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日本周辺空域を巡る認知戦 − 探知による抑止 −【実業之日本フォーラム】

配信日時:2022/05/13 10:39 配信元:FISCO
4月15日、防衛省統合幕僚監部は2021年度(2021年4月~2022年3月)の緊急発進実施状況を公表した。1004回は過去2番目の回数であり、2020年度の725回から300回近い大幅な増加となっている。対象国は中国機約72%、ロシア機26%、その他約2%の割合である。中国機がロシア機を上回ったのは2012年度が初めてであり、以降ほぼ同数であった1年を除き、中国機が連続して最大回数を示している。南西諸島方面における中国機の活動活発化を受けて、防衛省は2016年1月に福岡県築城基地からF-15戦闘機20機を那覇基地に移動、既存の戦闘機に加え、F-15戦闘機40機体制としている。

2020年度と比較すると、ロシア機が258回から266回と微増であったのに対し、中国機が458回から722回に増加している。昨年度からの増加分はほとんどが中国機に対するものであった。更に、従来中国機の活動海域は東シナ海が中心であったが、2022年度は沖縄と宮古島の間を通過し、西太平洋における活動が増加している。西太平洋における活動の一部は、バシー海峡を越え、台湾東部を経由し、日本の防空識別圏(ADIZ)に近接飛行した中国機も含まれている。中国人民解放軍の活動が数及び活動海空域の両面で拡大しつつあることを示す数字である。

緊急発進は自衛隊法第84条の「領空侵犯に対する措置」で規定された自衛隊の任務の一つである。条文では「外国の航空機が国際法規又は航空法その他の法令の規定に違反してわが国の領域の上空に侵入した際、これを着陸させ、又はわが国の領域の上空から退去させるために必要な措置を講じることができる」とされている。緊急発進は、わが国領空に侵入する危険性のある航空機の動向を確認するとともに、警告を発することを目的とする行動である。警告を無視し、領空に侵入した航空機を撃墜することも国際的には認められている。防衛省が公表した資料によれば、1967年以降わが国に対する領空侵犯は45件であり、ソ連を含むロシアが42件、中国が2件、台湾が1件となっている。中国の2件は尖閣諸島の領空を侵犯したものである。1987年12月に沖縄において領空侵犯を行ったソ連Tu-16偵察機に対して行われた警告射撃が、わが国唯一の実力行使であった。

緊急発進は、相手に対し、自らの警戒監視、対応能力を示すとともに国家意思を誇示することを目的とする。防衛省が、緊急発進や日本周辺海域における監視活動の実績を公開するのも、国の内外に日本としての即応体制を誇示し、領土、領海及び領空を守り抜くという国家意思を明確に示す目的がある。これはいわゆる「探知による抑止」である。自衛隊がこの能力を維持することが極めて重要である。

2021年3月、台湾国防部は緊急発進を毎回は実施せず、対空ミサイルによる監視を行うことを明らかにした。その理由は、中国機による台湾防空識別圏への侵入があまりにも多く、空軍の他の任務を阻害しているためとしている。同国防部は、2020年9月から2021年8月までの1年間に554回の緊急発進が行われたことを明らかにしている。同国防部は緊急発進が無いことが、中国に中国機の行動を台湾側は把握していないとの誤解を生み、より過激な行動に移ることを危惧し、緊急発進は無くても対空ミサイルで追尾していることを明らかにすることにより、中国をけん制したのであろう。しかしながら、台湾空軍の対応能力の限界を示したことになったことは間違いなく、台湾としては苦渋の選択であったと想像できる。

わが国が行っている緊急発進の数は台湾をはるかに超える数である。また、令和3年度防衛白書によれば、中国が保有する第4、第5世代の戦闘機の数は、1146機と航空自衛隊の313機の3倍以上である。中国が、台湾同様に自衛隊の疲弊を狙って防空識別圏への侵入を激増させる可能性は否定できない。その場合、日本として台湾同様に選択的対処とすることはできない。「探知による抑止」の崩壊につながるからである。

このような状況下で4月21日に自民党安全保障調査会が、今年見直しが進められている「国家安全保障戦略」等の3文書改訂への提言書において、防衛費GDP比2%以上を念頭に「5年以内に防衛力の抜本的な強化を目指す」としている。AI技術やロボティクスの発達により、無人で対応できる分野は拡大しつつあり、今後その傾向はさらに拡大するであろう。防衛費の増額は、これら先端技術の開発や宇宙・サイバー・電磁波領域での安全保障に充てられると見られる。

しかしながら、人間が対応すべき分野は依然として残されている。緊急発進に対応する戦闘機パイロットは高度な操縦技量、瞬時の判断力と状況把握能力が求められる。少しの判断ミスが国際的問題を引き起こしかねない。戦闘機の調達やパイロットの育成は一朝一夕にできるものではない。少子高齢化という問題もある。防衛費の増額は、単にハードウェアの増強だけではなく、無人化できる任務とできない任務を峻別し、新たな戦いに備えた陸海空兵力の最適配分まで視野に入れる必要がある。

日本の防空識別圏に中国機が侵入しても自衛隊の対応が無い場合、中国は日本の対応能力が低下したと認識するであろう。さらに、そのような状態が継続した場合、日本の国土防衛への意思が弱まったと判断するであろう。緊急発進を継続して実施する事は、相手に誤った認識を与えないという認知戦の一環でもある。ロシアがウクライナへの軍事侵攻を決断した背景には、ウクライナ政権の抵抗意思が弱く、軍事力による抵抗も少ないと誤判断したのではないかという事が指摘されている。緊急発進は、「探知による抑止」であり、それを粘り強く継続することが、相手の誤判断を防止する手段であることを認識する必要がある。

「サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。

写真:防衛省/ロイター/アフロ

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