、「ソ連は危ない国である」という論理です。
ニクソンは周恩来に次のように言っています。
「アメリカは日本の水域を出ていくことはできますが、そうすれば他のものがそこで魚を取り始めるでしょう。またアメリカと中国はともに日本軍国主義の過酷な経験をしました。過去において日本の政府を性格づけてきた軍国主義からは今は状況が永遠に変わったのだと我々も望みます。しかし、一方でアメリカが日本を裸のままにしてでていったとき、中国にとって不都合なことが起こりかねないと感じますし、そうならないと言う保証はしかねます。日本人は、あの巨大な生産的な経済、大きな自然の衝動、敗北した戦争の記憶などから、アメリカの保障がはずれたなら、自分自身の防衛体制を築く方向に向かうことが大いにありえます。(原文、以下5行略)他方で、日本は中国に向かうかソ連に向かうかの選択肢を持ちます」。
アメリカの軍隊が日本から去れば、日本は独自の防衛力増強に向かうか、中国に向かうか、あるいは日本がソ連に寄って行くか」という3つの可能性に触れ、中国に日米同盟がまだしもましだと思わせようとするのです。ニクソンの話を聞いた中国の指導者からすると、アメリカは日本をそんなに信用していないのか、と驚いたのではないでしょうか。「瓶の蓋」論は、多分に戦術的な便法だったにしても、アメリカが中国に対してそういったロジックを使ったこと、そして、アメリカがアジア太平洋にまみえるとき、この地域に覇権国をつくらせないため合従連衡を厭わないこと——そうした地政学的リアリズムとアメリカの地政学的DNAを我々は心のどこかにとどめておかなければなりません。
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)
『日米中の軛』日米中の罠:日本が避けるべきもの(船橋洋一編集顧問との対談)(2)【実業之日本フォーラム】へ続く
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船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)
聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)
■日露戦争が変えたアメリカの対日観
白井:日米中は、世界第一位から三位までの経済大国であり、三か国の関係が世界政治に多大な影響を及ぼすといっても過言ではないでしょう。一方で、その関係はさまざまです。日本にとって、アメリカは同盟国であり、中国は最大の貿易相手国です。日本にとって、両国とも戦争の相手であり、侵略した相手でもあります。米中関係が複雑化する中で、日本はどういう立ち位置で、どういう考えをもって動くべきか。今まさに日本にとって外交、安全保障、経済の最も難しい局面が来ている気がしますが、日本の動き方を考えるためには、日本の対米観、対中観を、まず認識しておく必要があろうかと思います。先生のお考えはいかがでしょうか。
船橋:これも少し歴史的に振り返る必要があります。インド太平洋、少し前のアジア太平洋において、日本が地政学的に非常に難しい軛を感じたのは、日露戦争のあとでしょう。セオドア・ルーズベルトが仲裁役となり、1905年9月にポーツマス条約が成立し、曲がりなりにも日本は戦勝国となりました。しかしその瞬間から、アメリカの対日観は冷えていくわけです。中国への進出をはかろうとしていたアメリカは、ロシアがアジア太平洋の一強国家になっては困るという判断から、それまで日本を応援していました。しかし、日露戦争で日本が勝利すると、今度は日本が太平洋の一強になっては困ると考えるようになりました。日本は中国におけるアメリカの権益を脅かすから、むしろ中国をもり立てて日本に対抗させろというように変わってくるわけです。
日本は、1907年の帝国国防方針で、ロシアとアメリカを主要な仮想敵国としました。アメリカも、1906年に非公式調査に着手し、1908年にハワイに海軍基地を置くことを決めました。その後、1924年に正式採用された「オレンジ計画」で、日本を仮想敵国に措定しました。日露戦争後、期せずして日米が、それぞれを仮想敵国とみなし始めたわけです。その文脈で、日本を押さえ込むには中国と握っていこうというベクトルが、日露戦争後、生まれ始めたのですね。
白井:アメリカの日本に対する脅威認識は日露戦争直後からだったのですね。アメリカの中には、日米で一緒に満州の開発に取り組もうとするハリマン財閥のような動きもあったと思います。ロシアを抑え込み、中国でともに繁栄するパートナーとして位置づけることもできたと思うのですが、日本をより大きな脅威だと認識した理由は何でしょうか。
