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江沢民は習近平の最大の恩人(2)【中国問題グローバル研究所】

配信日時:2022/12/12 10:34 配信元:FISCO
◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページ(※1)でも配信している「江沢民は習近平の最大の恩人(1)【中国問題グローバル研究所】」の続きとなる。


◆習近平はなぜ、江沢民が中央委員会委員を辞退したことを礼賛したのか?
習近平は弔辞の中で、江沢民が第16回党大会(2002年)の準備作業段階で、(中共)中央委員会委員を辞任すると表明したことを大きく扱い、礼賛した。

日本の一部の中国研究者は、「自分が三期目まで続投して辞任しなかったのに、なぜ江沢民が自ら辞任したことを礼賛したのか、不思議でならない」という趣旨のことを書いているが、読みが浅い。

習近平が礼賛したのは江沢民が政権を去るに当たって「中央委員会委員」を辞任したことを指しているのだ。

つまり、第20回党大会に焼き直せば、李克強が「中央委員会委員」に残らなかったのが如何に正当であるかを言いたいのである。

中央委員会というのは比較的年齢層の若い者が次の段階である「政治局委員」や「政治局常務委員」を目指して頑張る組織なので、そこに李克強が戻るのはあり得ないことだと言いたいわけである。

その証拠に、習近平は「江沢民が中央委員会委員を辞退した」と言った後に、「新老の交替を促すのに利した」と付け加えている。

事実、第20回党大会において、これまでの習近平政権のチャイナ・セブンの中で中央委員に残らなかった人には栗戦書や韓正など、非共青団系列もいて、政治局委員となると、第20回党大会で中央委員にならなかった人物は大勢おり、共青団系列でない名前を何人か挙げれば「劉鶴、許其亮、孫春蘭、楊潔チ、陳全国、郭声コン……」などがいる。

習近平が言いたいのは、海外メディアからの「共青団のみを排除した」という批判に対する回答であった。

◆習近平はなぜ弔辞で天安門事件に触れたのか?
習近平はこのたびの弔辞で、敢えて天安門事件に触れている。

もちろん事件の名称に関しては言わず、中国政府側で定着している呼称である「風波」という表現しか使ってないが、50分間の弔辞の間に、2回も言及している。1回目と2回目の発言内容を以下に略記する。

1回目:1989年の春から夏にかけてわが国は深刻な政治的「風波」が発生したが、江沢民同志は社会主義国家権力を擁護し、明確な立場で混乱に反対するという党中央の正しい決定を断固として支持し、実行し、人民の根本的利益を守り、上海の安定を維持した。

2回目:20世紀80年代後半から90年代初頭にかけて、深刻な政治的「風波」が国際(社会)と国内で発生し、世界の社会主義は深刻な紆余曲折を経験した。一部の西側諸国は、いわゆる「制裁」を中国に課したが、私の国の社会主義事業の発展は、前例のない困難とプレッシャーに直面した。 党と国家の未来と運命を決定するこの重要な歴史的節目に、江沢民同志は党の中央指導集団を率いて、全党、全軍、全国各民族の人民と密接に寄り添い、如何なる揺るぎもなく、経済建設を(中略)堅固に守った。

この「風波」に関して発したシグナルは読み解きやすい。

これは、11月下旬に起きたゼロコロナに対する「白紙運動」と通称される抗議活動に対する牽制(けんせい)で、「断固鎮圧する」という意思表示と、中国は経済建設を重んじていくのだというシグナルである。

「国内外」と言わずに「国際と国内」という中国語を用いたのも、「敵対勢力が操作している」ことを示唆している。

西側諸国が行った「制裁」にめげず「経済建設」を守れたのは、日本が制裁を解除したからだ。それを思うと、何とも苦々しい気持ちになる。

◆死してなお、江沢民は習近平の「大恩人」!
「白紙運動」が台湾の民進党が敗北した11月26日から起こり、それを抑えるかのように30日に江沢民が逝去した。

中華人民共和国建国以来の弔意表明の規模の大きさは、江沢民が死してなお、習近平を救ったことを表している。習近平の弔辞演説は、「荘厳」と言っていいほどの「悲痛さ」と「誠意」を湛(たた)えており、習近平は二度にわたって江沢民に救われたことを感謝しているにちがいない。

ここまで荘厳に執り行えば、人民は誰一人、「江沢民の死をきっかけに全国的な抗議運動を展開する」という方向には動けない。それを計算し尽くしての「荘厳」さではあっただろうが、その計算を差し引いてもなお、習近平の三期目は、ほぼ運命的であったのかとさえ勘違いしてしまうほどの出来事であった。


写真: ロイター/アフロ

(※1)https://grici.or.jp/



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