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「第3の歴史決議」にみる習近平政権の狙い(学習院大学法学部教授 江藤名保子)【実業之日本フォーラム】
配信日時:2021/11/25 13:23
配信元:FISCO
11月8日から11日に、中国共産党の幹部による中央委員会第6回全体会議(以下、六中全会)が開催された。既に広く報じられたように、この会議では3つ目となる「歴史決議」を採択し、閉会5日後の16日にその全文が公開された。「中国共産党の100年の奮闘の重大な成就と歴史的経験に関する決議」という正式名称が示す通り、同文書は建党以来の歴史を共産党が中国人民を幸福にしてきた成功物語として描き、党は一貫して社会主義国家建設の道を辿って発展してきたと強調した。また習近平が総書記に就いた中国共産党第 18 回全国代表大会(第18回党大会、他の党大会も同様に表記)以降を「新時代」と位置付けて、「習近平同志を核心とする党中央」が中国に「歴史的な変革を生じさせた」と高く評価した。なお、1つ目の「歴史決議」は1945年に毛沢東が、2つ目は1981年にトウ小平が中心となって作成しており、いずれも政治路線の対立に決着をつけて両者の抜きんでた権威を確定した文書として知られる。
公平を期すために確認しておくならば、歴史とはおしなべて書き手/語り手の主観レンズを通して語られるナラティブ(物語、語り)である。そのため程度の差こそあれ、どのような歴史叙述であっても「過去の事実」ではない可能性はある。また時の権力者が自己正当化のために歴史を書き換えることも様々な場面で行われてきた。その意味ではこの「歴史決議」もまた、単なる歴史の叙述というよりも、権力者のもとで選択的に史実を集めて描いたある種の「歴史物語」だと理解できる。
その結果として、「意図的に選択されない史実」もあった。それは例えば天安門事件など民衆が共産党と対立した過去、あるいは1980年代に胡耀邦や趙紫陽などの政治リーダーのもとで現れた「民主化」の疑似体験の歴史である。また全般に共産党の主観が強く反映され、客観性を欠いた記述が散見される。例えば香港について「内外の様々なファクターが影響して一時的に『反中的で香港を混乱させる(反中乱港)』活動が横行した」とする表現、台湾に対しては「2016年(筆者注:蔡英文政権の成立)以来、台湾当局が『台湾独立』の分裂活動を強化してきた」とする主張などである。いずれも国際社会の認識とは異なり、香港や台湾に住む人々の理解とも一致しないだろう。
一方、この「歴史決議」には取り立てて目新しい記述はない。なぜならばこの文書は習近平政権が段階的に形成してきた歴史ナラティブの、いわば総集編だからである。また習近平は2021年7月の共産党成立100周年において他の指導者達よりも一段高い権威を見せつけており、既に十分な権力を掌握しているとも考えられる。なぜ「歴史決議」をまとめる必要があったのだろうか。
「第3の歴史決議」における習近平の狙いは、さらなる権威の獲得というよりも、習近平時代は長期化するという方針の表明と、公の歴史に自らの評価を書き込むことにあったのではないか。中国における「歴史」は支配者の正統性を支える政治的ツールであり、ナショナリズムの基盤としても重要である。後世で習近平時代がどのように評価されるかを考えるのは、政治家としてむしろ当然であろう。またタイミングとしてはやはり、2022年の第20回党大会に向けての布石と考えるのが自然である。もし習政権が長期化して歴史に大きく名前を刻むのであれば、自らの手で「歴史物語」を描いた方が有益である。すなわち、習近平を別格の指導者として評価する歴史を公的に描くことが主たる目的だったと考えられる。
筆者はそれに加えて「第3の歴史決議を創る」というプロセスにも重要性があったと考えている。中国政治では、圧倒的な権威者に対して周囲の人々は抗うよりも従い、その権威を利用しようと考える。すなわち毛沢東やトウ小平の権力構造の基盤は、他の政治指導者たちがその権力を容認したことにあった。こうした観点に立てば、六中全会で党幹部が一斉に挙手をして習近平を称える「歴史決議」を採択した光景は極めて象徴的であった。さらに、このような承認プロセスを繰り返すことで政治的潮目が変わることを防ぎ、習近平に服従する集団心理を維持することが可能になる。すなわち習近平は「歴史決議」への賛同を得ることで、党幹部の彼に対する従属を再確認したのだろう。