船橋:日本がシーパワーだったからです。アメリカは、1898年の米西戦争から、キューバ、グアム、フィリピンといったスペインの領地だったところをすべて獲得し、ハワイも併合し、西太平洋、南太平洋まで一気に版図を拡大しました。こうして太平洋を西に突き進むアメリカの前に、朝鮮半島から中国に権益を拡大しつつあった日本が立ちはだかってきたとアメリカは見たのです。1853年にペリー率いるアメリカ合衆国東インド艦隊が来航し、開国させた日本が、半世紀ほどの間に勢力を拡大し、西太平洋から南シナ海へと勢力圏を広げようとしている。ルーズベルト大統領は、フィリピンの領有は「米国のアキレス腱」だと感じ始めていました。フィリピンは、日本とは直線距離で3,000キロメートルほどしか離れていません。フィリピンが日本に併合される危険性が生じたことで、アメリカは日本に対する安全保障上の脅威を感じるようになりました。
1930年代に満州事変、そして日中戦争が起こると、日米の対立関係はさらに深まり、米国は日本と正面から衝突するようになります。これは1949年の中国革命まで続きます。日本敗戦の1945年までは、アメリカと中国は連合国として同盟国でした。ですから、米中は20年近い間、同盟あるいは準同盟という関係であったわけです。
■アメリカの地政学的DNA
白井:そういったことを鑑みると、一般に考えられている以上に、米中というのは非常に深い同盟関係を持っていたことになりますね。日本という敵国に対して一緒に戦った、そういう経験もあるということですね。これは、現在の日米中の関係を前提としたとき、日本にはなかなか見えにくいところではないでしょうか。
船橋:戦後の米中関係についても、米中のこのいわば “1930年代システム”の記憶と音律の伏流水のようなものを感じたことがあります。例えば、1972年のニクソンによる頭越し訪中ですね。その年2月にニクソンが、北京で毛沢東や周恩来と会談します。そのときに中国を説得するために使われたロジックが2つあるのですが、そのうち1つは、「日本は危ない国である」という論理です。
ニクソンは周恩来にこう言っています。
「日本は、国民として、膨張主義の衝動と歴史を持っています。もし彼らが経済的には巨人だが軍事的には小人のまま放り出されたら、軍国主義者の要求にやすやすと従うような結果になるのはさけられないと私は思います。他方で、アメリカにいる我々が彼らと密接な関係を保ち、彼らの防衛を引き受けてやっていたらーーかれらは核防衛ができませんからーー経済的膨張の次に軍事的膨張がくるという道を、日本にたどらせないことができるのではないでしょうか。しかし、それは彼らと密接な関係があってのことです。もし密接な関係がなくなれば、彼らは我々に関心をはらわなくなるでしょう」。
(毛利和子・毛利興三郎『ニクソン訪中機密会談録』、名古屋大学出版会、2001、p103)
要するに、「中国が誰よりも知っているように、日本は危ない国である。経済が回復して経済大国になったが、いずれ軍事大国になる。そうなると中国は困るのではないか。しかし、アメリカがしっかり日本に勝手な真似はさせないから安心してほしい。日米同盟はそのためのものでもあるのだから、念のため」ということを言おうとしているのですね。典型的な「瓶の蓋」論です。
ニクソンのもう1つのロジックは、「ソ連は危ない国である」という論理です。
ニクソンは周恩来に次のように言っています。
「アメリカは日本の水域を出ていくことはできますが、そうすれば他のものがそこで魚を取り始めるでしょう。またアメリカと中国はともに日本軍国主義の過酷な経験をしました。過去において日本の政府を性格づけてきた軍国主義からは今は状況が永遠に変わったのだと我々も望みます。しかし、一方でアメリカが日本を裸のままにしてでていったとき、中国にとって不都合なことが起こりかねないと感じますし、そうならないと言う保証はしかねます。日本人は、あの巨大な生産的な経済、大きな自然の衝動、敗北した戦争の記憶などから、アメリカの保障がはずれたなら、自分自身の防衛体制を築く方向に向かうことが大いにありえます。(原文、以下5行略)他方で、日本は中国に向かうかソ連に向かうかの選択肢を持ちます」。
アメリカの軍隊が日本から去れば、日本は独自の防衛力増強に向かうか、中国に向かうか、あるいは日本がソ連に寄って行くか」という3つの可能性に触れ、中国に日米同盟がまだしもましだと思わせようとするのです。ニクソンの話を聞いた中国の指導者からすると、アメリカは日本をそんなに信用していないのか、と驚いたのではないでしょうか。「瓶の蓋」論は、多分に戦術的な便法だったにしても、アメリカが中国に対してそういったロジックを使ったこと、そして、アメリカがアジア太平洋にまみえるとき、この地域に覇権国をつくらせないため合従連衡を厭わないこと——そうした地政学的リアリズムとアメリカの地政学的DNAを我々は心のどこかにとどめておかなければなりません。
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)
『日米中の軛』日米中の罠:日本が避けるべきもの(船橋洋一編集顧問との対談)(2)【実業之日本フォーラム】へ続く
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