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10周年を迎えた一帯一路(1)【中国問題グローバル研究所】

配信日時:2023/11/15 10:49 配信元:FISCO
*10:49JST 10周年を迎えた一帯一路(1)【中国問題グローバル研究所】 ◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している(※1)フレイザー・ハウイーの考察を2回に渡ってお届けする。


誕生を祝して

数週間前、習近平の代名詞とも言える地政学的プロジェクトの10周年を記念する、第3回一帯一路フォーラム(BARF)が北京で開催された。フォーラムには22人の国家元首と140か国の代表が参加したが、代表者の多くは比較的低いランクの政府高官であり、一部の国々ではメディア関係者のみの参加となった。国家元首22人というのは結構な数にも聞こえるが、前回2019年の開催時より14人も減っている。

一帯一路とは何であるかを端的に表現するなら、それは中国と世界150か国を結ぶ約1兆ドル規模のインフラプロジェクトである。計画の実行開始から10年を経た今、その成功如何を問うてみる価値はあるだろう。一帯一路の目標は達成できたのか? この10年間で一帯一路はどう変わったのか? 世界の指導者たちの出席率が大幅に低下したことを、どう解釈するべきか?

答えは簡単ではない。そもそも、一帯一路プロジェクト全体が明確に定義されたことはなく、その名称さえもやや誤解を招きやすい代物であるからだ。一帯一路はしばしば、古代シルクロードの現代版として紹介される。この言葉は19世紀後半にあるドイツ人によって初めて使われたもので、王朝時代の中国と中東・ヨーロッパを結んでいた、中央アジアを横断する交易路のネットワークを指している。しかし、一帯一路における「路」とは陸路ではなく海路を指しており、「帯」とはアジア大陸を横断する鉄道と道路によって形成される経済ベルトを略したものである。

そもそも、習近平のプロジェクトは別の名前で呼ばれており、10年前には、漢字の一路一带を直訳しただけの「One Belt, One Road」または「OBOR」という、かなり不格好な名称が使われていた。それに、中国がグローバル規模の投資に乗り出したのは今回が初めてではない。習近平が一帯一路について語り始める少なくとも10年前から、中国は多くの途上国に対してインフラ投資を行ってきたが、実績のほどはと言えば必ずしも芳しいものではなかった。これら初期のプロジェクトは一帯一路のスローガンの傘の下に行われたが、一帯一路プロジェクトの何たるかが明確にされることはほとんどなかった。

過去10年間の活動で特徴的だったのは、各国が一帯一路の名のもとに中国と正式に覚書を交わすようになったことだ。これらの覚書は詳細が曖昧であったり、さらに心配なことに秘密裏に交わされたりする場合も多く、それほどの多額の投資の始まりとしてはいかにも頼りない。それでも、2018年半ばの70か国を大きく上回る約140か国が中国と覚書を交わしている。プロジェクトが明瞭なものではないにもかかわらず、ほとんどの途上国がここに一枚噛むことを望んだのであった。曖昧だった詳細も、いつかは明らかになるのだろう。

一帯一路プロジェクトの恩恵を受けられるのは、覚書を通じて中国と協定を結んだ国だけであり、中国が長年かけて示してきたことがあるとすれば、それはインフラを建設できるということだ。一帯一路とは実質的には、中国国内経済で持て余していたインフラ建設能力の輸出であった。時としてBRIは中国から世界への贈り物だとされることもあったが、実際には贈り物などではなく、すべて借金で行われたものだった。


モルディブの橋からパキスタンの発電所や高速道路、アフリカの鉄道に至るまで、被援助国は空港、高速道路、橋、発電所、地下鉄、電気通信などさまざまなプロジェクトのために中国の銀行から資金を借り入れ、プロジェクトの建設は中国の請負業者が担当する、というのが常だった。伝統的に借入へのアクセスが限られていた資金難の国々への融資も受け入れる、という中国の申し出は、断るには惜しいものだった。世界銀行や米国、EUといった他の貸し手とは異なり、他国の問題には干渉しないという中国の方針もあって、一帯一路という安全な傘の下で汚職が蔓延することとなった。

中国国内の開発事業は汚職と切っては切れない関係にあり、現地関係者への賄賂や買収はビジネス慣行の一部となっていた。中国が契約に関する秘密保持を求めるようになると、汚職が横行するようになったばかりか、将来の需要や収益予測も極端に楽観的なものとなった。つまり、取引額が高騰して、被援助国がより多くの負債を抱えることとなった。短期的な影響だけを見て、「アメリカからは講義を受け、中国からは鉄道を得る」という捉え方がなされた。

橋や有料道路の建設資金を借り入れ、借金は将来的に利用者から徴収する通行料で返済するというのは、新たなインフラを実現する方法としては申し分ない。だが、通行料が高すぎて地元の人々がとても道路を使えそうにない、つまり実質的に徴収不可能だとしたらどうだろう? 利用者数が当初の予測を大幅に下回ることもありうる。返済条件があまりに過酷で、10年後という現実的な期限ではなく、わずか5年で返済しなければならなかったとしたら? 中国とヨーロッパを結ぶ数千キロの鉄道線路というのはいかにもインパクトが大きい話であるが、果たしてそれは経済的に実行可能で、航空貨物のスピードや海上輸送の膨大な輸送量に太刀打ちできるものだろうか? 多くの国々にとって、真新しい巨大なインフラは祝福どころか大きな問題へと簡単になり得るのだ。

こうした問題は中国国内では日常茶飯事であり、やはり過度に楽観的なプロジェクト展望がインフラの大規模な供給過剰を招いている。中国ににある数万キロの高速鉄道路線のうち、建設費の回収どころかランニングコストをまかなえるほどの採算が取れている路線はごくわずかだ。

では、全体的には成功と言えるか否か? 一帯一路は一度たりとも、実際の目標や測定可能なターゲットのある定義の明確なプログラムであったことはなく、成功と思ったもの勝ちという側面がある。たしかに数多くの覚書に調印がなされ、大量のコンクリートが打ち込まれ、取引こそ完了したものの、当初の投資への期待は多くの国々で実現しなかった。それでも、一帯一路の性質がどういう変化を遂げたか、同プログラムがもたらした意図せざる結果に対して北京がいかなる対応を強いられてきたかが、この10年間で明らかとなってきた。それを、ここから検討してみよう。


「10周年を迎えた一帯一路(2)【中国問題グローバル研究所】」に続く。

写真: 中国「一帯一路」 北京で国際会議

(※1)https://grici.or.jp/



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