因みに筆者は、この数カ月に実施された各種の規制強化にも「行動様式を変えることで認識に影響を与える」という狙いがあったのではないかと考えている。学習塾、学校教育、オンラインゲーム、家庭でのしつけなど、一般の人々(特に若年層)の生活様式に手を加えるような規制が相次いだ。これはやり過ぎではないか、共産党は何がしたいのか、強引な手法がかえって人々の反発を招くのではないかと訝る向きもあっただろう。実は、日常生活のなかで自ら設定した行動を——それが本人の意思に反している場合は特に——強制的に繰り返し変更させることで、対象者が共産党に従うことを違和感なく受け入れるようになり、徐々に逆らえない心理状況に陥る効果が見込まれる。
これまでの共産党の政治キャンペーンにも、人々に動員をかけて強制的に行動を起こさせることで集団心理を利用し、党に従わせる社会コントロールの手法が採られたことはあった。その極端な例が文化大革命の熱狂であった。しかし、それらはおそらく民意を誘導するノウハウを経験的に識っていたにすぎない。市民生活に直結する分野で重層的に規制をかけるという習近平政権のアプローチはむしろ、行動科学や脳科学などの知見に基づいた巧妙な手法のように見える。
習近平政権の集権化が続く背後では、深刻な格差問題のみならず中国経済の減速も見込まれており、「人々の生活を豊かにする」ことで共産党の求心力を高めた時代が過ぎ去ろうとしている。トウ小平時代のメッセージは「自分も稼ぎたい」という人々の自然な欲求に合致していたが、大国になること、強国になること、共同富裕の実現など、習時代のメッセージは果たして人々の心を掴むだろうか。ポストトウ小平路線を模索する習近平の評価が本当に決まるのは、これからである。
江藤 名保子
学習院大学法学部教授。専門は現代中国政治、日中関係、東アジア国際政治。スタンフォード大学国際政治研究科修士課程および慶應義塾大学法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター副主任研究員、シンガポール国立大学東アジア研究所客員研究員、北京大学国際関係学院客員研究員などを経て現職。
写真:新華社/アフロ
■実業之日本フォーラムの3大特色
実業之日本フォーラム( https://jitsunichi-forum.jp/ )では、以下の編集方針でサイト運営を進めてまいります。
(1)「国益」を考える言論・研究プラットフォーム
・時代を動かすのは「志」、メディア企業の原点に回帰する
・国力・国富・国益という用語の基本的な定義づけを行う
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・実業之日本社の創業者・増田義一の精神を受け継ぎ、事を成した人や新たな才能を世に紹介し、バックアップする
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公平を期すために確認しておくならば、歴史とはおしなべて書き手/語り手の主観レンズを通して語られるナラティブ(物語、語り)である。そのため程度の差こそあれ、どのような歴史叙述であっても「過去の事実」ではない可能性はある。また時の権力者が自己正当化のために歴史を書き換えることも様々な場面で行われてきた。その意味ではこの「歴史決議」もまた、単なる歴史の叙述というよりも、権力者のもとで選択的に史実を集めて描いたある種の「歴史物語」だと理解できる。
その結果として、「意図的に選択されない史実」もあった。それは例えば天安門事件など民衆が共産党と対立した過去、あるいは1980年代に胡耀邦や趙紫陽などの政治リーダーのもとで現れた「民主化」の疑似体験の歴史である。また全般に共産党の主観が強く反映され、客観性を欠いた記述が散見される。例えば香港について「内外の様々なファクターが影響して一時的に『反中的で香港を混乱させる(反中乱港)』活動が横行した」とする表現、台湾に対しては「2016年(筆者注:蔡英文政権の成立)以来、台湾当局が『台湾独立』の分裂活動を強化してきた」とする主張などである。いずれも国際社会の認識とは異なり、香港や台湾に住む人々の理解とも一致しないだろう。
一方、この「歴史決議」には取り立てて目新しい記述はない。なぜならばこの文書は習近平政権が段階的に形成してきた歴史ナラティブの、いわば総集編だからである。また習近平は2021年7月の共産党成立100周年において他の指導者達よりも一段高い権威を見せつけており、既に十分な権力を掌握しているとも考えられる。なぜ「歴史決議」をまとめる必要があったのだろうか。
「第3の歴史決議」における習近平の狙いは、さらなる権威の獲得というよりも、習近平時代は長期化するという方針の表明と、公の歴史に自らの評価を書き込むことにあったのではないか。中国における「歴史」は支配者の正統性を支える政治的ツールであり、ナショナリズムの基盤としても重要である。後世で習近平時代がどのように評価されるかを考えるのは、政治家としてむしろ当然であろう。またタイミングとしてはやはり、2022年の第20回党大会に向けての布石と考えるのが自然である。もし習政権が長期化して歴史に大きく名前を刻むのであれば、自らの手で「歴史物語」を描いた方が有益である。すなわち、習近平を別格の指導者として評価する歴史を公的に描くことが主たる目的だったと考えられる。
筆者はそれに加えて「第3の歴史決議を創る」というプロセスにも重要性があったと考えている。中国政治では、圧倒的な権威者に対して周囲の人々は抗うよりも従い、その権威を利用しようと考える。すなわち毛沢東やトウ小平の権力構造の基盤は、他の政治指導者たちがその権力を容認したことにあった。こうした観点に立てば、六中全会で党幹部が一斉に挙手をして習近平を称える「歴史決議」を採択した光景は極めて象徴的であった。さらに、このような承認プロセスを繰り返すことで政治的潮目が変わることを防ぎ、習近平に服従する集団心理を維持することが可能になる。すなわち習近平は「歴史決議」への賛同を得ることで、党幹部の彼に対する従属を再確認したのだろう。
因みに筆者は、この数カ月に実施された各種の規制強化にも「行動様式を変えることで認識に影響を与える」という狙いがあったのではないかと考えている。学習塾、学校教育、オンラインゲーム、家庭でのしつけなど、一般の人々(特に若年層)の生活様式に手を加えるような規制が相次いだ。これはやり過ぎではないか、共産党は何がしたいのか、強引な手法がかえって人々の反発を招くのではないかと訝る向きもあっただろう。実は、日常生活のなかで自ら設定した行動を——それが本人の意思に反している場合は特に——強制的に繰り返し変更させることで、対象者が共産党に従うことを違和感なく受け入れるようになり、徐々に逆らえない心理状況に陥る効果が見込まれる。
これまでの共産党の政治キャンペーンにも、人々に動員をかけて強制的に行動を起こさせることで集団心理を利用し、党に従わせる社会コントロールの手法が採られたことはあった。その極端な例が文化大革命の熱狂であった。しかし、それらはおそらく民意を誘導するノウハウを経験的に識っていたにすぎない。市民生活に直結する分野で重層的に規制をかけるという習近平政権のアプローチはむしろ、行動科学や脳科学などの知見に基づいた巧妙な手法のように見える。
習近平政権の集権化が続く背後では、深刻な格差問題のみならず中国経済の減速も見込まれており、「人々の生活を豊かにする」ことで共産党の求心力を高めた時代が過ぎ去ろうとしている。トウ小平時代のメッセージは「自分も稼ぎたい」という人々の自然な欲求に合致していたが、大国になること、強国になること、共同富裕の実現など、習時代のメッセージは果たして人々の心を掴むだろうか。ポストトウ小平路線を模索する習近平の評価が本当に決まるのは、これからである。
江藤 名保子
学習院大学法学部教授。専門は現代中国政治、日中関係、東アジア国際政治。スタンフォード大学国際政治研究科修士課程および慶應義塾大学法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター副主任研究員、シンガポール国立大学東アジア研究所客員研究員、北京大学国際関係学院客員研究員などを経て現職。
写真:新華社/アフロ
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(1)「国益」を考える言論・研究プラットフォーム
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